「花 」すべての人の心に花を は美輪明宏さんの好きな歌でコンサートの終わりに歌う歌だと聞いている。副題の すべての人の心に花を は後に追加されたものだと思われます。
この歌は急激に日本中に広まったわけではなく沖縄の歌として定着するのに結構時間がかかったようです。後にアジアに広まるのですが、この歌を中国で聞いたとき、ある種の感動を覚えたものです。
私はこの歌がまだヒットしない頃の沖縄のことを覚えています。
歌詞の中に「泣きなさい 笑いなさい」というのが出てくるのですが、泣きなさい 笑いなさい が命令形になっているのが不自然な感じがして変な歌だなと思ったものです。
まあ、この歌についても過去に記事を書いていますので、ご覧ください。年数はあれから今に至るので今に変えています。
My Another Blog:喜納昌吉の「花」
「花」というタイトルの歌が、昨今やたら多いのであえて喜納昌吉の「花」とした。
喜納昌吉の「花」が作られたのは1978年のことだというからもう38年も経っている。
今日もなお歌われ、今後も人々の間で歌われ続けられるであろう。
これほど沖縄を代表する歌で日本全土、アジアの多くの国々で広く歌われている歌はないであろう。
普遍性のある歌だといってもいいのではないか。
ただ、私の記憶ではこの歌は急激にヒットした歌ではなく、作られてからかなり長い間、沖縄の中をさまよいながら一部の人たちからの支持を受け、徐々に本土へ移り他の歌手に歌い継がれて今日の名曲となったということであろう。
不思議なのは本家本元の喜納昌吉が「花」を歌って以降、いろんな歌手がこの歌を歌っているのであるが、カバーしたのはすべて女性歌手であって、少なくも日本の中では男性歌手のカバー曲なるものは表面だっては聞いたことがない。つまり、喜納昌吉の「花」という歌は本来、女性歌手が歌ってこそ花開くものであったのではないか。
喜納昌吉のあの野太いかすれ声は今だからこそ味があるという評価もあるがあの当時あのまま、男の声を通していたらヒットしたであろうか。
喜納昌吉の「花」は流れ流れて本土へ流れていろんな歌手に歌われてその価値を認められ全国に広まる運命にあったのだと言いたい。
歌はそれ自体が歌うに最もふさわしい歌い手を探し求めているような気がする。
ひとつの例を挙げればあの「涙そうそう」がまさにそれではないかと思う。
作り手のビギンや森山良子が歌ってさほどヒットもしなかった歌が、森山良子が自身のコンサートでもはっきり言ってたように夏川りみが歌って、歌い続けてとうとう全国ヒットになった。
幅の広い年齢層に支持された。一過性の流行歌ではなくおそらく「花」と同様、後世に残る名曲であると思う。
「花」が流行ったきっかけとなった他の歌手のバージョンについては断定するものではないが、私の記憶するところ昔、あのカセットテープのCMで歌われたのが全国の人々に知れわたった最初の女性歌手バージョンではなかったかと思う。
歌っていたのはあの独特な声で歌う「おおたか静流」。今も現役で頑張っておられるようです。
もう鬼籍に入られたが演出家の久世光彦氏は、おおたか静流のことを「向こう岸から聞こえてくる歌」と評している。
更に、「どこまでも高く、澄んだ空から降ってくる、悲しい天の声のようである。」とも言っている。
なんともうまい表現ではないか。
私はこの「おおたか静流」の歌う「花」がテレビCMで全国に響き渡り、それ以降「花」の人気が加速されたのではないかと思っている。
ところで「花」の歌詞を見て、何か感じたことはないだろうか。
私はこの「花」がまだ沖縄をさまよっていたであろう頃、この歌詞の中にある、「泣きなさい、笑いなさい」を読んで思わず苦笑してしまったことがある。
沖縄の人間である私にはわかるのだが本土の方々、一般の方々がこの表現を見てどう思うであろうかと今にしてみれば余計な心配をしたものである。
第一に、人の感情の表現に命令形を使うのが不自然であると思われた。泣きなさい、笑いなさい。
ただ沖縄的な表現の中にこれと似た表現があることは述べておきたい。子どもに「たくさん食べて大きくなってね」という意味を込めて言う場合、沖縄では「たくさん食べなさいよ」とか「よく噛んでから食べなさいよ」のように「・・・なさい」を付けて言うのは普通であり、自然でさえある。
そしてこの表現の中には優しさとか思いやりが含まれているといってもいいだろう。
上の歌詞に当てはめれば泣きたかったら「泣きなさいよ」のようになる。「よ」をつけると幾分ソフトタッチにはなるが省いても大きな差異はない。
これが「花」の歌詞に反映されたのではないかと思う次第である。
後々、この歌が広く歌われるようになってからは「泣きなさい、笑いなさい」がむしろ感動的な表現になってきている。
結局は私の杞憂であったが、「花」の歌詞はほかの方々の目にはどう映ったのであろうか。
もう10年近くも前になるだろうか、沖縄市の泡瀬で選挙運動をしている喜納昌吉を見たことがある。沖縄市の市長選の運動期間中であった。
私は車で家に帰る途中、交差点で信号待ちをしていると喜納昌吉が私の方に駆け寄ってきて握手を求めてきた。
ほんの一瞬ではあったが、握る手にぬくもりと力強さを感じた。人懐っこい笑顔がよかった。
音楽家であり、政治家である喜納昌吉。政治活動と音楽活動の両立などと野暮なことは言わないので、どうか今後とも音楽に対してもありったけの情熱を注ぎ込んでほしいものである。
https://www.youtube.com/watch?v=ZVe87Nt4MHU