カウンセリングを職業にしているわけではないのですが、産業カウンセラーの資格は持っています。
資格を持っているだけで十分なカウンセリングができることはなく、実践と研鑽による経験の蓄積や技能の向上を図っていない現状で、自分をカウンセラーと称することはできません。
そのような意味で資格を十分には活かせていませんが、資格を取るために得た知識や行った訓練は、色々な場面で役立っています。
カウンセリングの勉強で、最も印象に残った気付きの一つが、人の心は容易には分からない、安易に分かったつもりになってはいけない、ということです。
専門のカウンセラーなら、人の心が分かって当然、救えて当然と思う方もいるかもしれません。
一方、他人に人の心など分かるはずがない、カウンセリングなどまやかしだと思う方もいるかもしれません。
いずれも、一理あると同時に、正確ではないと思います。
カウンセリングには様々な流派がありますが、総じて、その役割は、心に苦しみを抱えた人にカウンセラーが寄り添い、そのやり取りの中で原因を見付け出して、解消に取り組んでいくものといえます。
苦しみの原因も、その解消のための方法も、本人の中にありますが、本人は気付きません。だからこそ、苦しみます。
カウンセラーは、本人から話を聴き、一緒に問題を整理し、原因や解消の糸口を探ります。
ただ、話を聞くだけでなく、様々な技法を用いて、本人が心の内に向き合い、表現できるよう促しながら傾聴します。
カウンセリングは、あくまで、本人の中にある答えを本人と共に引き出すもので、人の心を直ちに読んで救うような魔法ではなく、一方で、そうでないことをもって価値が否定されるものではないといえるでしょう。
本人と共に問題と向き合うには、決して上から目線にならず、誠実に向き合う必要があります。
簡単に分かったつもりになって本人の心の内を決めつけてしまえば、その心は閉ざされてしまいます。
思えば、私はあまり親に心を開けませんでした。それは、親が自分のことを分かってくれないということもありましたが、むしろそれ以上に、聴こう、分かろうという姿勢がなく、分かったつもりになって勝手に内面を決めつけられたことが大きいように思います。
カウンセリングに限らず、分からないから始めて分かろうとする姿勢が、他者を尊重する上で重要なのかもしれません。
(追伸)
先日、久しぶりに実家に戻りました。
近所の石神井公園では、紫陽花や蓮の花が綺麗でした。

























































































