ランドスケーパー脳内 | 手記

手記

戯去戯来自有真

僕の地元は青森県 八戸市、
太平洋に面し、山もある。
海の幸では北海道に負けず劣らず、
自然が豊かな所だ。

海から開けた街と言われる、産業が盛んで
人口 約22万人(切り上げ)の地方都市だ。

20代、沢山彷徨ってふらふらとしたが、結局戻ってきてここに根を張ろうとしてるのは、やはり地元愛だろうか。
僕はこの街が好きなのだ。

何故帰ってきたのか?
それは東京から見た故郷があったからであり、
カナダから見た故郷があったからだと思う。

カナダに住んだ2年半は、
言ってみれば、他者の目を借りて己を見た2年半でもあった。

その中で、
自身に眠る沢山のアイデンティティを見つけ、
日本人である事を実感したのだ。
(ほとんど初めて)

そして、
時を同じくして、洋風庭園を作り始めたのだった、、、


強烈に日本人である自分を認識し始めた時期と、庭づくり(洋風)にのめり込んだ時期が見事に被ったのだった。

これは自分の中で、
自分は洋なのか和なのか!!という、
1人カテゴライズ論争を生み、
帰国後もそれは、コンプレックスとなり、時に劣等感を生んだ。
(今では自信に繋がり、強みと捉えている)


その内なる論争が激化する最中、
僕は庭の仕事で身を立てる事を心に誓った。

日本に帰る事を決断した事は、
ひとまずは、和を選んだ。

少なくともその時は、そう思っていた。、、

そして僕は
"外構"  "エクステリア"という第3の激流と交わる事となる。


今思うと頭の中はゴッチャゴチャだった。
技術の習得を最優先にしていた。
だから食った。とにかくただただ食った。


この脳内事情は4年間僕を悩ませ、成長させた。
今やっと少し書けそうだから、整理も兼ねて書き記しておきたいと思った。、、





、、、、。




青森県は地理的に、
左側が津軽エリア(津軽藩)
右側が南部エリア(南部藩、僕の住むエリア)
に分かれ、方言が違う為、会話が成立しない事があるくらい文化が違う。

津軽は独立国家だった歴史を持ち、大石武学流という庭の流派を持つ。

その点においては、南部は中央文化の最終到着点と言えよう。


北の北海道はアイヌ民族の土地で、
本土から入植した人々が街を再構築した際に洋風のエッセンスを落とし込んだ(と思う)。


何を隠そう
この北海道の庭文化が大好きで、
内なる論争の一つの答えとして見ている。


日本のどこでもそうだと思うが、
古いものは良し悪しに関わらず、便利で分かりやすいものに取って代わってきている。
そんな事象は枚挙に遑がない。


いや、もうずっと昔にアイデンティティは手放したのか、取られたのかもしれないし。



今、思う事がある。
内なる論争に、段々と暫定的な答えめいたものが見えてきて、
結局色々とあるが、古いモノを大事にしながら
"日本人的な美意識を持って、今の庭を作ろう"
と言うところに落ち着いてきてる。


また、目下の課題として、
環境問題や、諸々の社会問題。
自然と人間の関係。

本当にカオスな時代に生まれたなぁと思う。
しかし、それは表裏一体。面白いとも言える。

それらに対して"庭"が出来ることは物凄く多いのではないかとも思っている。

その視点で見ると、
この場所からやる事の意味がある気がする。


まだまだ勉強が足りてないし、
形になった事は余りに少なく、
前途多難でしかないが、
着実に前進している。

内なる論争はまだまだ続くだろうし、
つくる事への自問自答にも終わりがない。
そして答えもない。


哲学、在り方、問題へのアプローチ、未来、過去、文化、社会、、、、
結局全てなんだ!

なんてこった。
本当に厄介な仕事を選んだもんだ。笑

だから一生の仕事に選んだんだぜ!笑笑

なんとかアップデートを続けて、
人や街に還元していきたい。


"自分より息の長いモノをつくり、幸せになり、幸せにする"

これをテーマに掲げ、
つくりながら前進していこうと思いう。


2024年4月

Marusho  Landscape
(マルショー ランドスケープ)

の名で小さな旗を上げる。


to be continue......