今回は少し早めのチャレンジウォーク。
総武本線を歩きます。
今年は梅雨明けが早そうと言われたので、早めに歩くことにしました。
いやぁ、いろんな意味で早く歩いておいて良かった。
実際、梅雨明けは早かったわけですし。
総武本線は東京(御茶ノ水)と銚子を結ぶ120.5km(東京-銚子)の路線です。
1894年に千葉県最初の鉄道として市川-佐倉間が開業し、
その後1904年には両国橋(現・両国)に到達し、1932年に御茶ノ水までの延伸を果たしました。
地下新線を新たに設け、東京駅に到達したのは1972年のことでした。
総武本線を歩くとなれば、東京から歩くのが正しいところかもしれませんが、
昔から総武線各駅停車を利用していた自分からすれば、
総武線といえば黄色い電車というイメージが強いので、
今回は敢えて各駅停車のルートを歩くことにしました。
歩く区間は御茶ノ水から千葉まで。
予定歩行距離は約54kmで、前回のチャレンジよりは短いのですが、
今回は前日も仕事が忙しく、早朝スタートする余裕がありませんでした。
やっぱり今回もゴールは夜中になりそうです。
無事、千葉までたどり着けるのでしょうか。
[そのほかの総武本線シリーズはこちらから]
2回目: 千葉-佐倉(-成田)
3回目: 佐倉-横芝
4回目: 横芝-銚子
5月26日(土) 歩行区間:御茶ノ水-千葉 天気:曇り
御茶ノ水(5:56発)-秋葉原(6:09)-浅草橋(6:29着・6:31発)-
-両国(6:54着・7:05発)-錦糸町(7:43)-
スタート駅・御茶ノ水駅です。
空はまたしても曇り。
気持ち良く晴れてくれるのは、いつになるんでしょうか。
晴れたら晴れたで暑いのですが。
ホームは2面4線です。
外側が中央快速線で、内側が中央・総武線各駅停車のホームです。
総武線各駅停車の電車は早朝・深夜、御茶ノ水駅始発となります。
ここからの眺めがよく鉄道写真で紹介されますが、
駅改良工事に伴って人工地盤が設けられ、ちょっと残念なことになっていました。
さぁ、千葉に向かってチャレンジウォークの始まりです。
総武線の高架橋が見えてきました。
ここから両国までの高架区間は、開業当初の姿が色濃く残っています。
それ故地震が来たら危ないって聞いたことがあるんですけど、
補強工事はもう行われたのでしょうか。
そのまま電気街になだれ込みました。
もっとも、純粋な電気屋は極端に数を減らしているわけですが。
最初の駅・秋葉原駅に着きました。
今回は構内に入らず、先へ進みます。
まもなく昭和通りに突き当たりました。
昭和通りを渡ってからは、
しばらく総武線の高架横を歩きました。
アーチ状の高架下には、
その隙間を埋めるように建物が建っていました。
建物が無い場所では、アーチが余計に大きく感じられます。
いったん線路から離れて、裏道っぽい場所を歩いてみました。
今回のような距離が長い全駅間歩きをするときは、
いきなり「千葉まで歩くぞ!」なんて思わない方が良かったりします。
たとえば「とりあえず両国まで」と近い目標を設定して、
両国に着いたら「次は亀戸まで」といった感じに新たな目標を立てて、
目標を少しずつゴールに近づけていく方が気は楽です。
大通りに出れば、浅草橋駅はすぐそこです。
浅草橋駅に着きました。
入口は高架下ではなく、小道を一本挟んだ建物の下にありました。
ホームは2面2線の相対式です。
支柱は開業当初からあるものでしょうか。
浅草橋駅を出て、神田川沿いに東へ進みました。
神田川には、屋形船がぎっしりと係留されていました。
やはり、隅田川下りの需要があるんでしょうね。
両国橋を渡りました。
この橋の起源は、明暦の大火まで遡るそうです。
大火の後、この場所に「大橋」という橋が架けられましたが、
当時対岸は下総国だったために、俗称として「両国橋」という名称が広まったそうです。
その後「新大橋」が下流に架けられると、大橋は正式に両国橋と呼ばれるようになったそうです。
ちなみに、現在の橋は関東大震災後に架け替えられたものです。
隅田川に架かるアーチ橋が総武線の鉄橋です。
その奥にはスカイツリーも見えています。
墨田区に入りました。
京葉道路(国道14号)沿いは、相変わらず背の高い建物が建ち並んでいます。
両国駅へ行く前に、
国技館に寄り道してみました。
まだ朝7時前ですが、入口には長い列ができていました。
年明け以来、「角界の闇」がテレビを騒がせていましたが、
早朝からこれだけ並んでいるわけですから、相撲人気は健在ですね。
ちなみに、国技館がある場所は「横網」であって、「横綱」ではありません。
地名の由来も、相撲とは関係なさそうです。
両国駅に着きました。
相撲開催日以外は落ち着いた駅に、やたら立派な駅舎が建っています。
両国駅はかつて、新宿駅や上野駅などと並ぶターミナル駅のひとつでした。
総武鉄道の終着駅として1904年に開業すると、
東武亀戸線経由で東武鉄道の車両も乗り入れ、
房総のみならず北関東方面への拠点としても賑わいました。
その後、総武鉄道の国有化と御茶ノ水延伸で両国駅はいったん衰退しますが、
戦後は房総方面に向かう急行・特急の始発駅として再び賑わいました。
しかし、総武本線の東京延伸によってその役割は東京駅に譲ることとなり、
飲食店となった立派な駅舎と臨時ホームのみが往時を物語っています。
1面2線の島式ホームのほかに、1面1線の臨時ホームが設けられています。
この臨時ホームこそ、終着駅だった頃に使用されていたホームです。
気づけば、去年運行開始の「B.B.BASE」が止まっていました。
どうりで、駅前に自転車乗りがたむろしていたわけだ。
駅前の道を京葉道路まで戻ったところに回向院がありました。
現在は線路北側にある国技館ですが、
蔵前に移るまでは回向院の敷地内に国技館がありました。
国技館ができる前から、回向院では長らく勧進相撲が行われていたそうです。
回向院の裏手に回ってみました。
しばらく進むと、こんな一角が。
ここは、忠臣蔵で有名な吉良上野介の屋敷があった場所です。
吉良邸跡として整備されている場所は全体の一部で、
実際はこのあたり一帯が全部吉良邸の敷地だったそうです。
そのまま馬車通りに入って、東へ進みました。
沿道には銭湯があったりと、下町色が濃くなってきました。
一直線に開けた場所に運動広場が設けられていました。
この下には大横川が流れています。
四ツ目通りに合流しました。
隅田川から数えて4番目の橋を通る通りなので、四ツ目通りと名付けられました。
今はたくさん橋が架かっているので、4番目ではないのですが。
四ツ目通りを線路まで歩けば、錦糸町駅です。
(その2へ続く)
御茶ノ水駅から亀戸駅までのGPSログ(1/60,000)です。
なるべく京葉道路を歩くのを避けつつ、歩行距離も節約気味のルートをとりましたが、
亀戸天神は立ち寄りたかったので、錦糸町-亀戸間は少し大回りをしました。