私の母は、天使のように優しく、朗らかな人として、親戚や知り合いに評判でした。確かに、一面において、それは正しかったと思います。しかし、その内面は、豊かな人生の代わりに、苦しみと歪みで満ちていました。
母が普通の人とは違うということに気づき始めたのは、いつのことだったか、よく覚えていません。どこが違うかと問われれば、抽象的ですが、「自分」が無いのです。
献身的なのではありません。自分で考えたり、判断したりせず、とにかく周囲に合わせることが母の生き方でした。このような姿勢は、母方の祖母と父の影響だったと思います。
父は、結婚後、私の母の実家に同居していました。いわゆるマスオさんの状態です。ただ、2世帯住宅で、食事等は父、母、私と祖父母とで別々でした。
このため、母は、結婚後も、祖母がなくなるまで祖母と同居していました。
祖母は私に対しては厳しい顔を見せませんでしたが、母に対しては非常に厳しかったと聞いています。それも、専ら学校の成績に関してのことであり、家事や躾を教わることはなかったようです。父が言うには、結婚当時、母は家事が一切できなかったそうです。
祖母は神経質な人だったようです。そして、祖母が怖かった母は、祖母に対して神経質になっていました。祖母は子供があまり好きでなかったようで、小学生低学年の頃、初めて友達を家に呼びたいと申し出た私を母は怒鳴りました。「うちにはお祖母ちゃんがいるでしょ! 何考えているの!」。泣きながら友達に断りの電話を入れたことを覚えています。
ちなみに、その後は、次第に友達を呼べるようになりました。1回呼んでみたら、特に問題なかったということではないかと思います。
さて、父も、亭主関白を是とする人でした。このため、結婚前は専ら祖母に押さえつけられていた母は、結婚後、祖母とは多少距離ができたものの、父に押さえつけられることになりました。
母は、祖母と父の顔色をうかがって生き続けました。父の機嫌を損ねないよう、会話の内容も、父に合わせることに神経を使っていました。母自身が何を考えているか、どう思うかではなく、父が何を望んでいるかが問題だったのです。男尊女卑を好んだ父に迎合して、母が積極的にそれに賛成する発言をする始末でした。
そんな母が、唯一優位に立てるのは、私との関係でした。
母は、私を、育てるべき子供というよりも、世話すべきペットとして扱いました。ペットはただ飼い主に世話され、飼い主を癒していればよいのです。祖母が母に何も教えなかったように、母も私に何も教えませんでした。代わりに、私が何かをやろうとすると、必ず馬鹿にし、からかいました。ペットに自主性や自立など必要ありません。
祖母と違うのは成績のことでうるさく言わなかったところですが、それも小学生まででした。中学生になると成績のことしか頭になくなりました。高校受験時から成績が上がったことをきっかけに、母は優しくなりました。しかし、このことは、母の中では成績イコール人間の価値なのだと確信させるものでした。
母は、時々、突然怒り出すことがありました。内容は機嫌次第であり、翌日には一転「どうでもいい」と言い出すなど、一貫性がまるでありませんでした。父に機嫌次第で気まぐれに押さえつけられた反動ではないかと思います。
祖母や父は、母の話や気持ちを聞こうとはしませんでした。同様に、母は私の話や気持ちを聞こうとはしませんでした。常に一方通行でした。
また、母は極端に責任を負うことを嫌いました。私が小学生の頃、レンタルビデオ店に行ったのですが、カードを私の名前で作りました。母と一緒に借りた作品について、貸出期限超過でレンタルビデオ店から電話がかかってきたときも、何のためらいもなく私に電話を渡し、会話に全く関心を示しませんでした。これも、極端に他者に押さえつけられ自由を奪われた結果なのでしょう。
祖母と父に自信を奪われ、劣等感ばかりだった母。私にそれを転嫁する以外に逃げ道はなく、その自信のなさから、交友関係はどんどん狭まっていきました。父は、自分がその遠因となっていることに気づかず、母の交友関係の狭さを批判しました。
以前は風邪もひかなかった母ですが、リウマチを患い、次第に動けなくなっていきました。病弱や虚弱を蔑視する父は、「体が自由に動かせなくなったら、人間としてオシマイだな。」と言いました。
精神的にも弱っていった母は、唯一といっていい友人に多額のお金を騙し取られました。そんな友人だけが母から離れなかったのです。父は母を激しく責め、その後、母の心身は急激に悪化しました。
64歳、平均寿命から言えば早すぎる死ですが、最後の1~2年間、夜になると母の部屋から大泣きする声が聞こえてきたことを思うと、死によって解放されたと思わざるを得ません。
母は本来、優しく善良な人だったと思います。ここには悪い記憶しか書きませんでしたが、いい思い出だって沢山あります。しかし、母の人生は幸福なものとはとてもいえなかったと思います。優しく善良な人間が、どうして断罪されるかの如き生き地獄を味わうのか、その疑問は胸に刺さったままです。