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日曜日のキジバト

生成AI/創発/しごでき(にあこがれる)/うまくいく単純なアルゴリズム/読書/職場のストレス

スマホで検索すれば、どこにでも行ける時代。
けれど、そこにはなぜか「行きたい場所」がないと感じることがあります。

 

地図アプリに表示されるのは、評価のついた店、話題の観光地、便利な経路。
でも、そういう整えられた場所には、いまの自分が落ち着ける余白がありません。

 

だから時々、“地図に載らない場所”を探しに行きたくなります。

 

駅から少し歩いた先の、草むらのそばのベンチ。
用水路沿いの道の終点にある、名前もない空き地。
古いアパートの裏手にある、小さな広場。

 

誰かにおすすめされるわけでもなく、
レビューも星もない、ただそこにある風景。

 

そんな場所に腰を下ろすと、
“誰かの期待に応える自分”や、“うまくやろうとする自分”が、
ふっとどこかへ消えていきます。

 

代わりに現れるのは、
空の色をゆっくりと目で追う自分。
草のにおいを感じる自分。
何も考えず、ただ風に揺れる木の音を聴いている自分。

 

それは、何者でもない、でも確かに“自分”と呼べる存在。

 

忙しさに押し流され、他人の目に引きずられ、
どこかに置いてきてしまった自分の輪郭が、
地図に載らない場所で、静かに戻ってくる気がします。

 

「どこに行けばいいかわからない」──
そんなときこそ、地図に載らない場所を歩いてみるのもいいかもしれません。

何も変わっていないように見える日々がある。
昨日と同じ場所で起きて、同じ道を歩いて、同じように仕事をして帰ってくる。ふと立ち止まって、自分は今、どこに向かっているのか分からなくなる瞬間がある。

目に見える成果がないと、「止まっている」と感じてしまう。
でも本当にそうだろうか。

 

植物が芽を出す前には、まず地面の下で根を張る。
どれだけ目を凝らしても見えないけれど、静かに、確かに、地中では大事な準備が進んでいる。
それと同じように、人の成長も、外からは見えないところで進んでいることがある。

 

うまくいかなかった経験を引きずったまま、それでもやめなかった日。
誰にも気づかれない小さな改善を繰り返した日。
前と同じように見えるけど、少しだけ考え方を変えてみた日。

 

そんな日々を積み重ねることで、知らないうちに自分の内側に“根”が張られていく。
それは折れにくさであり、ぶれにくさであり、いずれ何かを支える土台になる。

 

他人からの評価や、目に見える進歩がないと不安になるのは当然だ。
でも焦らなくていい。
今はまだ地面の下で根を張る時期なのかもしれない。

 

根は深くなるほど、強く、しなやかになる。
見えない成長を信じて、今日も静かに過ごせばいい。
その一日一日が、いずれあなたの歩みに厚みを与えてくれる。

予定のない休日。
朝、目が覚めても、急ぐ理由がない。
行く場所も、会う人も、決まっていない。
少し前までは、それが物足りなく感じていた。
だけど最近、そんな「何もない一日」こそが、自分にはちょうどいいと思うようになってきた。

 

ベッドの中でしばらくゴロゴロして、ようやく起きて、
洗ったままの食器を片づけて、インスタントの味噌汁をすすって、
部屋の片隅にたまったホコリに気づいて、ようやく掃除機を出す。
すべてがゆっくりと流れていく。

 

時計を見て「もうこんな時間か」と思いながら、
あえて外には出ず、窓から差し込む光だけを楽しむ。
人と話す予定がないから、言葉を整える必要もない。
SNSも今日は開かずに、目の前の風景をただ受け取っていく。

 

そういう一日は、何も「生産」していないようで、
実はずっと、心が回復している。
誰の役に立たなくてもいい。
見えない何かを追わなくてもいい。
それを赦すための時間が、こういう「何もない休日」なのだと思う。

 

とくに何もしていないけれど、夕方には心がすこし澄んでいる。
「ああ、今日はよかったな」と思える。
その感覚があるだけで、明日を迎える準備になる。

 

忙しい日々を乗りこなすためには、
たまには、何も乗らない休日があっていい。