日々の徒然 -2ページ目

日々の徒然

比較的自由人です。

※何処できって良いか解らないので(笑)日付で分ける事にしました。
最後にちょっと追加が有るくらいでほぼ前記事のコピペなので飛ばして大丈夫です。


1晩空けて、ふと不安になった。
親、タンスの下敷きとかになってたりしないよね?


電話はやっぱり繋がらない。
けど、公衆電話を探して掛けたら1発で繋がった。

「大丈夫!!?」
心配する私を他所に呑気な母の声。
「ぜーんぜん。被害はお皿3枚だけ!停電も断水も無いから心配して帰って来たりしなくて良いからね~!」

ひとまず安心した。



沿岸部のお友達には、落ち着いたら見るだろうと思ってmixi伝いでメールをした。

チラホラ友人達の現状報告も上がってた。

どうやらスーパーが何処も品薄らしい。


軽い気持ちで、2連休だし、親の顔見がてらみんなにも物資を届けに行こう!
なんて思い立って、スーパーで買い物して福島に出発した。

何かしてないと落ち着かなかった。


家を出る時、家の横で仕事をしてるみっちゃんに「ちょっと行ってくるね~」って伝えたら、
「こんな物しかないけど」って、ありったけのお客様用のお菓子とか、コーヒーのストックとかを渡してくれた。

諏訪の当たりに差し掛かった時、トラックの運転手をしてるみっちゃんの弟から電話が来て、
「ガソリン規制かかってるから入れれる所では全部入れてけ!あと、ラジオは絶対聞いて帰りな!」
って教えてくれた。

「なんにも出来ないけど、宜しく頼む」


みっちゃんから帰ると聞いたサチヲとぢゅん子も電話をくれた。
2人とも泣いていて、「できる事は何でもするから何か有ったら電話して」
心強かった。


群馬に差し掛かった頃、ぢゅん子から又聞きした千葉に住む友人から電話が来た。
どうやら私が沿岸部にボランティアに行くと思っていたらしい。

「凄く言いにくいんだけど、今行ってもできる事は少ないし、かえって邪魔になっちゃうと思う」

これ、志持って旅立った(と思ってる)友達に言うのって凄く精神力使ったと思う。
それでも言ってくれた被災地に対する思いやりに凄く感謝した。


そして聞いた「放射能漏れてるらしい」


この時はまだそんな大事になるなんて思って無かった。



日が暮れる頃、ラジオから聞こえて来たのは、避難所から届いたリクエストだった。

「TVも無く不安な中ですが、みんなで励ましあって頑張っています。
ラジオから流れる歌にとても励まされていますが、お爺ちゃんお婆ちゃんが分からない歌ばかりなので365歩のマーチをお願いします」

高校生からのリクエストだった。

なんだか知らないけど涙が溢れた。


このラジオDJの人だって、直ぐにでも家に飛んで帰りたいだろうに。
家族の顔を見て安心したいだろうに。
身近にもっと心配で堪らない人だって居るだろうに。
避難所の人達の為にずっと元気に励ましの声をかけ続けて。


みんな頑張ってる。
みんな頑張ってる。


帰り道は、ずーっと泣いていた。



福島県の矢吹町から高速を降りた。

4号線のいつもならやっているお店も真っ暗で。

地震が来たんだなって実感した。


こんな時なのに、1台の暴走族がパトカーに追いかけられてた。

石ぶん投げてやろうかと思ったけど、石が手元に無かった。



家について、ニュースを見たら、1号機の母屋が爆発していた。


何年か前に、福一で「プルサーマル計画」と言うのが始まって。
ざっくり言うとそれは、灯油ストーブに軽油とか石油を入れて使うみたいな。
原発が壊れてしまう可能性が高まるっていう。

チェルノブイリって、なんか聞いた事ある。何の名前?
くらい馬鹿だった私は、その計画がどれだけ怖いのか教えて貰い、偉そうに反対運動なんかにも参加してたけど、

実際は原発が爆発したら、どこまでヤバいのか。
どのくらい放射能が拡散するのか。どれくらいで命の危機になるのか。

全く分からなかった。


だから、只只怖かった。

なかなか海水を入れてくれなかった東電は原発稼働を守りたいだけにしか思えなかった。


避難地域がどんどん広がって行く中、自分達の地域は大丈夫なのか。

風向きが知りたくて、深夜までずーっと色んなチャンネルを回していたけれど、
風向きを伝えてくれる、ニュースや天気予報は1つも有りませんでした。


10年前のあの日、私は長野県に住んでいて家から徒歩1分の工場で働いてた。


14時46分。


長く、ゆっくり揺れる大地に
「あ、これ、何処かで大っきい地震が来てるな」
なんて呑気に考えてた。


揺れが収まって1.2分後。
ニュースを確認に行ったリーダーの山田さんが慌ててもどって来て私に伝えてくれた。


「福島震度7だって!!!」(実際には震度6です)

「震度7!!?」
「え!? 震度7!!????」

3回聞き返しました 笑



15時の休憩を待って見たニュースでは、見た事も無い
太平洋側ほぼ全域を真っ赤に染める津波注意報が出ていて、とんでもない事が起きたんだって気づいた。


(ちなみにコチラ↓311の凄さが分かります。)




仕事を終えたら近所の友達がみんな「家大丈夫!!?」って心配して電話やメールをくれてた。


家にTVが無かったから、お友達のお家でニュースを見させて貰った。

あれは茨城の映像だったかな?

洗濯機にミニカーが入ったみたいに、真っ黒な渦潮に飲み込まれてる無数の車。

それだけ覚えてる。


「ご両親大丈夫?」って友達のお母さんがしきりに心配してくれたけど、家は海から遠いし
どうせ携帯なんか回線がパンクして繋がらないだろうから、少しでも必要な人に回線を回したくて実家には電話しなかった。

それよりも沿岸部に住む友達の方が心配だった。

ドキドキして、生まれて初めてご飯が喉を通らなかった。



。。。。。

昨日で311から10年経ちました。

被災地以外に住んでる方にも、あの時はきっとみんなそれぞれにドラマが有って。

あの時、私が体験した事、感じた事。


あの時!!

日本だけじゃなくて世界中が被災地を想い涙を流してくれた。

遠い場所に住んでる人でも、何かできる事をって。
それぞれが、それぞれに出来る何かを探していた。

自分達だって不便な中、それでも自分以外の誰かを想いやる人達が沢山いた。


あの時にあった見知らぬ誰かや、大切な人を思う優しい気持ち。

そんな気持ちに励まされた人達が沢山居ると思う。
奮い立った人達が沢山居たと思う。



10年と言う節目の時。
悲しみは忘れちゃいけないけど、優しさを思い出せたらいいなって。
書いてみようと思いました。


原発事故後、どんな事になったのか。
そんなのも知って頂けたらいいなって。


良かったら最後までお付き合い頂けたら嬉しいです太陽


もう、お風呂に入ってキレイキレイだからね。


私、実は今日誕生日で。

昨晩は前夜祭で1人今歳とお別れをしてたんだけど。
(年齢は言わない もう言いたくない 笑)

昨日の昼のブログじゃ、今夜はユーカリ風呂~とかオシャンティーぶってたのに。

結果から言うとワイン飲みすぎて酔っ払ってそのまんま寝てました。


そこまではいいとして。

もう記憶が無いから食べかけたのか落としたの気づかなかったのかわかんないけど、
家にあったチョコレートをボリボリ食べたらしい。


朝、起きて、鏡を見たら


顔面チョコレートまみれだった。






だらしなすぎて、情けなすぎて、もう、なんか色々飛び越えてネタにした。


反省しないからダメなんだと思うんだけど、
Facebookに投稿したらまだ4時間くらいしかたってないのに、普段のイイネ数くらいイイネがついてて、
掴みはオッケー的な気になってる。笑


今歳は年齢に見合った上品さを身につけたいです。