納棺夫日記 と 親鸞聖人 ・・四門出遊 | 岡本一志 幸せのタネまき日記

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<納棺夫日記から引用>
   
桂書房 定本 納棺夫日記では35P

人生の四苦である生・老・病・死を解決するのが

本来の目的であったはずの仏教が、

死後の葬式や法要にスタンスを移し、目的を

見失ったまま教条的な説教を繰り返しているのが現状である。


<ここからおかもん>

お釈迦様が仏のさとりを開かれる前

悉達多太子 といわれていたころ

こんなことがありました。

 住居であったカピラ城の東門から出かけた太子



見るに耐えない枯れ木のようになり杖に
すがってようやくあるく人間を見たのです。

太子は、家来に『あれは何者か?』とたずねられた。


『老人でございます。すべての人間は、

   必ず年老いてあのようになるのです。

      
太子とて例外はありません



南門から出かれられた太子。
道端にうずくまりうめき苦しむものをみました。

『あれは何者か?』

『病人でございます。

   すべて人間は、

 必ず病にかかって苦しまねばなりません。

    太子とて例外はありません』


西門から出た太子。葬式に遭遇した。

『あれは何者か?』

『死人でございます。生あるものは必ず死に帰す。

 どんな屈強な人も死ねばあのように動かなくなり、

 焼かれて一つまみの白骨になるのです。

      太子とて例外はありません』

それからしばらくして、北門から出かけました。

 出家修行者に遭遇した太子は尋ねた。


『お前たちは何をしているのか??』

沙門(出家修行者)は、答えました。

『わたくしは、生老病死の苦しみを越えた

   かわらない幸せを求めています。』

老いや病や死を越えた 永遠の幸福・・・・??

「これこそが私が
   本当に求めねばならない

    人生の目的ではないだろうか」

そして29歳のとき、悉達多太子は出家を

           断行されました。


 
この話をはじめて知ったとき、

老い も 病 も 死も 知らないとは 

世間知らずだと 思ったものですが


前の日記にも書いたように、

私たちのリアルな病や老い、や

死から隔離されている現代というカピラ城の中に

いるのではないでしょうか。


 わが身に老いや病や死という現実が突きつけられたとき

 これまで幸せだと思っていたものが、音を立てて崩れます。


 人は病む。いつかは老いる。
 死を免れることはできない。

若さも、健康も、生きていることも、

どんな意味があるというのか。

 人間が生きていることは、

結局何かを求めていることにほかならない。


 老いと病と死とを超えた、

 人間の苦悩のすべてを離れた境地を求めることが、
 
 正しいものを求めることと思うが

 私は間違ったものを求めてしまった・・・

 俳優 沖 雅也の遺言 です



老いや病や死を越えた

 絶対の幸福が あるのか ないのか


 親鸞聖人は 

  
ある この親鸞が生き証人だ

         と 断言されています。

 納棺夫日記 も 

親鸞聖人の教えの中に、その厳存を感じた作者の

感動がつづられたものです。


  このことは

 拙ブログのテーマ一つ

 「いろは歌の真実」

    にもかいています。

 読んでいただくと一層、

理解が深まるのではないかと思います。

   いろは歌の真実 全 16回  

   http://ameblo.jp/oakmonn/theme16-10009157734.html#main




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