中年期の“抜け感”を武器にする働き方 | 日曜日のキジバト

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かつては張りつめていた。
すべてのタスクに全力で応えようとしていたし、どんな会話にも正確に答えなければならないと思っていた。
でも、今はちがう。

言葉がすぐに出てこないこともある。
以前のように徹夜すれば翌日もなんとかなる、という体力ももうない。
若いころのように、熱量だけで突破できる局面は減っていく。

それは「衰え」なのか?
あるいは「抜け感」なのか?

■ “すべてに応える”幻想からの脱却

中年になると、若手の勢いにも、管理職の期待にも挟まれるポジションに置かれやすい。
どちらにも応えようとすると、どうしても「埋まらない何か」に直面する。
完璧にこなそうとしていた自分に、無理が来るのもこの時期だ。

でもここで、一つの前提を手放す必要がある。
「全部を完璧にこなさなければいけない」という思い込みを。

むしろ、「あえて余白を残す」姿勢こそが、まわりにとっても風通しのいい存在になることがある。
自分がすべてを握らないからこそ、他の人が育ち、組織が回る。

■ “抜け感”は、熟達のしるしでもある

言い換えれば、“抜け感”とは、「無理をしない」「自分の限界を知っている」「必要なときには力を出せる」状態だ。

これは若いころには得がたく、年齢を重ねたからこそ得られる態度でもある。
たとえば、緊急対応の場面で必要以上に慌てず、「これは今日中に直さなくても支障はない」と見極められる目。
あるいは、細部を詰めすぎることなく、「ここは7割でいい」と判断する割り切り。

それは、経験のなかで編み出された“引き算の技術”だ。

■ 頼られるけど、依存はされない存在へ

中年期に差しかかると、「頼られること」に喜びを感じる反面、それが過剰になると自分がつぶれてしまう。
そこで必要なのが、“少し抜けた人”になること。
「この人に頼れば全部やってくれる」と思わせない程度に、「でもここぞというときには支えてくれる」と思われる存在。

これは絶妙な距離感だ。
100%の期待には応えないけれど、50%の期待には確実に応える。
そのバランス感覚は、意識して育てる必要がある。

■ “ちゃんとしすぎない”からこそ、人が寄ってくる

「抜け感」のある人は、まわりから見て近づきやすい。
ミスをしても笑って流す、完璧ではないけど整っている、そんな人物像は、チームの安心感を生む。
若手からの相談も、突っ込みどころがない相手より、「ちょっと隙のある人」に集まりやすい。

つまり、“抜け感”は信頼の土台になる。
それは「甘えさせる」ということではなく、「無言の圧を出さない」姿勢のことだ。

■ “引き算のキャリア”をはじめよう

今からは、「詰め込むキャリア」ではなく、「そぎ落とすキャリア」が始まる。

・全部に答えない
・全部を見ない
・全部を引き受けない

けれど、「ここだけは自分の役目」という場所は、確実に守る。
その引き算のなかに、中年以降の“働き方の品格”が宿る。