可成寺 戦国の森一族 | 落人の夜話

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戦国の森一族はまことに凄まじい一族で、織田信長の股肱で知られる森可成は元亀元年(1570)、近江宇佐山で浅井・朝倉連合軍の猛攻を受け討死。
『寛政重修諸家譜』によると、彼の父である可行こそ天寿を全うしているものの、土岐氏に仕えた祖父の可秀や曾祖父の可房はいずれも近江国において討死。
長男の可隆は、父に先立つ越前天筒山城攻めで討死。
次男の“鬼武蔵”こと長可は天正12年(1584)、尾張長久手の戦場で徳川方の狙撃を受け討死。
信長の小姓で有名な三男の乱丸、四男・坊丸、五男・力丸は、天正10年(1582)、京都本能寺で信長に殉じて討死。
 

岐阜県可児市の可成寺(かじょうじ)にある森家の墓所で、傍らの案内板にずらりと並ぶ「討死」の文字をみたときは、これでよく断絶せずに…なんて、思わず独り言が出ました。

 

可成寺は元亀2年(1571)、金山城主だった森長可が、戦死した父の菩提を弔うために創建した寺。だからその寺の名の通り、森可成の親子関係を中心とした一族の霊が祀られています。

 

その中で討死していないのは可成の父と、可成が死んだ年に生まれた末っ子の六男、それに可成の弟で可政という人が、森家を一時出奔したおかげで生き残っています。

ですが可房から長可まで5代の間、少なくとも当主4人を含む男子8人の死因が討死とは、戦国の世とはいえなかなか尋常でない戦死率でしょう。
 

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10月、降り続く霧雨のなかで金山城に登ったあと、城下にある可成寺の前を通ったので立ち寄ってみました。

 

ここはもともと城の東にある「寺が峰」という場所にあったそうですが、小牧長久手の合戦(天正12年:1584)で森長可が戦死し、森家が信州川中島へ転封となったあと当地に移されたそうです。

 

ちなみに近隣には森可成の妻・妙向尼が葬られた常照寺もあるのですが、この日は天候と時間の都合もあって立ち寄れませんでした。

 

 

瓦に見えるのはJALのロゴではなくて、森家の著名な家紋、鶴丸の紋。

ここが森家の菩提寺であることを示しています。

 

 

 

森家の墓所は寺の境内を抜け、少し奥まった場所にあります。

古い案内板の先には、まず苔むした多くの墓塔が並んでいました。

 

森家ゆかりの人々でしょうか。今なお主家の手勢のような配列の墓石群に、まるで兵馬俑の中を歩くみたいな緊張感を感じつつ、前の道を通って一番奥が森一族の墓所でした。

 

 

 

左上が正面にあたる4基の墓塔。

左から武蔵守長可、三左衛門可成、越後守可行、傳兵衛可隆

右上は正面右側の3基。

同じく左から坊丸乱(蘭)丸力丸となっています。

 

壇上を囲む白壁は、さながら本陣に張り巡らせた陣幕のようです。これが合戦場であれば、一族はこの墓と同じ席次で床几に座っていたでしょうか。

だとすれば、私の位置は戦況報告に駆け込んだ使番か、さもなくば実検に供された首か…

 

そこまで妄想してひとり寒気を覚えたのは、他に誰もいない墓所で、降り続く雨のせいもあったでしょう。

私は墓の主たちに勝手な妄想を謝して手を合わせると、早々に暖かい車の中へ戻ったのでありました。

 

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森氏の本姓は源氏。『寛政重修諸家譜』によれば、かの八幡太郎義家が七男・陸奥冠者義隆の末裔にあたり云々…という家伝の真偽については、この記事の興味ではありません。

ただ、歴史上の輪郭がくっきりしてくる存在は、やはり大永3年(1523)に生まれた森可成あたりからでしょう。

 

可成が生まれたのは今の岐阜県笠松町あたりと云われ、父の代までは美濃国の守護・土岐氏に仕えていたのを、斎藤道三の台頭によって織田家に転じたようです。

織田信長が若年のころより仕えた最古参の家臣の一人で、彼の生涯はほとんど信長とともにあります。“槍の三左”と呼ばれ、合戦と武勇にまつわる逸話も数多あります。

しかし、森家が近世大名として存続し、明治に至って華族に列するほどの家名を保ったのは、彼が正妻(妙向尼)との間に多くの子女をもうけていた手柄かも知れません。

 

兄たちが次々と戦死したあと、わずかに生き残った六男・仙千代こと忠政は、のちに作州津山藩18万石の祖となって森家繁栄の基となります。ただ、64歳で天寿を全うした忠政はここにはおらず、京都大徳寺に葬られています。

 

ここは大名になった子孫たちが栄える前の時代、戦国の森一族が鎮まる…

いやあ、鎮まっているかどうか。

やっぱり私の印象のなかでは、いまだ戦陣のなかで猛々しい武者声をあげているような、そんな人々の墓所に思えて仕方ありませんでした。

 

 

 

クローバー訪れたところ

【可成寺】岐阜県可児市兼山596