小説 東京テルマエ学園

 

原作:只野温泉 

ストーリー:東京テルマエ学園 共同製作委員会

 

第一章 第2話 『リゾート開発』

 

 きっかけは去年の秋、まだアキが将来に関して何の展望も持っていなかった頃だった。

中間テストが終わった開放感と、それと同じだけの脱力感を抱えながらアキと七瀬はいつものように家路をたどっていた。

 

「そうだ、ねえアキ、アキ、試験、どうだった?」

 

 時は十月、秋の気配も深くなり、栗やらりんごやら胡桃やら、秋の味覚がアキの味方になって久しい。但し、乙女の体重的には敵だ。口惜しい、試験のストレスで思わず食べ過ぎてしまったのだ。そんなどうでも良いことを考えている学校からの帰宅途上、アキに話しかけてきたのは親友である七瀬。

 

 後ろでポニーにした髪の毛をゆらゆらと揺らしながら、体を傾け上目遣いに媚びを売るようにして、情け容赦なくアキの痛いところを突いてくる。だがなぜか、この無自覚なS的性格をアキはどこか心地よいと感じてしまう。おそらくそれは、幼いころからそういうやり取りを続けたことで身に染みてしまったせいだろうと思っている。我ながらどうかとは思うが、見事な美少女に育った七瀬から言われるのだから、役得だと思うことにしている。

 

「その様子だと……無事に死んだ?」

 七瀬がアキの顔を覗き込んで聞いた。

 

「追試かな……めんどいよぉ……」

「そんな難しかった? 今日の」

「だってあたし頭悪いし、どうせ追試受けたって赤点だし……」

「アキの場合、頭じゃなくてやる気の問題でしょ?」

 答えながら、足元に転がっていた石をアキは思い切り蹴っ飛ばす。

 石は見事に勢いよく飛び、道と並行するようにして流れる川へと飛び込んでいった。
近くに誰もいなくて良かったと秘かに安堵する。

 

 アキの暮らす渋温泉の街は都会のような洒落た場所はないが、いまだ壊されていない自然に溢れている。山々が連なり、四季それぞれで顔を変える姿は疑うべくもなく美しく、透明度の高い水が流れる清流から感じられる匂いは心地よい。

 


ちなみに渋温泉は信州・湯田中渋温泉郷とも呼ばれ、長野電鉄湯田中駅から2キロほど奥にある山間の温泉である。メインストリートには石畳が敷かれ、両側にはノスタルジックな旅館や土産物屋、遊技場などが並ぶ情緒あふれる温泉街。

 

 


なお渋温泉には九つの外湯があり、九湯巡りという渋温泉に宿泊している方のみが利用できるという特典があり、宿泊者は各旅館から外湯めぐり専用の鍵を借りて、1番湯から9番湯まで、すべて無料で自由に外湯めぐりができるという。

 

 

二人で追いつ抜かれつしながら歩を進めていくと、やがて前方に見えてきたのは温泉街。

 

その温泉街の一画で、アキの実家も温泉宿を営んでいるのだが、アキが7歳の時に母親を病気で亡くし、苦しい家計を助けるため東京に出稼ぎに行った父もやがて音信不通となり行方不明。両親のいなくなった旅館を、普段は祖母が何人かの従業員とともに切り盛りしている。

 

 かっての旅館は毎日色々な客が訪れ、アキが傍から見ているだけでも大変な毎日であると実感していた。将来のことはまだ完全に決めきれているわけではないが、高校を卒業したら祖母を本格的に手伝いたいとアキは考えていた。旅館を継ぐかどうかはまた次の問題で、まずは祖母を手助けしたいという思いが強い。

 

 そんなアキに向けて、冷や水を浴びせるように七瀬が口を開く。

 

「アキ。温泉宿って経営でしょ。学歴だけじゃないかもだけど、経理や財務が分からないと駄目だし、今の世の中だと集客の為のビッグデータ活用やマーケティングとか、その辺諸々知らないと今後はやってけないよ?」

「ぐふっ!? な、七瀬がそんなことを言うなんて……そ、そういう七瀬はどうするの?」

 ダメージを受け、手で胸を抑えながら言うアキ。

 

 同時に、手の平に伝わるふくよかで柔らかな感触に、「あ、また少し大きくなったかも……」などと考える。そんなアキの様子にお構いなく、七瀬はあっけらかんと答える。

「私は東京に行って女優になるんだ」

「へえ、そうか、女優か。そうだよね、七瀬は昔から女優になりたいって、いやいや東京の大学に行くんじゃなかったの、ど、どういうこと!?」

「ほら、うちはお姉ちゃんがいるから家を継がなくても大丈夫なんだわ。だから、東京行きも快く賛同してくれて」

「はぁ~、女優か。七瀬ならなれそうだもんね、美人はいいよねぇ」

 隣を歩く七瀬に目を向けるアキ。

 

 七瀬の容姿はひいき目を抜きにしても美少女といえる。切れ長で意志の強そうな瞳、すっと通った鼻梁、やや薄い唇、全体的に大人っぽく、年齢を重ねれば誰もが振り向くような美女になることが想像できる。

 美人というだけではなく、細身の肢体でスタイルが良く、特に制服のスカートから延びた太腿は、アキですらむしゃぶりつきたくなる。

 

「七瀬と比べたらわたしなんか月とすっぽん、豚に真珠、草津温泉と渋温泉……」

「アキ……」

「あ、ち、違う、別に渋温泉を馬鹿にしたわけじゃないよ!? ただこうなんというか、老舗温泉旅館の娘としては、素敵感満載なところが妬ましいというか、真似できないのが悔しいとか、そんなんじゃないからね!」

「結局は僻みかい」

 

 そう言いながら七瀬はため息をついた後、とびきりの笑顔をアキに向け、サムズアップしてみせた。

「大丈夫、アキにはおっぱいという兵器があるから!」

 

「そうよね、わたしにはおっぱいミサイルが、っていやないからね!? っていうかそれを言うなら武器じゃないの、最終破壊兵器みたいに言わないでよっ」

「あははっ」

 笑いながら逃げる七瀬を、同じように笑いながら追いかけるアキ。

 

 二人にとってはいつも通りの他愛のないやり取りをかわしながら温泉街に入り、やがてアキの実家の温泉宿が見えてきたところで異変に気が付く。

 

「あ、誰か来てる」

 玄関の上りかまちにアキの祖母が正座し、スーツを着た男性に応対している。だが祖母の表情を見る限り、その男は客ではない雰囲気だ。男性の後ろには、やはりスーツを着てカバンを持った女性が控えている。

「……あれね」

 七瀬が固い表情でアキに告げた。

「この辺再開発するって言ってる会社の奴らよ」

「再開発?」

 アキが聞き返すと、七瀬は小さく頷いた。

「和合橋から天川橋の間にある小さい宿とかを買い取って、でっかいスパリゾートにするって言ってるの。あの辺の古い家、いくつかなくなって空き地になってるでしょ?」

「あ……そう言えば、食堂の建物なくなってた」

 アキが子供の頃からあったラーメンが美味しい食堂が、主人が亡くなったなったために閉店した。そこがいつの間にか空き地になって、杭と針金で囲まれていたのだ。

「それじゃ……うちも?」

 アキの言葉に七瀬が頷いた。

「ここのお湯はあんまり熱くなくて扱いやすいから、スパとして欲しいんじゃないの?」

「買って……くれるんだ」

 つぶやくように言ったアキを七瀬は奇妙な表情で見つめて、それから首を傾げた。

「うちは今のまんま、グループの提携旅館にならないかって言われてるけど。古くなった建物なおしてくれて、送迎バスとかいろいろ向こうでやってくれるって……」

「だったら……いいんじゃないかな?」

「何が?」

「いまの……」

 アキは、掃除は行き届いているものの古さは隠しきれない玄関先をながめて言った。

「週に、お客さんいない日が多いほうの旅館より……」

 七瀬の表情が一瞬強張ったが、アキはぼんやりと玄関に目をやっていたので気がつかなかった。

「お帰りいただけませんかねぇ」

 大きくはないが、きっぱりとした祖母の声が聞えた。

「うちはこれでも150年、ここでお客様をもてなしてきてるんでね。スッパだかスッポンだか、わけのわからないところに場所空けるなんてあらすけー(ないよ)」

「いえ、今日明日にお譲りいただきたいと言ってるのではなく……」

「明後日でも、し明後日でもだめだよ。あいく(早く)帰っておくれ」

 祖母に追い立てられるようにして男女が去って行くと、それを睨みつけるようにしていた祖母が立ち上がって言った。

 

「アキ、塩撒いとき」

「し……塩……」

 

 アキはあたふたとしながら下足箱の脇に置かれた木箱を持ってきた。盛り塩のための道具から食塩の袋を取り出して、手に振り出した。

「これって、どうやるの?」

「え?」

 何かぼんやりとしていた様子の七瀬が聞き返した。

「塩撒けって……」

「ああ……」

 七瀬は、アキの手に山盛りになっている塩に目をやった。

「それ……漬け物にできそうだね」

「やっぱ多かった……かな?」

 七瀬は首を傾げた。

「もうバァーって、撒いちゃえば?」

「バァーって……」

 アキはすくい上げるように腕を振って、玄関先を真っ白に染めてしまった。

 

「何か……土俵入りみたい」

 

 七瀬が呆れたようにつぶやいた。

 

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つづく

 

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