“もうすぐ終わるはずの作業”が終わらない理由 | 日曜日のキジバト

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「もうすぐ終わると思っていた作業」が、気づけば1日、1週間、1ヶ月と引き延ばされていく──。

これは怠惰の問題ではなく、現場に潜む構造的な現象だ。


作業の完了予測がずれるとき、多くは「見えている範囲」に集中しすぎている。 この修正だけ、この不具合だけ、この1ファイルだけ……。そう考えて手をつけるが、その先に「例外」があり、「確認項目」が増え、「想定外の関連ファイル」が出てくる。

作業は線ではなく、網の目だ。 一か所を引けば、他がたわみ、補正が必要になる。


もうひとつの理由は、判断の持ち越しである。

手を動かせば進むと思っていたが、途中で「この仕様でいいのか?」「この設計は正しいか?」と迷いが生じる。だが、その場で関係者に相談するには材料が足りず、保留にして手を動かす。

すると、進んでいるようで、核心に近づいていない。


「細かいところは後で詰めよう」 「とりあえず動かそう」

その積み重ねが、気づけば“完了していないが止められない作業”を生む。

しかも、多くの現場では、このような遅延が「報告しにくい」。 進捗として見せられるのは、目に見える成果か、せめて完了した工程だけ。 途中の迷い、詰まり、揺れは、なかなか伝わらない。


「もうすぐ終わる」と自分に言い聞かせることで、焦燥感を抑えようとしている。 けれど、その言葉は、期待と不安のバランスをとるための精神的なブレーキでもある。

作業が終わらないとき、私たちはまず「何がまだ見えていないか」を丁寧に洗い出す必要がある。

  • なにが分かっていて、なにが分かっていないのか

  • どこで止まる可能性があるのか

  • どの判断を先送りにしているのか

そうした問い直しが、前に進む力を取り戻す第一歩になる。


“もうすぐ終わるはずの作業”は、決して嘘ではない。 ただ、その「はず」が成立するには、

  • 情報の可視化

  • 迷いの開示

  • 判断の共有

といった地味な努力が必要だ。

静かに、しかし確実に終わらせるためには、「もうすぐ」の中身を、もっと解像度高く捉えること。

それが、現場の疲弊を少しだけ減らす手がかりになる。