ありがとうを綴って
ご無沙汰しております。
え~、みなさん
あ、ハロウィンはいかがお過ごしでしたでしょうか?
え?アタス?
私はハロウィンのとんがり帽子を被った息子の写真を撮りたくて
被せてはカメラを構え、息子は帽子を脱ぎ
被せてはカメラを構え、息子は帽子を脱ぎ
被せてはカメラを構え、息子は帽子を脱ぎ
・・・
とっても楽しいハロウィンでした!(笑泣)
OAUマネ若松です
そんなかぼちゃ祭を過ごしていたら
あっ
というまに11月
またまた長いブログにお付き合いください!
はい、
いつも更新が遅くてスイマセン・・・
さて、まずは10月15、16日の2日間にて開催しました
「New Acoustic Camp 2011」!!
今年で開催2回目、そして今回も山梨県 道志の森キャンプ場で無事に、、、
ではなかった・・・
OAUが会場に入ったのは開催日前日の10月14日
気まぐれにのぞく晴れ間と紅葉をぬける秋の風に吹かれ
サウンドチェックに
メンバーもみんなでテントの設営!
翌日の開催にワクワクしながらのBBQ!!
すこし雨が落ちてきたけど
火を囲んで宴が始まりました!
すこし雨が強くなってきたけど
風が強くなってきたけど
なっ、、、なななっ・・・
気が付けば
大雨で前が見えません・・・
悪戯な風はテントの形を歪めんとして・・・
まぁまぁまぁまぁ
明日の天気は「曇りときどき雨」
と、夢の中へ Zzzz...
ダバダバザババサッッッ
(と、飛ぶ!危ないっ!お、落ちる!)
いや~、悪い夢を見ました
寝起きにテントの入り口を開けますと
隣のテントがずいぶん向こうに移動しておる!
土砂降りと狂風の中
黒い人影が右往左往。。。
ワークショップや飲食ブースも飛んで行ったところがある様子で
ステージエリアに駆けて行き
気象庁に連絡したり、会場の現状の確認
そして、ステージとキャンプ場内の復旧作業
お地蔵さん、助けてください!!
やがて
たっくさんの方々の
雨と泥と汗に塗れながらの懸命な尽力がかたちとなり
ここに集うみんなの安全を確保できると判断
ここ一帯を局地的に襲っていた雨雲と風も去り
大変お待たせしましたが、4時間遅れでなんとか開演することができました!
一時は本当に開催を断念するような状況でした。
スタッフのみなさんに感謝の気持ちで目頭が熱くなりました。
そして、絶対に開催したかった。
絶対に。
ここには
たっくさんの笑顔や笑い声が溢れると想ってきたから
ここでしか体験できないものや気持ちや愛情があると想ってきたから
自然の中で、テントを張って
面倒なことや不便しかない場所かもしれない
でも
「あの日」を眼前に突き付けた自然の畏怖に向き合い
自然と共に生き、たくましく生きていく術を体感し
大切な家族や仲間が隣に居ることは日常ではない、尊い一瞬の連続だということを
ここに創る時間と空間を楽しんで、そして感じてほしい
ここでの経験を糧とし、ここに沢山集まる子供たちに、未来に、繋いでほしい
そんな想いも
「New Acoustic Camp」には詰まっていましたから
そんなNew Acoustic Campの一日目は、すぐに日が落ちて
酔いどれ達の集結したステージ前には
一日目の最後を飾るバンド、、、ではなくて
キャンプファイヤーに
1000人フォークダンス!!!!
老若男女が入り乱れ
サークルモッシュ!!
カオスです!
みんな凄い笑顔です!
いい~んです!!
キャンプファイヤーの火も仄かな灯りになったころ
泣く子はいねか~
悪いことしてるヤツはいねか~
って、ナマハゲ
よりもたぶん相当心強い
見廻りの人物
見たことのある背中の・・・
「幡ヶ谷再生大学 第三分団」が巡回!!
その手には
まさに”用心棒”
大切な任務を果たさんとするべく
至って真面目に
一滴の酒も口にすることも無く
TOSHI-LOWはその責務を全うしておりました( ̄- ̄)ゞ
「相当~、呑んでますね~」
と言われながら・・・www
2日目は雨上がりの
澄んで豊潤な朝の森の空気の中
KAKUEIのモーニング・スチールパンからスタート
まだひんやりと新鮮な森の中に心地良い音が浮遊して
続いて
なぜか今年もモンゴルマン兄弟による朝のラジオ体操と
なんとも如何わしい太極拳
続いては
日本で初めて開催し
200以上ものフリスビーがいっせいに秋空を舞った
「BIG THROW」!
そして初日に続いて
KAKUEI直伝の
PATICA(パチカ)教室に
RONZI×中華そば とんちぼ(埼玉県鶴ヶ島市の名店!)による
「ろんちぼ」の出店と
メンバーはステージ以外にも大忙し!
最終日のNew Acoustic Campは、秋の水色の空の下、活況を増していきます!!
しかし、楽しい時間っていうのはあっという間で
穏やかな西日のあるなかで
最後のバンドとなりました。
OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUNDの登場です!
MARTINはこんなことを話しました
みんな、テント立てたんですか?
ちゃんと立ちました?
下ネタじゃないよ
僕らは金曜日に来て
まだその時、雨そんなに降ってなくて
テントたくさんあっちの上のほうに立てて、リハして
ちょうどリハ終わった時に、雨が降り始めて
この山、崩れちゃうんじゃないっかてくらい
雨が降って、風がブァーーって
テントが飛んじゃうんじゃないかって
でも、
まぁ、
なんとか生きてる
な、なんというオチ。。。
でも生還したって気持ちは分かります。
物凄い荒天でしたから。
そして最後には、久しぶりに良いことを
日本語で一生懸命に伝えようとするもんだから、胸が熱く・・・
こういう自然な感じで
ただお酒飲みながら
良い音楽聴きながら
自分の大切な人と来て
自分の子供を連れて来て
みんながいい顔してて
面白いことができて
という事ができるって
幸せ、という言葉よりも
いい言葉があったら教えてください
これ
凄いことです
本当に
ありがとうございます
みんながいなかったら何もできていない
本当
Thank you
ここに集ったお客様、スタッフの皆様、バンド、アーティストの皆様
本当にありがとうございました!!!!
全ての皆様に深く深く感謝の意を表します!!
(写真提供:石井亜希、JON...、八尾武志、小泉慶嗣)
お地蔵さんも、ありがとうございました。
さて、New Acoustic Campに続き、翌々日にOAUは
新宿MARZにて「PAJARO SUNRISE JAPAN TOUR 2011"TONE FLAKES vol.31"」に出演!
初めてのバンドの皆さんばかりでしたが、独特の世界観を持った心地良い音に出逢えた、素敵な夜となりました!
PAJARO SUNRISEさん、ツアーに呼んでいただいてありがとうございました!!
そして
BRAHMAN 2011 TOUR「霹靂」へ
まずはキャンプの前にその幕を開けた
ツアー初日!
10月8日、沖縄ミュージックタウン音市場!!
と、その前に、ちょっと前置きですが
このTOUR「霹靂」は、言わずもがな9月7日に発売された新譜「霹靂」のツアーです。
曲はあの日以前にありライブでも演奏されていたりしましたが、
歌詞カードに
「捧げます」
とあるように、震災以降、大切な意味も持つことになった曲たちでありツアーでもあります。
ツアーのゲストには、これまでの震災の支援活動に協力していただいたり、復興への道を共にする仲間達に参加いただいております。
ここ沖縄では「BACK DROP BOMB」、さらに「LOW IQ & THE BEAT BREAKER」に参加していただきました!
そして、TOUR「霹靂」初日は
TOSHI-LOWのこんな言葉からはじまります
何処だっていいんだ
沖縄でも東京でも
福島でも
三陸の
小さなライブハウスでも
何処だっていいんだ
フェスでもイベントでも
一番目でもトリでも
何処でもいいんだ
俺たちの死に場所
ツアー「霹靂」
初日
古くからの仲間と
暖けぇ島の
温けぇ人たちに囲まれて
感謝してます
BRAHMAN
始めます
ドクドクと脈打ち
全身のそれぞれの部位が跳ぶ様に
ステージには命そのものの肉塊が
止めない発熱を帯び続けました
(写真:三吉ツカサ Showcase Prints/Twitter/Blog)
そして沖縄という、深く悲しい過去の爪痕を経験したここで伝えた想い
(戦時の)病院の跡地とか
壕とかガマとかの跡地を見に行ったり
語り部のおばあちゃんから話を聞いたりってことを
二、三年前から始めてて
そん時は、
まぁ、そっか。悲しいこともあるなとしか思ってなかったんだけど
3月の11日に
東北があんなふうになって
この沖縄本島の10倍近い長さのところが
津波で流されて
街によっては
そっから
流された上に
燃え果てて
燃え尽きて
焼け野原になってて
360度
焼け野原の真ん中で
自衛隊が
遺体を探して歩いているのを見てた時
あー、あの語り部のおばあさんが言ってたのは
もしかしたら
こういう光景だったのかなって
66年前の光景が
本当にそうだったか分かんねぇけど
俺なりには
そうなんじゃねえぁなって
はじめて
この島の悲しみっちゅうのは
ぐっと近いところにきて
津波の中で
子供の手を
掴んでいたのに
離してしまって
後悔している
お母さん
壕から壕へ
逃げるときに
子供を抱いて
銃弾の中を走ったのに
子供だけ撃ち抜かれてしまった
沖縄のお母さん
父親も母親も
じいちゃんもばあちゃんも
姉ちゃんも妹も弟も
誰もいなくなってしまった震災孤児
66年前の戦争孤児
福島で
放射能で
自分の家にも
自分の家にも住めず
避難してるひと
66年前に
米軍の基地だと言って突然
自分の畑や村を
取られてしまったひと
いろんな事がオーバーラップして
勿論
戦争と自然災害を混同してる訳じゃねぇ
けど、混同してないからこそ
自然には
勝てねぇ
津波も地震も台風も
俺たちは防ぐことはできないけど
戦争は防ぐことができるんじゃねぇかなって
俺は思っていて
66年前の悲しみを
おばあさんに伝えてもらった
島の人たち
もっと伝えてもらいてぇんだ
俺たちが何を言えば
戦争が無くなんのか
平和な世の中になんのか
それを
俺たちは
今後
俺たちの子供に
俺たちの未来の子供に
あげるべきじゃねぇかなって
俺は思っていて
何ができるかは、まだまだ よく分かんねぇけど
悲しみに
悲しみに寄り添うってことは
まず一個
俺たちにできることじゃねぇかなって思う
66年前の沖縄の悲しみも忘れない
だから、いま
今年
東北で
東日本で起こった
悲しみを
忘れないでください
ありがとう
戦争の惨事は決して忘れてはならないこの国の歴史です
同じような光景だったかもしれない東日本大震災のあの光景は決して忘れません
そんな戦争で、原爆が落ちた広島や長崎では、情報が隠ぺいされ、気付かないうちに被曝し、今もなお苦しんでおられる方が大勢いらっしゃいます
なのに、今、、、、、
私たちはどう生きるべきか
どんな選択をするべきか
どんな時代を創るべきか
このツアーを通してあらためて、アカルイミライを考える、そういう旅にもなっています
そんなBRAHMAN 2011 TOUR「霹靂」は現在折り返しを迎えましたが、
今回のブログは長くなりましたのでここまで。
ツアーの様子は引き続き、すぐに更新していきますので、ここにもまたお越しください!
残りのツアーにお越しの皆さんは、存分に笑って考えて汗まみれで楽しんでください!!
そして、これまでにお越しいただいた皆さん、本当にありがとうございました!!
それでは次回は東京で行われたTOUR「霹靂」at ZEPP TOKYOよりお届けいたします!
え~、みなさん
あ、ハロウィンはいかがお過ごしでしたでしょうか?
え?アタス?
私はハロウィンのとんがり帽子を被った息子の写真を撮りたくて
被せてはカメラを構え、息子は帽子を脱ぎ
被せてはカメラを構え、息子は帽子を脱ぎ
被せてはカメラを構え、息子は帽子を脱ぎ
・・・
とっても楽しいハロウィンでした!(笑泣)
OAUマネ若松です
そんなかぼちゃ祭を過ごしていたら
あっ
というまに11月
またまた長いブログにお付き合いください!
はい、
いつも更新が遅くてスイマセン・・・
さて、まずは10月15、16日の2日間にて開催しました
「New Acoustic Camp 2011」!!
今年で開催2回目、そして今回も山梨県 道志の森キャンプ場で無事に、、、
ではなかった・・・
OAUが会場に入ったのは開催日前日の10月14日
気まぐれにのぞく晴れ間と紅葉をぬける秋の風に吹かれ
サウンドチェックに
メンバーもみんなでテントの設営!
翌日の開催にワクワクしながらのBBQ!!
すこし雨が落ちてきたけど
火を囲んで宴が始まりました!
すこし雨が強くなってきたけど
風が強くなってきたけど
なっ、、、なななっ・・・
気が付けば
大雨で前が見えません・・・
悪戯な風はテントの形を歪めんとして・・・
まぁまぁまぁまぁ
明日の天気は「曇りときどき雨」
と、夢の中へ Zzzz...
ダバダバザババサッッッ
(と、飛ぶ!危ないっ!お、落ちる!)
いや~、悪い夢を見ました
寝起きにテントの入り口を開けますと
隣のテントがずいぶん向こうに移動しておる!
土砂降りと狂風の中
黒い人影が右往左往。。。
ワークショップや飲食ブースも飛んで行ったところがある様子で
ステージエリアに駆けて行き
気象庁に連絡したり、会場の現状の確認
そして、ステージとキャンプ場内の復旧作業
お地蔵さん、助けてください!!
やがて
たっくさんの方々の
雨と泥と汗に塗れながらの懸命な尽力がかたちとなり
ここに集うみんなの安全を確保できると判断
ここ一帯を局地的に襲っていた雨雲と風も去り
大変お待たせしましたが、4時間遅れでなんとか開演することができました!
一時は本当に開催を断念するような状況でした。
スタッフのみなさんに感謝の気持ちで目頭が熱くなりました。
そして、絶対に開催したかった。
絶対に。
ここには
たっくさんの笑顔や笑い声が溢れると想ってきたから
ここでしか体験できないものや気持ちや愛情があると想ってきたから
自然の中で、テントを張って
面倒なことや不便しかない場所かもしれない
でも
「あの日」を眼前に突き付けた自然の畏怖に向き合い
自然と共に生き、たくましく生きていく術を体感し
大切な家族や仲間が隣に居ることは日常ではない、尊い一瞬の連続だということを
ここに創る時間と空間を楽しんで、そして感じてほしい
ここでの経験を糧とし、ここに沢山集まる子供たちに、未来に、繋いでほしい
そんな想いも
「New Acoustic Camp」には詰まっていましたから
そんなNew Acoustic Campの一日目は、すぐに日が落ちて
酔いどれ達の集結したステージ前には
一日目の最後を飾るバンド、、、ではなくて
キャンプファイヤーに
1000人フォークダンス!!!!
老若男女が入り乱れ
サークルモッシュ!!
カオスです!
みんな凄い笑顔です!
いい~んです!!
キャンプファイヤーの火も仄かな灯りになったころ
泣く子はいねか~
悪いことしてるヤツはいねか~
って、ナマハゲ
よりもたぶん相当心強い
見廻りの人物
見たことのある背中の・・・
「幡ヶ谷再生大学 第三分団」が巡回!!
その手には
まさに”用心棒”
大切な任務を果たさんとするべく
至って真面目に
一滴の酒も口にすることも無く
TOSHI-LOWはその責務を全うしておりました( ̄- ̄)ゞ
「相当~、呑んでますね~」
と言われながら・・・www
2日目は雨上がりの
澄んで豊潤な朝の森の空気の中
KAKUEIのモーニング・スチールパンからスタート
まだひんやりと新鮮な森の中に心地良い音が浮遊して
続いて
なぜか今年もモンゴルマン兄弟による朝のラジオ体操と
なんとも如何わしい太極拳
続いては
日本で初めて開催し
200以上ものフリスビーがいっせいに秋空を舞った
「BIG THROW」!
そして初日に続いて
KAKUEI直伝の
PATICA(パチカ)教室に
RONZI×中華そば とんちぼ(埼玉県鶴ヶ島市の名店!)による
「ろんちぼ」の出店と
メンバーはステージ以外にも大忙し!
最終日のNew Acoustic Campは、秋の水色の空の下、活況を増していきます!!
しかし、楽しい時間っていうのはあっという間で
穏やかな西日のあるなかで
最後のバンドとなりました。
OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUNDの登場です!
MARTINはこんなことを話しました
みんな、テント立てたんですか?
ちゃんと立ちました?
下ネタじゃないよ
僕らは金曜日に来て
まだその時、雨そんなに降ってなくて
テントたくさんあっちの上のほうに立てて、リハして
ちょうどリハ終わった時に、雨が降り始めて
この山、崩れちゃうんじゃないっかてくらい
雨が降って、風がブァーーって
テントが飛んじゃうんじゃないかって
でも、
まぁ、
なんとか生きてる
な、なんというオチ。。。
でも生還したって気持ちは分かります。
物凄い荒天でしたから。
そして最後には、久しぶりに良いことを
日本語で一生懸命に伝えようとするもんだから、胸が熱く・・・
こういう自然な感じで
ただお酒飲みながら
良い音楽聴きながら
自分の大切な人と来て
自分の子供を連れて来て
みんながいい顔してて
面白いことができて
という事ができるって
幸せ、という言葉よりも
いい言葉があったら教えてください
これ
凄いことです
本当に
ありがとうございます
みんながいなかったら何もできていない
本当
Thank you
ここに集ったお客様、スタッフの皆様、バンド、アーティストの皆様
本当にありがとうございました!!!!
全ての皆様に深く深く感謝の意を表します!!
(写真提供:石井亜希、JON...、八尾武志、小泉慶嗣)
お地蔵さんも、ありがとうございました。
さて、New Acoustic Campに続き、翌々日にOAUは
新宿MARZにて「PAJARO SUNRISE JAPAN TOUR 2011"TONE FLAKES vol.31"」に出演!
初めてのバンドの皆さんばかりでしたが、独特の世界観を持った心地良い音に出逢えた、素敵な夜となりました!
PAJARO SUNRISEさん、ツアーに呼んでいただいてありがとうございました!!
そして
BRAHMAN 2011 TOUR「霹靂」へ
まずはキャンプの前にその幕を開けた
ツアー初日!
10月8日、沖縄ミュージックタウン音市場!!
と、その前に、ちょっと前置きですが
このTOUR「霹靂」は、言わずもがな9月7日に発売された新譜「霹靂」のツアーです。
曲はあの日以前にありライブでも演奏されていたりしましたが、
歌詞カードに
「捧げます」
とあるように、震災以降、大切な意味も持つことになった曲たちでありツアーでもあります。
ツアーのゲストには、これまでの震災の支援活動に協力していただいたり、復興への道を共にする仲間達に参加いただいております。
ここ沖縄では「BACK DROP BOMB」、さらに「LOW IQ & THE BEAT BREAKER」に参加していただきました!
そして、TOUR「霹靂」初日は
TOSHI-LOWのこんな言葉からはじまります
何処だっていいんだ
沖縄でも東京でも
福島でも
三陸の
小さなライブハウスでも
何処だっていいんだ
フェスでもイベントでも
一番目でもトリでも
何処でもいいんだ
俺たちの死に場所
ツアー「霹靂」
初日
古くからの仲間と
暖けぇ島の
温けぇ人たちに囲まれて
感謝してます
BRAHMAN
始めます
ドクドクと脈打ち
全身のそれぞれの部位が跳ぶ様に
ステージには命そのものの肉塊が
止めない発熱を帯び続けました
(写真:三吉ツカサ Showcase Prints/Twitter/Blog)
そして沖縄という、深く悲しい過去の爪痕を経験したここで伝えた想い
(戦時の)病院の跡地とか
壕とかガマとかの跡地を見に行ったり
語り部のおばあちゃんから話を聞いたりってことを
二、三年前から始めてて
そん時は、
まぁ、そっか。悲しいこともあるなとしか思ってなかったんだけど
3月の11日に
東北があんなふうになって
この沖縄本島の10倍近い長さのところが
津波で流されて
街によっては
そっから
流された上に
燃え果てて
燃え尽きて
焼け野原になってて
360度
焼け野原の真ん中で
自衛隊が
遺体を探して歩いているのを見てた時
あー、あの語り部のおばあさんが言ってたのは
もしかしたら
こういう光景だったのかなって
66年前の光景が
本当にそうだったか分かんねぇけど
俺なりには
そうなんじゃねえぁなって
はじめて
この島の悲しみっちゅうのは
ぐっと近いところにきて
津波の中で
子供の手を
掴んでいたのに
離してしまって
後悔している
お母さん
壕から壕へ
逃げるときに
子供を抱いて
銃弾の中を走ったのに
子供だけ撃ち抜かれてしまった
沖縄のお母さん
父親も母親も
じいちゃんもばあちゃんも
姉ちゃんも妹も弟も
誰もいなくなってしまった震災孤児
66年前の戦争孤児
福島で
放射能で
自分の家にも
自分の家にも住めず
避難してるひと
66年前に
米軍の基地だと言って突然
自分の畑や村を
取られてしまったひと
いろんな事がオーバーラップして
勿論
戦争と自然災害を混同してる訳じゃねぇ
けど、混同してないからこそ
自然には
勝てねぇ
津波も地震も台風も
俺たちは防ぐことはできないけど
戦争は防ぐことができるんじゃねぇかなって
俺は思っていて
66年前の悲しみを
おばあさんに伝えてもらった
島の人たち
もっと伝えてもらいてぇんだ
俺たちが何を言えば
戦争が無くなんのか
平和な世の中になんのか
それを
俺たちは
今後
俺たちの子供に
俺たちの未来の子供に
あげるべきじゃねぇかなって
俺は思っていて
何ができるかは、まだまだ よく分かんねぇけど
悲しみに
悲しみに寄り添うってことは
まず一個
俺たちにできることじゃねぇかなって思う
66年前の沖縄の悲しみも忘れない
だから、いま
今年
東北で
東日本で起こった
悲しみを
忘れないでください
ありがとう
戦争の惨事は決して忘れてはならないこの国の歴史です
同じような光景だったかもしれない東日本大震災のあの光景は決して忘れません
そんな戦争で、原爆が落ちた広島や長崎では、情報が隠ぺいされ、気付かないうちに被曝し、今もなお苦しんでおられる方が大勢いらっしゃいます
なのに、今、、、、、
私たちはどう生きるべきか
どんな選択をするべきか
どんな時代を創るべきか
このツアーを通してあらためて、アカルイミライを考える、そういう旅にもなっています
そんなBRAHMAN 2011 TOUR「霹靂」は現在折り返しを迎えましたが、
今回のブログは長くなりましたのでここまで。
ツアーの様子は引き続き、すぐに更新していきますので、ここにもまたお越しください!
残りのツアーにお越しの皆さんは、存分に笑って考えて汗まみれで楽しんでください!!
そして、これまでにお越しいただいた皆さん、本当にありがとうございました!!
それでは次回は東京で行われたTOUR「霹靂」at ZEPP TOKYOよりお届けいたします!