母の旅立ち:正しさを超えて世界を創る人の想い | “迷い”と“願い”の街角で

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確固たる理想や深い信念があるわけではない。ひとかけらの“願い”をかなえるために、今出来ることを探して。

以前から、母が私を産んだ時は大変だったという話は聞いていました。しかし、より具体的な話を、つい最近になって初めて聞きました。


私を身ごもった時、母は40歳手前でした。その高齢のためもあってか、出産に当たっては大きな危険が伴うことが指摘されており、当時、母が入院していた病院において、上層部は堕胎させるという方針でいたそうです。しかし、担当していた若手の医師が出産させると強く主張し、私は生まれることができました。生まれた際は、2000グラムの未熟児でしたが、今では、身長は高めで、太りすぎを気にする体重です。


結果的に私は無事生まれましたが、出産前の結果が読めない時点においては、上層部の判断と若手の医師の判断のどちらが正しかったのかは分りません。なので、その病院上層部を恨む気持ちはありません。しかし、その若手の医師の想いのため、今、私はここにいます。正しいか、間違っているかなど関係なく、その医師の行動が、私を存在たらしめているのは間違いありません。


人の想い、信念、行動について、正しいか、間違っているかの二分的な考察がしばしばなされるところだと感じられます。それによって、時には醜い罵りあいも起こります。しかし、正しいかろうと、間違っていようと、多くの人の想いが折り重なって、この世界は築かれています。そもそも、正しいか間違っているかを単純に割り切ることなどできない中で、確かに存在する人々の想いと、それに基づく世界を認め受け入れることは必要ではないでしょうか。


そして、多くの人の想いと世界を認めた上で、自分の想いに正直に進んでいけばよいのではないかと思います。


大変な思いをして私を産んでくれた母、その母が今年の3月に他界しました。以前から体調は優れなかったのですが、命にかかわるものではなく、そういう意味では突然でした。


上の出産時の話も、葬儀の場で親戚から聞いたものです。


昨年4月から私は一人暮らしをし、実家には2週間に1度くらい週末に帰っていました。偶然にも、予定が立て込み、昨年12月から今年1月までは毎週末帰っていた上、正月休みは長く、ゆっくりと実家で過ごすことができました。天に与えられた母との最後の時間でした。


「おかえりなさい」「いってらっしゃい」という言葉の重みが、温かさが今になって強く感じられます。もっと、これからも言ってほしかったというのが正直なところです。


悲しみ苦しみはもうあまりありませんが、やはり母がいないというのは変な気分です。


母は私にどのような想いを託し、受け継いだ私は何をすればよいのか、それはまだ分りません。


今年、2月までは寒かったですが、母の死と前後して急に暖かくなりました。気づけば庭の梅が咲いていました。親戚は母を春のような人と称していました。母の旅立ちとともに春がやってきました。


自分に嫌気もさす今日このごろですが、人の想いを受け継ぎ、その上に立っているのであれば、自分も想いに正直に、もう少し生きてみよう、もう少し前に進んでみようと思います。