(その3からの続き)
-竜王(16:38発)-塩崎(17:56着・18:05発)-韮崎(19:05着)
再び国道に戻って、西陽を正面に浴びつつ西へ進みます。
晴れていましたが、時折、帽子が吹き飛びそうなくらいの強い風が吹きました。
釜無川にさしかかりました。
途中から「富士川」に名前を変える川だけあって、中流付近でも広い河原を有しています。
信玄橋で一気に渡りますが、川幅が広いため、橋がずっと続いているような感じがします。
途中から「富士川」に名前を変える川だけあって、中流付近でも広い河原を有しています。
信玄橋で一気に渡りますが、川幅が広いため、橋がずっと続いているような感じがします。
信玄橋には、堤防へと降りる階段がついています。
ちょっと寄り道して、河原まで降りてみることにしました。
信玄橋から堤防を少し北へ進むと、
河原に謎の木造物体が並べられていました。
これは「聖牛」と呼ばれる、武田信玄が創案したとされる水防構造物なんだそうです。
急流部に設けることで川の勢いを抑える効果があるそうで、
現代でもその技術は至る所で活用されているそうです。
釜無川は、かつて暴れ川として知られた川で、
たびたび大規模な洪水が発生し、あふれた水は甲府まで届いたそうです。
釜無川の流路を固定するべく行われたのが、いわゆる「信玄堤」の建設でした。
写真右の木々は堤防上に植樹された森で、信玄堤の一部を構成しているそうです。
ちょっと寄り道して、河原まで降りてみることにしました。
信玄橋から堤防を少し北へ進むと、
河原に謎の木造物体が並べられていました。
これは「聖牛」と呼ばれる、武田信玄が創案したとされる水防構造物なんだそうです。
急流部に設けることで川の勢いを抑える効果があるそうで、
現代でもその技術は至る所で活用されているそうです。
釜無川は、かつて暴れ川として知られた川で、
たびたび大規模な洪水が発生し、あふれた水は甲府まで届いたそうです。
釜無川の流路を固定するべく行われたのが、いわゆる「信玄堤」の建設でした。
写真右の木々は堤防上に植樹された森で、信玄堤の一部を構成しているそうです。
釜無川の対岸に渡りました。
ここからは再び堤防を北へ向かいます。
ここからは再び堤防を北へ向かいます。
釜無川を再び渡りきったところで、滑走路が見えてきました。
しかし、山梨県には旅客機が発着する空港はありません。
これはどう見ても滑走路ですが…いったいどういうことなんでしょうか。
実は、この滑走路は日本航空学園という高校の中にあります。
「航空」という名前があることからもわかるように、航空機を使った実習も行われています。
つまり、山梨県唯一の滑走路は、航空機実習のために使用されているのです。
この滑走路は、今年2月の山梨県豪雪の際にも大活躍しました。
豪雪により県内全域で1メートル以上の積雪に見舞われ、山梨県全体が一時孤立しました。
そのとき、この滑走路の一部を除雪し、ヘリコプターの発着場として開放したのです。
これにより、孤立状態の山梨県に物資の補給が可能になりました。
しかし、山梨県には旅客機が発着する空港はありません。
これはどう見ても滑走路ですが…いったいどういうことなんでしょうか。
実は、この滑走路は日本航空学園という高校の中にあります。
「航空」という名前があることからもわかるように、航空機を使った実習も行われています。
つまり、山梨県唯一の滑走路は、航空機実習のために使用されているのです。
この滑走路は、今年2月の山梨県豪雪の際にも大活躍しました。
豪雪により県内全域で1メートル以上の積雪に見舞われ、山梨県全体が一時孤立しました。
そのとき、この滑走路の一部を除雪し、ヘリコプターの発着場として開放したのです。
これにより、孤立状態の山梨県に物資の補給が可能になりました。
到着したときは駅員がいたので、入場券を買って構内に入ったのですが、
駅を出るときには駅員はいなくなり、自動券売機も使えなくなっていました。
駅を出るときには駅員はいなくなり、自動券売機も使えなくなっていました。
ホームは2面2線です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200418/13/oaksky84/8a/47/j/o0600045014745353938.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200418/13/oaksky84/0c/22/j/o0600045014745353942.jpg?caw=800)
進行方向に甲府盆地西縁の山々がはっきり見えてきました。
道はゆるやかな上り坂となり、甲府盆地の終わりが近づいてきたことを感じさせます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200418/13/oaksky84/f2/85/j/o1000075014745353945.jpg?caw=800)
塩川を渡り、韮崎市に入りました。
陽は既に隠れ、周囲は薄暗くなってきました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200418/13/oaksky84/2f/a7/j/o1000075014745353967.jpg?caw=800)
中心部の交差点から駅へ向かう県道27号線に入ると、
駅が近いことを感じさせる、ちょっと懐かしい雰囲気が漂う商店街が続いていました。
中心市街地なのに道行く人が少ないのは、時間のせい…なんでしょうか。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200418/13/oaksky84/5b/c6/j/o1000075014745353972.jpg?caw=800)
今日のゴール駅、韮崎駅に着きました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200418/13/oaksky84/da/24/j/o0750100014745353975.jpg?caw=800)
韮崎といえばサッカーの町です。
中田英寿をはじめ、有名サッカー選手を多数輩出する韮崎高校もこの近くにあります。
そんな駅前には、もちろんサッカー選手の銅像が建てられています。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200418/13/oaksky84/bc/8a/j/o1000075014745353983.jpg?caw=800)
韮崎駅は、緩やかな上り坂の途中にホームが設けられており、周囲よりも少し高台にあります。
かつてはスイッチバックが行われていた韮崎駅ですが、
初狩や笹子、勝沼ぶどう郷駅などと同じく、本線上に長い島式ホームが設けられています。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200418/13/oaksky84/71/77/j/o1000075014745353978.jpg?caw=800)
周囲がすっかり暗くなったところで、今日の駅間歩きは終了です。
途中、直射日光が厳しい区間もありましたが、ペットボトル丸2本の消費でゴールできました。
最高気温は30度に届いたようにも感じたのですが、実際はそこまでではなかったようで。
帰りの電車が到着しました。
大月までこの電車に乗って、大月からは特急に乗り換えます。
ボックスシートで揺られる1時間余りは、瞬く間に過ぎ去ってしまいました。
てっ!
大月から特急に乗る人って、結構多いんですね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
(おわり)
[6回目(韮崎-小淵沢)へ]
5月24日(土) 歩行区間:塩山~韮崎 天気:晴れ
歩行距離:40.9km 総歩数:67,189歩 日出時刻:4:33 日没時刻:18:52
八王子(6:07発)=高尾(6:13着・6:14発)=<427M>=塩山(7:21着・7:35発)-5.1km-
-東山梨(8:36着・8:50発)-2.7km-山梨市(9:23着・9:35発)-3.2km-春日居町(10:20着・10:30発)-
-4.2km-石和温泉(11:26着・11:40発)-3.9km-酒折(12:26着・12:40発)-4.1km-
-甲府(13:55着・14:45発)-6.9km-竜王(16:24着・16:38発)-6.1km-塩崎(17:56着・18:05発)-
-4.8km-韮崎(19:05着・19:24発)=<354M>=大月(20:34着・20:40発)=<かいじ124号>=
竜王駅先から韮崎駅までのGPSログです(1/54,000)。
釜無川を渡ったあたりから、道は緩やかな登り坂となります。
もっとも、意識していないと登り坂が始まっているとは気づかない程度のものですが。
釜無川を渡ったあたりから、道は緩やかな登り坂となります。
もっとも、意識していないと登り坂が始まっているとは気づかない程度のものですが。
全行程のGPSログです(1/200,000)。
今回は、文字通り甲府盆地を横断しました。
盆地の中央部分を貫いたつもりでしたが、盆地の北辺に沿って歩いていたことが分かります。
どうりで、どこまで歩いても水田が無かったわけですね。
今回は、文字通り甲府盆地を横断しました。
盆地の中央部分を貫いたつもりでしたが、盆地の北辺に沿って歩いていたことが分かります。
どうりで、どこまで歩いても水田が無かったわけですね。
全行程の標高グラフです。
塩山駅から石和温泉付近まで下り坂が続き、
釜無川を渡ってからは緩やかに標高を増しています。
甲府周辺が盆地の底になっている様子がよく分かります。
塩山駅から石和温泉付近まで下り坂が続き、
釜無川を渡ってからは緩やかに標高を増しています。
甲府周辺が盆地の底になっている様子がよく分かります。