日曜日のキジバト -20ページ目

日曜日のキジバト

生成AI/創発/しごでき(にあこがれる)/うまくいく単純なアルゴリズム/読書/職場のストレス

「もうすぐ終わると思っていた作業」が、気づけば1日、1週間、1ヶ月と引き延ばされていく──。

これは怠惰の問題ではなく、現場に潜む構造的な現象だ。


作業の完了予測がずれるとき、多くは「見えている範囲」に集中しすぎている。 この修正だけ、この不具合だけ、この1ファイルだけ……。そう考えて手をつけるが、その先に「例外」があり、「確認項目」が増え、「想定外の関連ファイル」が出てくる。

作業は線ではなく、網の目だ。 一か所を引けば、他がたわみ、補正が必要になる。


もうひとつの理由は、判断の持ち越しである。

手を動かせば進むと思っていたが、途中で「この仕様でいいのか?」「この設計は正しいか?」と迷いが生じる。だが、その場で関係者に相談するには材料が足りず、保留にして手を動かす。

すると、進んでいるようで、核心に近づいていない。


「細かいところは後で詰めよう」 「とりあえず動かそう」

その積み重ねが、気づけば“完了していないが止められない作業”を生む。

しかも、多くの現場では、このような遅延が「報告しにくい」。 進捗として見せられるのは、目に見える成果か、せめて完了した工程だけ。 途中の迷い、詰まり、揺れは、なかなか伝わらない。


「もうすぐ終わる」と自分に言い聞かせることで、焦燥感を抑えようとしている。 けれど、その言葉は、期待と不安のバランスをとるための精神的なブレーキでもある。

作業が終わらないとき、私たちはまず「何がまだ見えていないか」を丁寧に洗い出す必要がある。

  • なにが分かっていて、なにが分かっていないのか

  • どこで止まる可能性があるのか

  • どの判断を先送りにしているのか

そうした問い直しが、前に進む力を取り戻す第一歩になる。


“もうすぐ終わるはずの作業”は、決して嘘ではない。 ただ、その「はず」が成立するには、

  • 情報の可視化

  • 迷いの開示

  • 判断の共有

といった地味な努力が必要だ。

静かに、しかし確実に終わらせるためには、「もうすぐ」の中身を、もっと解像度高く捉えること。

それが、現場の疲弊を少しだけ減らす手がかりになる。

 

職場には、怒鳴る人もいないし、露骨なパワハラもない。むしろ、皆が丁寧に言葉を選び、波風を立てないように気を遣っている。

だが、なぜか人が静かに壊れていく。

その原因がどこにあるのかを言葉にするのは難しい。指示が乱暴なわけではない。対人関係に決定的な亀裂があるわけでもない。けれど、何かが根本的にずれている。


「このくらい、できるよね?」と渡される仕事。その一言に悪意はない。だが、その仕事の背景や影響範囲、必要なスキルセット、現在のチームの余力までは考慮されていない。

どこかで「配慮」が欠けている。

けれど、それは「悪意」ではない。むしろ相手は、負担にならないようにと気を遣ってくれているかもしれない。だが、その気遣いが空回りし、表面的な優しさだけが残っている。


現場の負担は、声にならないまま蓄積されていく。疲労感は共有されず、「なんとかやれている」という外見が維持される。

誰も怒鳴らず、誰も否定せず、誰も責めない。

けれど、それでも人は休職し、辞めていく。


「誰も悪くない」職場が、人を静かに摩耗させているとき、私たちは何を手がかりにすればいいのだろうか。

答えのひとつは、「気配」にある。顔色、言葉の間、Slackの既読の時間。そうした小さな兆候を読み取ることが、唯一の手がかりかもしれない。


優しさのような無理解が、もっとも厄介だ。

言い返す言葉が見つからないまま、ただ目の前の仕事をこなしてしまう。その繰り返しが、心を蝕んでいく。

私たちは、優しさの奥にある空洞を見逃してはいけない。その空洞を埋めるのは、「何も問題がないように見える」職場ではなく、本当の対話である。

人が壊れる前に、空気を疑うこと。

それが、静かに崩れていく職場でできる、最初の一歩かもしれない。

 

現場に降りてくる指示には、納期や仕様だけが書かれていることがある。だが、その仕事の難しさについては、どこにも書かれていない。

その難易度を、本来一番理解しているべき人たちが、実はよくわかっていないことがある。コードの複雑さや仕様変更の影響範囲、関係者の多さ、既存機能との整合性。現場では当たり前に意識されるこれらの点が、指示を出す側にとってはただの「タスクのひとつ」にしか見えていない。

そして、そのままスケジュールが組まれる。


仕事の内容が難しいということは、単純に時間がかかるということだけではない。試行錯誤が必要で、事前に予測できない問題が出てきやすい。検討や相談、再調整の回数も増える。そのすべてが、「簡単そうに見える仕事」とは根本的に違っている。

だが、それを言語化する手間が惜しまれ、共有されない。

すると、現場は二重のプレッシャーにさらされる。

ひとつは、実作業の困難さ。もうひとつは、「なんでこんなに時間がかかっているのか」という無言の疑念。


本来、難易度の見積もりは個人任せにすべきではない。過去の実績や他プロジェクトの知見をもとに、上層からも支援されるべきだ。だが現実には、上の人は見えない場所にいて、判断材料が不十分なまま仕事を振ってくる。そして、現場は「そのくらいでできるだろう」と見なされる。

これは小さなすれ違いではなく、壊れていく職場の初期症状だ。


難しい仕事は、丁寧な説明と配慮があってはじめて、適切に遂行される。それがないまま繰り返されれば、どんなに優秀な人でも摩耗する。

人が静かに折れていくとき、そのきっかけは「怒号」ではない。「無理解」である。

私たちはその兆候を、もっと早く見抜き、もっと早く言葉にしておく必要がある。

「難易度」を軽く扱わない。それだけで、守れる現場がある。