奥羽本線全駅間歩き1(福島-米沢) その5・板谷峠は2度越える | 駅から駅まで・旅のあしあと

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今は東海~北海道エリアを歩いていますが、目指すは全国全路線全区間踏破!
そんな壮大な目標、たぶん一生レベルでかかるので、長い目で見守っていただけるとうれしいです。
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その4からの続き

 

 

2日目の朝を迎えました。

昨夜の頭痛はすっかり良くなりました。

これなら今日も問題なく歩くことができそうです。

 

今日は板谷峠を越えるため、

昨日に比べればアップダウンがありますが、

峠を越えてしまえば一方的な下り坂に変わり、しかも歩行距離は昨日よりも短いので、

昨日を越えることができたのならば、今日もたぶん大丈夫でしょう。

なにより、今日は気持ち良く晴れてくれるはずです。

 

朝食を終え、昨日の朝見た列車と同じ列車に乗って、福島駅を出発しました。

板谷峠を越える数少ない普通列車のうちの1本ですが、

乗客は2両で10人あまりと、やっぱり少なめでした。

18シーズンならもっといるんでしょうけど。

 

 

5月22日(日)  歩行区間:板谷-米沢  天気:晴れ

板谷(8:40発)-板谷峠(9:13)-峠(9:40着・10:10発)-板谷峠(10:40)

 

 

板谷駅に着きました。

自分一人を降ろすと、列車は静かに駅を後にしました。

 

 

 

現在の板谷駅です。

ホームはスノーシェッドの中にあり、

福島方ホームの入口には、ログハウスの待合室があります。

 

 

 

駅構内に、下り36‰(パーミル)の勾配標識が立っていました。

板谷駅を出た電車がロケットスタートを切るのも頷けます。

 

 

準備体操を終えたら、2日目の全駅間歩きに出発します。

 

 

 

今日は、ゴールの米沢駅付近まで

おおむね板谷街道を歩くことになります。

 

旧板谷駅の引上線をオーバークロスすると集落は途切れ、山道が始まりました。

スノーシェッドを外側から眺めると、ちょっと違う感じがしますよね。

 

 

板谷街道は、戦国時代の伊達氏が所領の管理と会津へ侵攻するために開削した

戦道(いくさみち)がそのルーツといわれています。

1590年に会津へ国替えとなった蒲生氏が街道として整備し、

1601年に上杉氏が米沢に転封されると、米沢藩が管理することになったようです。

 

ところが、江戸時代の米沢藩(=上杉氏)といえば、

江戸市中でも有名になるくらいの貧しい藩だったようで、

財政が逼迫しはじめると、板谷街道は荒れるに任せる状態になったそうです。

江戸時代中期に、上杉鷹山による米沢藩の財政改革が成功し、

ようやく板谷街道は再整備されたそうです。

 

しかしながら、その標高に見合わない難所っぷりは変わらず、

後に再々整備が行われることになりました。

 

 

 

板谷峠へ向かって、登り坂が続きました。

昨日歩いた国道13号とはうって変わって、車の行き来はまばらでした。

それでも、2~3分に1台くらいはすれ違ったような気がします。

 

基本的には林の中を登り続ける道ですが、

時折谷側が開け、美しい山々を目にすることができました。

 

 

 

しばらく進むと、入口が固く閉ざされた建物が見えてきました。

かつては、ここに茶屋と民宿があったようです。

 

やがて目の前に大きな青看板が現れました。

ふたつ先の大沢駅へ向かうにはこの道を直進するのですが、

まずは峠駅に行かなければならないので、この先にある角を左に曲がります。

 

 

 

角を曲がって少し進み、林の中で小さなピークを越えました。

これが板谷街道の最高地点・板谷峠(標高755メートル)です。

 

鉄道の峠越えと同名ということもあって、それなりに知名度はある峠ですが、

峠のピークにも、その周辺にも、ここが峠であることを伝える看板はありません。

米沢に向かう県道上ではなく、峠駅へ向かう市道に峠があるのもちょっと不思議です。

さらに言えば、峠周辺の見晴らしもいまひとつ…。

 

 

 

板谷峠を越えると下り坂が始まりました。

峠道らしく、林の中をカーブを繰り返しながら少しずつ下っていきました。

 

やがて、峠駅方面と滑川温泉・姥湯温泉方面への分岐点にさしかかりました。

ここまで来れば、峠駅まであと少しです。

 

 

 

さらに10分ほど歩いて、峠駅の入口にさしかかりました。

入口周辺には1~2軒の民家と茶屋があるのみで、集落と呼ぶのもおぼつきません。

目の前のスノーシェッドには、かつてはスイッチバックの引上線が通っていました。

現在の峠駅は、このスノーシェッドの中にあります。

 

 

 

スノーシェッドに入る前に、旧ホームを見ておきたいと思います。

 

こちらは、ホームの土台や架線柱が残っているものの、

線路は背の高さまで繁った雑草に覆い隠されていました。

旧ホームの端にも、有効長を稼ぐためのスノーシェッドが設けられていました。

 

 

 

峠駅へと続くスノーシェッドに入りました。

規則正しく続く鉄骨の組み合わせが美しい…。

 

 

 

別アングルからもう1枚。

 

これらスイッチバック跡が近代化産業遺産に指定されるだけのことはあります。

プレートは板谷駅に飾られているので、興味ある方はぜひ。

 

 

 

峠駅に着きました。

スノーシェッドの中に島式ホームが設けられ、

中央には待合室も設けられています。

 

現在の駅もスイッチバック時代の遺構を活用しており、

新しく作られたホームに立っていても、歴史を感じることができます。

 

 

 

ちょうど新幹線が通過しました。

 

 

 

そして、峠駅といったらここを忘れちゃいけません。

「峠の力餅」でおなじみの峠の茶屋です。

 

今日は休日とあって、

ひっきりなしにお客さんが来ていました。

 

 

 

せっかくここまできたので、お土産に「峠の力餅」を買いました。

ついでに軽食とばかりに、ずんだ餅も注文しちゃいました。

 

 

これを語らずして板谷峠を語れない「峠の力餅」ですが、

その始まりは、峠の茶屋ホームページ等によると、

羽州米沢街道の「助け」という茶屋で働いていた初代店主が

奥羽本線の敷設工事に従事していた際に大福餅を提供したことによるそうです。

その方は小柄でありながら力持ちだったことから、その餅を「峠の力餅」と名付けたそうです。

 

「羽州米沢街道」が板谷街道を指しているのか今ひとつはっきりしませんが、

米沢市史によると、江戸時代の板谷街道には「本助小屋」と「新助小屋」という

旅人を介護する施設が板谷峠周辺に存在していたそうで、

おそらくは、どちらかの流れをくむ茶屋で働いていたのではないかと思われます。

 

 

茶屋に腰掛けてずんだ餅を食べ終える頃には、

峠駅到着から30分が過ぎようとしていました。

 

 

 

さて、次の駅へ向かいます。

このまま線路伝いに進みたいところですが、

道は峠駅構内で途切れており、線路伝いに進むことはできません。

次の駅・大沢駅に向かうには、板谷駅から登ったあの道を進むしかありません。

 

というわけで、さっき左に曲がった「青看板の角」まで引き返します。

それにしても、板谷峠を越えた先で道が途切れているのは、なんとも不自然です。

これには深い訳があったわけなんですけど、それは次回で。

 

 

 

サルがいました。

 

 

 

板谷峠をもう一度越えました。

 

峠近くの少し開けた場所から福島方面を撮ってみました。

せっかくの峠なのに、あまり見晴らしが良くないのはちょっと残念…。

 

 

その6へ続く

 

 

板谷駅から大沢駅手前までのGPSログです(1/60,000)。

板谷駅から峠駅までの区間には、標高差200メートルほどの登りがありますが、

他の駅間と比べればそれほど長くはないため、1時間~1時間半ほどで歩くことができます。

 

板谷駅-峠駅間は背丈をゆうに超える積雪となる冬期でも通行可能ですが、

分岐点(図中青い線が交差している地点)から大沢方面は冬期通行止めとなるため、

冬期(12月~5月上旬)に板谷駅・峠駅から大沢駅の間を歩くことはできません。