「勝ち組・負け組」という格差社会のもたらす価値観が、社会にどのような影響を及ぼすかについては、何度かこのブログでも考えてきました。今回も、その影響のひとつを考えてみたいと思います。
価値観の多様化と格差社会については語られることもままありました。価値観が多様化し、「より大きな経済的・社会的成功をつかみたい」と考えなくなった人が増えたことが、二極化の要因のひとつと言われることがあります。
しかし、本当に価値観は多様化しているのでしょうか。私は、一面ではその通りだと思いますし、一面ではそうではないと思います。
確かに、物質的充実を至上視する価値観から外れる人が多くなったのは事実だと思いますし、社会的にも大きな力を持ちえなくなっているでしょう。そういった価値観から多かれ少なかれ、社会や人が自由になったという意味では、価値観は多様化していると思います。
しかし、他方、ひとつの価値観から自由になること=価値観の多様化であるのか、という疑問があります。価値観は、一人一人がバラバラに持っているのでは十分な力を発揮しえず、ある程度社会的に認知・受容されてこそ、価値観としての「力」を有するのではないでしょうか。そのある程度力を持った価値観が、複数成立することこそ真の「価値観の多様化」というのではないでしょうか。
では、今の社会がそうかというと、力のある価値観というのは見受けられません。そんな社会では、内容面では必ずしも優れているとはいえない「勝ち組・負け組」の価値観でも、対抗する価値観が不在ゆえに、浸透してしまっている気がします。
物質主義の時代が行き詰まりを見せているのは事実であり、また物質主義の負の遺産が顕在化している現在、真の「価値観の多様化」に基づく創造的な社会が必要なのではないでしょうか。しかし、格差社会の深刻化、「勝ち組・負け組」意識の浸透が、多くの人に絶望をもたらせば、真の「価値観の多様化」は阻害されるでしょう。
真の「価値観の多様化」の形成と、「勝ち組・負け組」意識の浸透。どちらが早いか、その勝敗の行方は、未だ見えません。