あの日の事。15日 | 日々の徒然

日々の徒然

比較的自由人です。

15日 火曜日。

お休みは追加でもう一日だけ貰った。

この日の朝、4号機は爆発した。

私が出した答えは「長野に帰る」だった。

冷静に考えて、ここで仕事を辞めて残っても、経済的に負担になるだけだし、食料の備蓄だって余計に減っていく。
もちろん、会社にだって迷惑。

最悪の事態の時の為に、家族が。出来れば友人達家族も。
避難できるくらいの体制を帰って整えよう。

※今考えると、どう考えても仕事辞めて残るなんてバカの極みだと思います笑
大変な時ほど冷静さって本当に大事だと思いました。
でも、放射能の知識が増えた今でも、多分ソコに残りたいって思ってしまうと思う。


動けるのは今日まで。

万が一の為に出来ればガソリンを手に入れて親に渡したい。
比較的被害の少ないであろう、隣の栃木まで行けば手に入るだろう。
と私は栃木に向かう事にした。

会社に行く前、母がおむすびを握ってくれました。
お母さんのおむすびなんて何年ぶりだろう。

母はしきりに、無理をするな。帰る事を第一に考えろと言っていた。
父はと言うと、「頼むな」って。笑
でも直ぐに、母と同じように気をつけて帰れ。って。

多分、父は出来ればガソリン手に入れたかったんじゃ無いかなって。
不安だったんだろうって思う。
不安なのは恐らく母も一緒だけど、何となく、「女の強さ」ってのを見た気がした。


先に仕事に行く母にハグをした。
ぎゅーーって力いっぱい抱きしめた。
笑いながら「気をつけて帰るんだよ」って頭をポンポンしてくれた。

家を出る時、父にハグをした。
「もういいから」って速攻で振りほどかれた。 笑
照れたような、泣きそうな顔をしてた。


決意をして、家を出発した。


4号線に出て、市内を抜けた当たりから車が混み始めた。
動かないくらい進めなくなったのはどの辺くらいだっただろう。

福島県を抜ける頃には、逃げる人達で車は大渋滞。
4号線は長い車の行列で全く進まなくなっていた。


道中私は、おしっこが漏れそうだった。笑

両面田んぼしかない中、やっとコンビニに到着した。
トイレに行ったら、まさかの  

「断水中 使用不可」

死ぬかと思った。

暗かったら、闇に紛れてその辺で出来る。
私は野ション出来る女だ。

でも、今は昼間。曇り空。

駐車場のあちこちで立ちションするオジサン達を見て、生まれて初めて女に生まれた事を後悔した。


途中幾つものガソリンスタンドを見つけたが、何処もやっていないかガソリンが売ってない状態だった。


ラジオから流れる原発の情報は内容は詳しくは覚えて居ないけど、
苦しいくらいに押しつぶされそうになって、
少しだけ安心して、心を奮い立たせて。
そしてまたどん底に落とされた。

家族を案じながら、泣きながら食べたお母さんのおにぎりは、全く味を感じれなかった。
喉が詰まって飲み込みにくかった。


那須塩原市に着いた頃にはもう日が暮れ初めていた。

途中見かけたホームセンターで、ガソリン携行缶もと充電器を探したけど、ポリタンクすら売り切れ状態だった。

車載用充電器を万が一の避難の為に、親の車に取り付けて来た私は充電する術が無かった。

電池の温存に電源は切っていた。
携帯で給油情報やホームセンターの所在地は調べられない。(カーナビ持ってない)


闇雲に探しても、ガソリンを消費するだけで拉致が開かないと思った私は、民家に聞き込みをする事にした。

4号線を進みながら、家族で住んでそうな小さなマンションを見つけ、(情報量と効率的に)
ドキドキしながらピンポンした。

突然インターホンを鳴らす見知らぬ女に、みんなキョトン顔で。
事情を話し情報は無いか聞いた。

ある人は、福島と言ったら泣いてくれた。

ある人は、これ何処かで食べなって、恐らく夕飯に準備したオカズをタッパーに入れて渡してくれた。

ある人は、とても疲れた顔をしていた。
警察官だった。
自宅なのに制服のズボンとシャツを着ていた。
多分、いつでも出れるように?
この時の警察は交通整備やアレコレに多分とても忙しかったと思う。
見えない所で頑張ってくれてる人達の存在に凄く力を貰った。

お礼を伝えて家を後にした。


回った件数は多分10件に満たなかったと思う。
市内で朝の6時にタンカーが来るスタンド情報を得れた。

恐らく給油制限がかかるだろうから、もう1件くらい情報を得たかった私は、少し進んで隣の矢板に向かった。

矢板に入った当たりのコンビニで、店員さんに聞いてみた。
近くのスタンド情報は無いけれど、日光の辺りは比較的ガソリン入れれる所が有るらしいって教えてくれた。
ホームセンターの場所も教えてくれた。
土地勘があまりない事を話すと、丁寧に地図を書いてくれた。
そして、ちょっと使ってるけど寒いからって、封の空いた20個入りのホッカイロをくれた。


那須塩原に戻り、国道から少し入った所でプウ(長野で一緒に暮らしてた犬)の散歩をさせた。
22時に近かったのに、明かりのついている事務所みたいなのを見つけた。

ガス屋さんだった。

ダメ元で携帯の充電をさせて貰えないか聞いてみたらOKしてくれた。
1時間程充電して貰い、教えて貰ったガソリンスタンドに向かった。


。。。。。

栃木県もあちこちで大きな被害が有りました。
原発の影響だって、安心出来る距離では無い。
大きな不安を抱えた中、それでも、接した栃木の人は本当にみんな温かくてとても優しかったです。