(その2からの続き)
-土気(12:32着・13:30発)-大網(14:46着)-
いつのまにか住宅地に入っていました。
別に、しばらく写真撮るのをサボってたわけじゃありませんよ。
左の写真は、前回最後の写真を撮った場所から3分ほど歩いた場所です。
たった3分で、周囲の風景ががらっと変わってしまいました。
もちろん、次の駅はまだまだ先です。
住宅地を5分ほど歩くと、調整池が見えてきました。
この調整池は、もともと谷戸に流れていた小川をせき止めて造られたようです。
背後に迫る丘と一体で、今でも里山の生態系が残されているそうです。
そんな池は、野鳥の休憩場所にもなっていました。
背後の丘を登ると、再びこんな風景が待っていました。
農村を歩いてると思ったら、いきなり住宅地になって、
また農村に戻ってきました。
なんだか懐かしさを覚える風景です。
大網街道に合流して、東へ向かいました。
しばらく進むと歩道は広くなり、ふたたび住宅地に入りました。
ここまで来れば、土気駅まであと少しです。
台地の上というのは、必ずしも平坦では無く、
こぶのようなアップダウンが所々にあるものです。
ここもそんな感じで、駅に着くまでに軽いアップダウンを2~3度こなすことになりました。
疲れるほどじゃないけど、なんだか嫌がらせを受けてるような気分でした。
土気駅に着きました。
「つちけ」でなければ、「どき」でもありません。「とけ」と読みます。
やっぱりこれも初見じゃ読めませんよね。
乗降客数は、千葉駅を除く外房線の駅では蘇我、鎌取に次いで3番目の多さを誇っています。
目の前にショッピングモールがある南口がメインのように思われますが、
30年ほど前までは北口しかなかったというのだからちょっとびっくり。
ホームは1面2線の島式です。
次の大網駅との間で峠を越えます。
ここで昼食を食べておきたいと思います。
いよいよ大網に向けて出発です。
先ほど歩いてきた西側に比べると、東側は新しい家が多いという印象で、
しばらく進むと、空き地もちらほら見えるようになりました。
そのまま大網街道に合流して東へ進んでも大網駅に着きますが、
今回はあえて別のルートを歩いてみることにしました。
大網街道を少しだけ北に進み、小道に入りました。
さらにしばらく進むと、緩やかな登りが始まりました。
まもなく峠の頂点にさしかかりました。
蘇我駅からここまで緩やかに登り続けてきたので、
峠越えといっても、土気駅からは20~30メートルほどしか登っていません。
ここにはかつて土気城があったそうです。
戦国時代には難攻不落といわれた城で、遺構も所々に残っているそうです。
左写真の石垣で囲まれた場所には、かつて空堀が走っていたそうです。
二の丸跡のゲートボール場を通り過ぎると、下り坂が始まりました。
下り坂が始まると、道はいきなりこんな感じになりました。
木の枝が堂々と道路までせり出し、
落ち葉の積もり具合は、ほとんど車が通っていないことを物語っていました。
なんというか、この先通行止めだから道荒れてますよ~って雰囲気でした。
とりあえず、通行止め標識も何も無いのでそのまま歩いたのですが、
風景が一変したので、思わず不安になってしまいました。
そのまま5分ほど歩くと、外房線をオーバークロスしました。
とりあえず道は間違っていなかった…と思ったのもつかの間、
この先の分岐で道が分からなくなってしまいました。
最短距離で大網駅へ向かうには、分岐から少し坂を登る方向に歩くのが正解ですが、
直感的に坂を下る方向に歩いてしまい、ドツボにはまってしまいました。
どっちに歩いても大網駅には行けるみたいですが。
正解ルートをしばらく歩くと、民家が見えてきました。
道に積もってた落ち葉も消え、行き止まりの不安からも解放されました。
周囲が一気に開けました。
どうやら峠を下りきったようです。
土気駅からはろくに登らなかったのに、たっぷり下ってきました。
谷底には水田が広がっていました。
谷に響き渡る「ガタンガタン」という音とともに、
普通列車が峠を下ってきました。
遠くに大網駅が見えてきました。
大網街道に戻ってみると、民家は増えてきたものの、歩道はあったり無かったり。
あまり駅前らしい雰囲気になることなく、駅が迫ってきました。
(その4へ続く)
誉田駅先から土気駅先までのGPSログです(1/60,000)。
このあたりには、大規模な住宅団地だけではなく、中小の住宅地も点在しています。
必ずしも住宅地が連続しているわけではないため、
今回のように、農地と農地の間に住宅地が広がっているような場所もあります。