※何処できって良いか解らないので(笑)日付で分ける事にしました。
最後にちょっと追加が有るくらいでほぼ前記事のコピペなので飛ばして大丈夫です。
1晩空けて、ふと不安になった。
親、タンスの下敷きとかになってたりしないよね?
電話はやっぱり繋がらない。
けど、公衆電話を探して掛けたら1発で繋がった。
「大丈夫!!?」
心配する私を他所に呑気な母の声。
「ぜーんぜん。被害はお皿3枚だけ!停電も断水も無いから心配して帰って来たりしなくて良いからね~!」
ひとまず安心した。
沿岸部のお友達には、落ち着いたら見るだろうと思ってmixi伝いでメールをした。
チラホラ友人達の現状報告も上がってた。
どうやらスーパーが何処も品薄らしい。
軽い気持ちで、2連休だし、親の顔見がてらみんなにも物資を届けに行こう!
なんて思い立って、スーパーで買い物して福島に出発した。
何かしてないと落ち着かなかった。
家を出る時、家の横で仕事をしてるみっちゃんに「ちょっと行ってくるね~」って伝えたら、
「こんな物しかないけど」って、ありったけのお客様用のお菓子とか、コーヒーのストックとかを渡してくれた。
諏訪の当たりに差し掛かった時、トラックの運転手をしてるみっちゃんの弟から電話が来て、
「ガソリン規制かかってるから入れれる所では全部入れてけ!あと、ラジオは絶対聞いて帰りな!」
って教えてくれた。
「なんにも出来ないけど、宜しく頼む」
みっちゃんから帰ると聞いたサチヲとぢゅん子も電話をくれた。
2人とも泣いていて、「できる事は何でもするから何か有ったら電話して」
心強かった。
群馬に差し掛かった頃、ぢゅん子から又聞きした千葉に住む友人から電話が来た。
どうやら私が沿岸部にボランティアに行くと思っていたらしい。
「凄く言いにくいんだけど、今行ってもできる事は少ないし、かえって邪魔になっちゃうと思う」
これ、志持って旅立った(と思ってる)友達に言うのって凄く精神力使ったと思う。
それでも言ってくれた被災地に対する思いやりに凄く感謝した。
そして聞いた「放射能漏れてるらしい」
この時はまだそんな大事になるなんて思って無かった。
日が暮れる頃、ラジオから聞こえて来たのは、避難所から届いたリクエストだった。
「TVも無く不安な中ですが、みんなで励ましあって頑張っています。
ラジオから流れる歌にとても励まされていますが、お爺ちゃんお婆ちゃんが分からない歌ばかりなので365歩のマーチをお願いします」
高校生からのリクエストだった。
なんだか知らないけど涙が溢れた。
このラジオDJの人だって、直ぐにでも家に飛んで帰りたいだろうに。
家族の顔を見て安心したいだろうに。
身近にもっと心配で堪らない人だって居るだろうに。
避難所の人達の為にずっと元気に励ましの声をかけ続けて。
みんな頑張ってる。
みんな頑張ってる。
帰り道は、ずーっと泣いていた。
福島県の矢吹町から高速を降りた。
4号線のいつもならやっているお店も真っ暗で。
地震が来たんだなって実感した。
こんな時なのに、1台の暴走族がパトカーに追いかけられてた。
石ぶん投げてやろうかと思ったけど、石が手元に無かった。
家について、ニュースを見たら、1号機の母屋が爆発していた。
何年か前に、福一で「プルサーマル計画」と言うのが始まって。
ざっくり言うとそれは、灯油ストーブに軽油とか石油を入れて使うみたいな。
原発が壊れてしまう可能性が高まるっていう。
チェルノブイリって、なんか聞いた事ある。何の名前?
くらい馬鹿だった私は、その計画がどれだけ怖いのか教えて貰い、偉そうに反対運動なんかにも参加してたけど、
実際は原発が爆発したら、どこまでヤバいのか。
どのくらい放射能が拡散するのか。どれくらいで命の危機になるのか。
全く分からなかった。
だから、只只怖かった。
なかなか海水を入れてくれなかった東電は原発稼働を守りたいだけにしか思えなかった。
避難地域がどんどん広がって行く中、自分達の地域は大丈夫なのか。
風向きが知りたくて、深夜までずーっと色んなチャンネルを回していたけれど、
風向きを伝えてくれる、ニュースや天気予報は1つも有りませんでした。