スマホで検索すれば、どこにでも行ける時代。
けれど、そこにはなぜか「行きたい場所」がないと感じることがあります。
地図アプリに表示されるのは、評価のついた店、話題の観光地、便利な経路。
でも、そういう整えられた場所には、いまの自分が落ち着ける余白がありません。
だから時々、“地図に載らない場所”を探しに行きたくなります。
駅から少し歩いた先の、草むらのそばのベンチ。
用水路沿いの道の終点にある、名前もない空き地。
古いアパートの裏手にある、小さな広場。
誰かにおすすめされるわけでもなく、
レビューも星もない、ただそこにある風景。
そんな場所に腰を下ろすと、
“誰かの期待に応える自分”や、“うまくやろうとする自分”が、
ふっとどこかへ消えていきます。
代わりに現れるのは、
空の色をゆっくりと目で追う自分。
草のにおいを感じる自分。
何も考えず、ただ風に揺れる木の音を聴いている自分。
それは、何者でもない、でも確かに“自分”と呼べる存在。
忙しさに押し流され、他人の目に引きずられ、
どこかに置いてきてしまった自分の輪郭が、
地図に載らない場所で、静かに戻ってくる気がします。
「どこに行けばいいかわからない」──
そんなときこそ、地図に載らない場所を歩いてみるのもいいかもしれません。