にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ -4ページ目

にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

<<ブログ320>>

 

   長引き、そしてなかなか出口の見えてこないコロナ禍     

  日本の明日を、私たちの明日を楽しく明るくしていきたい 

        そのために私たちひとり一人が

  人間が組織・集団・社会で生きて行く時の

    「あたりまえ」を改めて認識し行動し

  リーダーは「よりリーダーらしく」の言動を

          ~私の変わらない想い~       by 入道

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     今回も秋葉原を基地として世界への羽ばたきを重ねている

            私のちょっとだけ歳の離れた友達

   画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

        拓馬さん、ありがとうございます。お心に感謝です。

      田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければと思います。

                      http://tanakatakuma.com/

                        https://ttakuma.thebace.in

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(私の「組織」への定義と想い)

◆組織=二人以上のひとの集まり・群れ・集団

   家庭も地域も仲間の集まりも会社も、そして社会も組織

 

◆組織=社会で生きていく時に大切な「3つのお約束+1」

           ●しょうじきに

           ●やくそくはまもる

           ●たすけあう

         +1

           〇大人(先輩者・上司・・)率先垂範

             

                       挿絵は田中拓馬画伯 画

 

ヒトはひとりではきてはいけない  とってもよわい動物

みんなで一緒にいることできていけることを

知っている弱い動物

 

だから

ヒトって動物は群れ・集団を形作って

きていく

ヒトと言う弱い動物がきていくために

形作る集団・群れ

これが社会 そう思います

 

そして

社会、みんながいることで安心して生きていける

この状態のことを

社会と言う群れ中で安心して生きていくこと

きるという言葉に活き活きの「をつけて

生活っていうんだよね きっと

 

だから

社会での生活のあたりまえはむずかしくなんかない

ひとりひとりができることを出し合って

助け合って生きていくことなのだと思います

 

社会と言うヒトが形作った集団・群れの中で

生活するヒトのことを

人間と表す  私の勝手な想いです

 

ヒトとヒトの間で自分が生きていく

 

助け合って、時にたすけられ、時に助けて

生きていく

信頼でつながっている、と

言い換えてもいいのかなとも思います

 

でも

いつのまにか「人間は強くなければいけない」

そして「かしこさとか腕力とかお金をたくさんもっているとか」

人間をランク付けしちゃうような「ものさし」

できあがっています

 

「できないこと」を見つけ出すような

「できないこと」を探し出して「できていないじゃないか」と指摘するような

変な社会になっちゃってきているように

感じるんです  感じませんか

 

こんなランクはいらないな

「自分以外の人達を助けていくために私はこんなことができます

に変えちゃえばいいんじゃないのかな

 

そして

ひとりひとりが「自分のできることをひとつずつ」増やしていく

そんな状態になっていけばいいんだ

それが

教育だし育成なんだとも思います

 

大人でもこどもでも、普通の人間でもどこかにちょっと障がいを

もっているひとたちも

み~んなだれでも「できること」をもっている

 

そして

その人のできないことを

自分のできることで

そっと助け合ってみ~んなで生きていく

これが生活なのだから

 

会社でもおなじ

会社もたくさんの人たちの集まりなのだから社会なのです

会社はなんでたくさんの人たちを集めているのか

むずかしくありません 簡単なことなのです

 

ひとりじゃできないこともたくさんの人たち、仲間といっしょにならできるから

そして

おんなじような人たちじゃなくて

ちがうひとたち、できることが異なる人たちが

集まっていれば単純、対応力の強いいい会社になると想うのです

 

おんなじような画一的な人材をあつめて育てたら

何かあった時にはひとつの対応しかできないことに

ならなかなぁ 単純な想いです

 

だから

採用活動「この人はどんなことができる人なのかな」

「どんなことで助けてもらえそうかな」

これを感じとることなのだとずっと思ってきています

 

採ってやる、こんな考えはありえない

 

自分たちの会社の明日を助けてもらうために

仲間に加わってもらう、

これが採用なんじゃないのかな そう想い続けています

 

そして・・・・

ヒトと言う弱い動物が形作る群れ・集団、社会で

生活していくために私は「3つのお約束+1」がある、と

思っています

        

                          挿絵は田中拓馬画伯 画

 

むずかしくはない、でよ。優しく易しくシンプルです


★①うそはつかない。徹底的に正直に。

 

人間って弱いですから私生活においても仕事の場面でも「ついその場しのぎ」でちっちゃなうそをついてしまうことがあります。

 

この最初にちっちゃな嘘をつくことがその後の自分を苦しめることになってしまいます。

 

ある時に浦和の飲み屋さんのトイレに次のような張り紙がありました。

 

     「最初に人が酒を飲み、

               次に酒が酒を飲み

                      最後に酒が人を飲んでしまう」

 

  私、妙にこのフレーズが気に入り、気が付いた時には「酒」を「うそ」に変えていました。

      最初に人が小さなうそをつき

        つぎにそのうそがまた新しいうそをつき

               最後にうそが人を飲み込んでしまう

 

入口、最初から徹底的に「正直に」あることが一番「楽」な方法である、と経験から感じています。

 

できないことを「いや、できます」なんて言わないで、知ってもいないことを「おれは社長だから」なんて考えて『知ってるよ』」なんて言わないで、正直に

「申し訳ございません、『今は』できません。三日間できる手立てを構築する時間をいただけませんか」あるいは「ごめん、俺、そのこと知らない、事実を正しく教えてくれるかな」と正直に言って自分以外の誰のチカラを借りればできるのかを考えて実行動に移せばいい、そう思うのです。

 

★②約束は必ず守る、できない約束は絶対にしない。

 

これもあたりまえのことです。

約束をしたからには必ず守るための動きをすること、残念ながら守れないな、と感じた時には充分に時間的余裕があるうちに「申し訳ありません。改めて2日いただけませんでしょうか」と言った、単純にできません、だけでなく相手の方も選択ができるようなことを加えて言葉にするべき、です。

 

    仕事上での約束であれば

         「自分一人」と考えるのは絶対にやめましょう。

   

     お客様は貴方個人と約束した、のではありません。

        〇〇〇株式会社と約束した契約した、のです。

で、あれば

    その約束の履行者は個人でなく「会社」となります。

 

自分一人でできそうもないことを早く自覚してより早く会社・組織の仲間に手助けをお願いするべき、です。

 

そして

できない約束は絶対にしてはダメ」です。

自分も、そして何よりも相手の方(お客様)に莫大なマイナスを与えてしまいます。

        

★③助け・助けられ。助け合う。

 

うそをつかない、約束を守る。このふたつをきちんと実行していくためのポイントですし、動物としての人の「あたりまえ」にも連なるものです。

 

    人は「自分一人でできること」はすごく少ない、

    「ほとんど自分一人ではできない」

    これが私の生き方そして働き方更に経営の仕方の

    源にある考え方(=想い)です。

 

    自分ひとりではできない

  でも誰かのチカラ・手助けがあればできる

    こう想ってしまえばあとは簡単です。

    「助けてください・頼みますになります。

 

ビジネスで、組織論的に考えればここでは結論だけ書きますが、[だから集団を形成し、集団で動いていく」のです。

 

ですから、私は集団(=組織)のあたりまえとは「助け助けられ」と思い続け、それを前提と

してずっと経営しておりました。

   

☆+1 

  「先輩者・上位者が最も沢山の汗をかく」

 

組織・集団のリーダーは「口にするだけ」でなく「口にしたこと以上に自らが動く人」、これが私の考える「上司」「役職者」となります。

 

別の言い方をすれば集団・組織のトップ集団・組織の中で最も稼いでいる人」「一番に身体と頭そしてなによりも心に沢山の汗を流す人であるべき、私の信念のひとつ、でもあります。

 

    ごちゃごちゃ書くまでもない、と思います。

 

今,社長のみなさんが「貴方(自分)が平社員だった時に上司に感じていた不満」に繋がるのでは・・・。

  自分がいやだと思っていた、いやだと感じていた上司に今、貴方はなられていませんでしょうか。

 

リーダーは組織全員のでありたいと私はずっと想い続けています。

 

リーダー自らが口にしたこと以上に自分で自ら動いていれば、その動きで組織の仲間は細かな説明なくとも共感して自然の動きになるものです。

 

その逆に「口ばっかり」自分では言ったことさえも実行していなければどんなに立派なことを言っても誰もついてきてはくれません。

 

伝統的な?マネジメント(言い切れば何かあれば飲ませる、しかも会社の金で)、を早く忘れ去り、一般のマネジメント手法(ノウハウ)からも離れ「上位者」「リーダー」とは何なのか、のあたりまえに立ち還ることだと、私は想います。

 

    言い切ります!!

 

一昔前は「誰が上位者でも、だれが経営者でも良かった、できた」のです。

    

    これからは「そうはいきません」。

 

 「真のリーダーが求められる」あたりまえの状況」 に戻ったのです。

 

        そして求められる資質、必要な資質、それは・・・・

 

<<頭(=かしこさ)ではなく 

                          心(=やさしさ)です!!!!!>>

         

                     挿絵は田中拓馬画伯 画

 

        今回も最終行までお眼を進めていただきまして

               ありがとうございます。

 

            長引くコロナ禍のためなのか・・・・

      コロナ対応、難局を乗り切っていく国民の心の一体感

         世界共通の難局での日本の位置づけ・・・・

      毎日の報道を見聞きしていて単純に「楽しくありません

                「楽しくなりません」

            日本人の心が一つになっていない

               ばらばらになってきている

    昨日今日の対応ばかりで、その先に「楽しい明日」「楽しい日本」

         「笑顔の日本人」の姿が浮かんでこない・・・・

 

    改めてひとり一人が「社会でいきていくこと」をしっかりと心に置いて

        リーダーはたくさんの人たちに「信頼される」存在に・・

      「あたりまえ」の状況に戻していくことが今必要、そう感じます。

                ありがとうございます。

                にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ  入道(入村道夫)

 

 

 

<<ブログ 319>

 

     6.09菅総理、初の国会党首討論から素直に感じたこと

    

                       残念ながら・・・

               心に感じる、心を揺らす言葉がなかった

                                      なぜ???

 総理そして野党党首のみなさまも「話す」が大半、「語る」は極小・

                    

       「話す」と「語る」何がちがうのか

                           ~私の変わらない想い~    by  入道

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  今回も東京秋葉原を基地として様々な形で世界への羽ばたきをされている

             私のちょっとだけ?歳の離れた友達

   画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

             拓馬さん、ありがとうございます。

         田中拓馬さんのサイトも訪ねてみてください。

            http://tanakatakuma.com/

     

                 https://ttakuma.thebase.in/

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●2021年6月9日、16時から菅総理の初の国会での「党首討論」(国家基本政策委員会合同審査会)が開催されました。


●夜のニュース等で拝見させていただきましたが、「議論の歯車(目的)」が合っていない、歯車を合わせようとしていないから議論にならない」、「討論になっていない」。残念ですが今回も正直にそう感じました。

 

●いつものように?今回も与野党双方が、菅総理そして野党党首ともに、自分たちの言いたいことを言っているだけで、素直に今回もそう感じました。「国策(本来、与野党共通の目的のはず)を決める国会(=国の会議)の「討論」「論議」にはなってはいない」、素直に今回もそう感じました。

 

●しかも多分、ご自身の「想いをご自身の言葉にした」ものではなく事務局?担当の人たちが顔寄せ集めて作成した質問書そして答弁書?の「文字」を読んでいる・・・・・

 

討論なのですから、細かな数字等については同席している事務局などが答えてもいい、それ以外は「答弁書」なしで両者ともに「自分の想いを自分の言葉」をぶつけ合う「場」であって欲しいと感じてなりません。

 

★私の言葉でいきますと党首討論の「」は「話す」のではなく「語る」「場」であって欲しいと想います。

 

 

話す語る。似た言葉ですが何が違う、何が異なるのでしょうか。

           

                            挿絵は田中拓馬画伯 画

 

この2つの言葉に対する私の40年来、変わらない『想い』を記していきたいと思います。

 

 

●「」と「」。この似ている二つの漢字を先ずはじっくりと眺めていただきたいと思います。

 

●いかがでしょうか、何か感じとられましたでしょうか。

 

●私は、もう40年以上前になりますが、とある時にこの二つの類似の意味を持つ漢字「」と「」に次のような意味合いをいきなり感じとりました。

 

と言う漢字を左右で分解してみますと「」と「」になります。
 

●同じようにの漢字を分けますとそれは「」と「」。

 

●この勝手な分解から私の自己定義に入ります。



★「」は「した・べろ」で「」は「われ・自分」。

 

●こんな勝手な漢字の分解からいつものように私の勝手な解釈に入りました。

 

         話す=舌(した・べろ)+言

 

      語る=吾(われ・自分+言

         

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

 

●私が想う二つの漢字の意味合いはここから生まれてきます。

 

ふたつ共に共通なのは」であり、「う」は「言葉を発すること」。
 

★と、すると二つの漢字の違いはおそらく「発する根本の違い」なのでは、そしてその違いを「」と「」で示しているのだと私は感じたのです。

 

★私の勝手な解釈・想いの結論を記していきます。

 

相手(=他人)のこと考えることなく自分本位で言葉で口にすることが「す」であり、相手(=他人)の存在を心にとめて尚且つ自分責任で自分の心を口にすることが「る」ということ、これが私の変わらない解釈、自己定義です。

          

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

★違う表現をしますと二つの漢字の違いは『相手(=他人)に対する思いやりの心が存在するのかから生じてきているのかも知れません。そう感じます。

 

★妙な表現になりますが発する言葉の意味合い(目的?)が「自分第一(自分本位)」なのか「人間第一(人間本位)」なのかの違いなのかも、と想うのです。

 

対話での大切なこと、それは「相手の存在・相手の心を常に感じていること」だと想います。対話以外においても、何をするにしてもそのことを忘れてはだめですし、そこをきちんと意識していれば「思いやり」とか「気働き・気配り」は無意識のうちに自然と生まれてくるのだと私は思います。

 

 

◆必要なのは話す」から「語る」への変化に挑戦!です。
 

誰に対しても、いつでも「(した・べろ)です」ことから「(われ・自分・こころ)でるようにしていきたい」と想い続けています。

 

 

●そうなれば、「愚痴」「まずい状態の他人への責任転嫁」「他人を悪者にし、自分を悲劇の主人公にして局面から逃げ去るなんてことはきっとなくなると思うのです。

 

相手が解ろうが解るまいが自分で口にしたことで「した」のだから、で終わらせては絶対にだめです。
 

相手がきちんと理解してくれるまで「らなくては」「りつづけなくては」。
 

●何故ならそうする人間が大人なのですから・・!!。

 

●対話で『相手に対しての思いやり・気配りがあって初めて「」から「」の段階に変化するのかな、とも感じます。

           

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

●そして・・・・「自分の想いを自分の言葉で、そして自分の責任で『易しく優しく』語ることを重ねていくことで私は人前での場が苦ではなくなりました

 

         大勢の前で・・・・そうからろうへの想いの変化
 

   今回も最終行にまでお眼を進めていただきましてありがとうございます。
                   話すと語る・・・・・
           なんとなく使っている言葉なのですが

        自分勝手にでも定義付、違いを明確にすることで

         自分としてはっきりと区分することができます。

                    話し続けるのではなく語り続けていきたい

              改めてそう感じています。

         

               ありがとうございます。

       にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ  入道(夫)

 

 

<<ブログ 318>>

 

          緊急事態宣言 3回目の発令に想うこと

    日本は医療先進国だったのでは!??

     発令基準の一つになっている「病床使用率」から

     ものすごく「単純にそして「素直」に想うこと

           ~私の想い~    by   入道

 

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                       今回も私の歳の離れた友達

    秋葉原のアトリエを基地として世界への羽ばたきをされている

   画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を画いてくださました。

           拓馬さん、ありがとうございます。

   田中拓馬さんのオンラインショップも訪ねていただければと思います。

          http://tanakatakuma.com/

              http://www.takumatanaka.info/

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2021年4月25日から5月11日までの17日間を期間として東京・大阪・兵庫そして京都の4都道府県を対象としての「第3回目の『緊急事態宣言』」が発令されました。

 

緊急事態宣言の発令は昨年2020年の4月そして今年2021年の1月に続いてのものであり、宣言対象となった都府県では「人の流れを抑制する」ことを目的として

・酒の提供やカラオケのある店に対しての「休業要請」

・イベントや催し物は原則「無観客」での開催

・交通機関に対して終電繰り上げ、土日の休日減便

・1000㎡以上の商業施設に対しての休業要請(生活必需品売り場等を除く)などの要請がされています。
 

★今回の私のブログ・・・

この緊急事態宣言の措置について記することが目的ではありません。

 

★書きたい、書いておきたいのは「宣言が発令されるものさし」「指標」の一つとされ、厚生労働省が発表し、テレビ・新聞・インターネット等々で一日に何度も何度も報道されている「「都道府県別の「入院者数」「重症者数」そして「病床使用率」・・・・この中で特に毎日毎日報道されている「病床使用率」から感じること、想うことを端的に短く書いていきたいと思います。

                        

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

☆今も医療現場で頑張っていただいているみなさまにはたくさんの感謝の気持ち一杯です。ありがとうございます。

 

☆でも・・・一方で「これから」についても「今までと同じように」、今コロナ感染者を受け入れてくれている病院のみなさまだけに頑張りを押し付けていいはずはない「国としての思いきった新たな施策」勇気を持って決定し提示して欲しい・・・・そんな想いからのブログです。
      

厚生労働省発表の4月14日時点での「入院者数」と「新型コロナ対応のベット数」

  ・都道府県別は割愛して全国値で記します。

 

      9423床使用/30473床用意

 

    ※全国で新型コロナ感染者の方々用に

       用意されているベット数が

「全国で30473床」!! しかない(私の感覚)。

 

★同上、「重症者数」と「重症者対応のベット数」

 

  ・都道府県別は同じく割愛して全国値で記します。

 

       990床使用/4253床用意

 

   ※全国で新型コロナ感染者の方で「重症」と

    された方に用意されているベット数が

   「全国で4253床」!!! しかない(私の感覚)

            

                             挿絵は田中拓馬画伯 画

日本の人口は何人なのでしょうか。

 

●2021年4月1日現在、日本の人口は1億2541万人と発表されています。

 

●1億2541万人全員がコロナ感染し入院するわけではありませんが・・・数字比較でものすごく単純な「想い」に行き当たります。

 

新型コロナ対応のために用意している『病床数』そして『重症者対応ベット数がものすごくものすごく少なすぎる』

 

  1億2541万人======30473床(ベット) 

                                           

 

   1億2541万人====== 4253床(ベット)  

 

◆「上記の状態を至急に手をつけ、病床を大きく増加させていかないといけない」、そう感じてなりませんし、その手立てを考え勇気を持って実行していくのが政府であり、都道府県のいま、やるべきことの一つなのではないでしょうか。

          

                              挿絵は田中拓馬画伯 画

 

◆そうしないと「全国で1億2541万人の人に対して新型コロナ重症者用床はわずか4253床しか用意されていない、用意していない」この状況を置き去りにしていくと「大変だ」「入院治療ができない」「受け入れられない」・・・・・緊急事態宣言だ・・・・・このことの繰り返しにもなってしまうのでは、と素直に私は感じるのですが、いかがでしょうか。

 

国そして都道府県全国の病院そして医師の先生方に対して「お願い」をしている、のだと思うのですが、その「強いお願いの結果が記してきているベット数」だとしたら、「はがゆく」感じてなりません。

 

「酒提供の店は閉めろ、営業するな」、「買い物に行くな」「買い物に来させるな」、「イベントは観客なしでやれ」・・・・日本の多くの人達に対しては「緊急事態宣言発令」で「指示・命令」しているのに、なぜ「医療」に対してはずっと「お願いレベル」なのでしょうか。

 

●そして、毎日毎日「これでもか」感じるまでコロナ報道をしているテレビ・新聞・ネット等報道機関からもそんな報道はありません

とてもとても不思議に感じてなりません。

 

 

☆「医療」・・・私の感覚で恐縮ですが「日本の医療」は世界の中でも「先進国」ある意味「世界をリード」していたのでは・・・

 

日本の総病床数は1,641,407床。(2018年現在 日本医師会2021.2.22改訂資料)
  そして
人口1000人当たりでは「13.0床」で世界一・・・。

 

☆でも・・・
新型コロナウイルスワクチン開発へのある意味「国を挙げての動き」そしてワクチン接種のスピードと接種人数・・・・・世界に大きく遅れているのでは。

☆それは・・・何が原因なのか・・・医師の不足なのか・・・限られた現在の医師数で対応していくとしたら「どんな施策を講じたらよいのか」・・・・・等々

           

                             挿絵は田中拓馬画伯 画

☆この新型コロナ禍対応においては、今回記させていただきました「病床の用意・準備」も絡み、日本はどうしたのか」「日本はなぜこんな状況になってしまったのか」「何か変だ」・・・

本当に素直に感じています。

 

★新型コロナ禍、まだまだ続きそうです。

そうなのですから、今までと同じ動きだけでなく、日本全体の動き方を変える勇気ある「施策」が必要なのでは、そう感じています。どうぞ私の「考え過ぎ」「想い過ぎ」となりますように!!!!!

 

        今 回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                              ありがとうございます。

 

                  勇気を持って「変化に挑戦」

            「挑戦への勇気と決断」が今、日本のリーダ―

   そして日本国と言う組織の決議機関である「国会」に求められている、

                          必要なことなのでは・・・・・

                          そう感じてなりません。

 

                  ありがとうございます。  入道(入村道夫)

<<ブログ 317>>

 

                      楽しいですか、今の日本

               日本を楽しい国にしていきませんか

           国会議員の先生方の心

 そしてマスコミ報道の仕方を変えて欲しい

     正直にそう強くつよく感じています

今のしんどさ辛さの向こうに何があるのかを明示して共有したい

                        ~私の変わらない想い~         by  入道

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     秋葉原のアトリエを「基地」として世界への羽ばたきをされている

           私のちょっとだけ?歳の離れた友達画家の田中拓馬さん

        今回もご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

                  拓馬さん、ありがとうございます。

       田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければと思います。

                         http://tanakatakuma.com/

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楽しいかい?
この言葉が私の会社組織所属時代、役員時代の変わらない自分へのそして一緒に身体と頭そして心にたくさんの汗を流してくれている仲間への私の「変わらない問いかけ言葉」でした。
 

楽しいかい?

  はい楽しいです

  いいえ楽しくないです
この2つの答えに対してそれぞれに
3回から4回程度「どうして?」「なぜ?」を重ねていくこれからへのこうどう(考え&動く)シナリオ」が見えてきます。継続し続けていくこと、すぐに止めて他のやり方に変えていくこと・・・まさに「変化へのシナリオ」「より楽しい組織にしていくためのシナリオ」を頭で考えるのではなく、「心で感じとることができてきます。

 

 

「日本」と言う「国」と言う「組織」に所属されておられる1億2548万人のたくさんの人たちに同じ問いかけをしてみたいと思います。


★「日本と言う国、今楽しいですか!!??」。

        

                             挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●いかがでしょうか。

 

●私は単純感覚として「今の日本、楽しくない」、「明日は今よりも良くなっている」「明日は今日よりも楽しくなっている」・・・残念なのですがそうは感じられないのです。

★どうしてなのでしょうか。

 

★感覚的で申し訳ないのですが、「日本はだんだんに楽しくない国になってきてしまっている」、今回ではなく今までも・・・残念ですが正直にそう感じているのですが、それをより鮮明にしたのが、2年目に入っている「コロナ禍」。コロナへの日本と言う国の対応。

 

★コロナ対応!!
本来であれば
「国・都道府県そして市区町村が「同じ想い」で三位一体」での動きでなければいけないのにそうはなってない現実、今の日本と言う国。

 

★それはなぜ??

沢山要因はあるとは思うのですが・・・・私の心に直ぐに浮かんでくるのは「2つ」・・

国会が「ひとつになっていない」、「国会が組織として機能していない」から、そして報道のスタンス、報道の仕方にも問題あり」、言いきっちゃいましたが・・・私の素直な想いです。


日本と言う国を一つの会社組織」と見なすなら「日本と言う国の取締役会」に相当する「国会」そして取締役会メンバーである「国会議員の先生方」更に会社の動きを的確に報せ続ける「社内報」?の役割を持つと思う「マスコミ報道の内容と報道の仕方」に大きな原因があるのではと感じ続けています。

 

★そしてその想いは段々と「強く」なってきてもいます。

★1年を超えてしまった「コロナ禍への対応」そして
1億2548万人の「日本人の心」に365日毎日毎日、眼にし耳にし教えられインプットされ・・・心にいつの間にか浸透そして蓄積されてきてしまっているコロナ禍に対する国会の動き、やりとりそして報道内容と報道(の仕方)今の日本を「楽しくしていない」、  「楽しくない国日本」にしているのでは・・・・と思うのです。

           

                               挿絵は田中拓馬画伯 画

「国会マスコミ報道に対して・・・感じていることを書いてみます。

★ブログゆえ、文字になっているはあくまで「私の想い」であることをあらかじめ記させていただきます。

 

●先ずは「国会」

 

①国会そして国会議員の先生みなさまへ

   「国会」も「日本」と言う大きな組織の中の「一つの組織」。

   「組織のあたりまえ」それは「助け助けられ

   足の引っ張り合いは組織に置いてはあり得ません!!

   あってはならないことです。

 

国会は、私なりの表現で「その存在意味」を単純に表現すると

「日本と言う国の明日創造のために何が必要なのかを議論し決定していく場」である、こんな表現になります。

 

日本国と言う大きな「組織」の中にある、この国会という「組織」の「構成員」「組織人」が「日本国と言う一番大きな組織人=国民によって選ばれた「国会議員の先生ひとり一人

 

★先に記した「国会の存在意味」「国会の目的」(ただし、私の想いです。重ねて念のため)からしますと
ひとり一人の国会議員の先生方は「日本をこんな「楽しい国」にしていきたい」の「想い」を持っていることが「大前提」になると思います。

 

★そして国会と言う場で、その「想い」をぶつけ合って「より大きな国会と言う「組織」の想い」に拡大していくのだと単純におもうのです。

いろんな考え「想い」があっていい、単純にそうも思います。

 

★でも・・・・「国会議員の先生方は「国会」と言う「組織」の一員」なですから 組織人としての「あたりまえ」」の「こうどう(考え動く)」をとっていただくことがものすごく単純に必要 、そう思います。

 

国会」と言う「組織」で「決議された後」は「俺は〇〇党」・・・「政党」なんて肩書みなさん捨ててください。

 

組織人としての「あたりまえ」の動き」「組織のあたりまえ」国会議員の先生方、お一人お一人に心からお願いしたいと思います。

 

●決定、決議されるまでは様々な観点からいろいろな意見・想いを提示して「こうしたら」「ああしたら」を議論し続けてください。

 

★ただし!!!!「組織として「決定」「決議」されたのであれば所属政党なんて関係なく「決議されたことの実現のために一人一人が身体と頭そして心にたくさんの汗をかく」。

これが「組織のあたりまえ」「組織人としてのあたりまえ」なのでは・・・私はそう思います。

 

★仮に、「決議されたことに対してどうしてもその実現のための動きが自分の信念としてできない」、そんな状況にあるのなら組織人として「その組織を脱する」「辞める」と言う動きになるのではないでしょうか。

 

会社組織で「たくさんの人たちが動いていることに対して一緒に汗かくのではなく、批判だけして自分は何もしない」そんな人がその会社組織に居続けることはできません。居られない、のです。

 

あたりまえ、だと思うのですがどうでしょうか。

 

★それとも「国会は別」??

 

  ・「国会議員のひとり一人、全員の国会議員がその共有された 

   日本と言う国の未来シナリオ・明日シナリオ」を共有して「こう

   どう(考え動く)する」こと

 

  ・組織なのだから「決定するまでは様々な観点からの議論が

   あっていい、あって然るべき」

 

    ただし!!!!

 

     ・組織として決定されたのなら「自分は反対だ」で行動しない

    なんてことはあり得ない、それは「組織人」ではない。
    どうしたら自分がその動きをサポートしていけるのかを考え

    そして動くこと、それができるのが「組織人」

 

●次に「マスコミ報道」。

 

②マスコミ・報道機関のみなさまへ。

報道スタンスを「明確」にした上で「報道」してください。

  ・日本をどんな国にしていきたいから、どんなスタンスで報道

   するのかを明示

  ・自社の「報道ものさし」の明確提示

 

  視聴率で競い合うのではなく

    日本を「楽しい素敵な国」にしていく日本人の心を明るく

    していく』ことは「共有して」競い合っていただきたい

   

 

コロナ感染報道・・・・毎日毎日、報道される毎に、ニュースに触れる度に楽しくなくなります。

「前向きになろう」と言う気持ちにさせる報道には残念ながらほとんど出会いません。

          

                             挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●毎日毎時・・・・どうして「悪い状況」を探しだして?創り出して?報道するのでしょうか。

 

  過去最大、前1週間と比べると・・・・・・今のほとんどのマスコミの報道に触れると「ヤバイ」「怖い」「今までの動きが効果出していない」・・・・か、と言って「こんな新しい動きを」はほぼなく「コロナ禍ヤバイ」「コロナ怖い」・・・・・・日本国民の心を「煽っている」どこへなのか分からないが「扇動されているそんな気がしてなりません。

         テレビ・新聞・ラジオ、週刊誌・・・。

 

明日に向けて『その気にさせる』」報道ではない、のです。むしろ「逆」。

 

●先の「国会」のところでも記しましたが「足をひっぱっている」そんな気もしてきてしまいます。

「目指す日本」形成に向けて日本国民ひとり一人を「その気に」「やる気」にしてくれる報道内容と報道方法ではない、のです。私はそう感じています。
 

国会マスコミも・・・・

「日本の楽しい明日」構築のために、では同じ動きになって欲しいそう思います。

そのために・・・・「助け助けられ」・・・。

          足の引っ張り合いではありません。

 

●ここのところ「文春砲」と言う言葉が命を持ち始めてきています。

なぜ・・・文春さんがつかめる情報を国会が、国の機関が「自分で」つかめないのでしょうか。

単純です。

   問題視していないから調査もしないし確認もしない・・・。

 

●そして今の社会での動き・・・大変に妙な例えで恐縮なのですが「物陰に隠れて、一時停止違反やスビート違反をとりしまる」、現実にある警察の交通違反取締りの動きに似ているような気がしてなりません。(ネズミ捕り・・・・)

 

●警察の「本来の目的」は「検挙する」ことではなく「交通事故をおこさせないこと」。
私はそう思うのです。そのひとつの手段として「違反検挙」の動きがある。
だとしたら
 「隠れて」ではなく「違反が・・。起きそう」「事故がおきそう」な所で「警察官の姿」をしっかりと見えるところに配置すれば「スビート違反」も「信号無視」も「一時停止違反」も、そして「交通事故」自体も『事前にストップ』できる のではないのでしょうか。

 

「違反を起こすのを「待っている」」。
そんな、こんな動きから早く脱して欲しい、いつもそう感じています。

 

●妙な例えからで恐縮ですが、同じ想いを報道に対しても・・・。

 

●スクープ争いがあるから・・・いろいろな理由はあるとは思うものの「楽しい素敵な国、日本」を形成していくためには今のマスコミ報道の状況を変えていく動きも必要なのでは?

併せて前記しましたが「文春さん以前にヤバイ状況・まずい事実」を当事者(国会・役所・・・国会議員・・・会社・・)が「どうしたら自分で感知できるのか」、「どうしたらそんな動きを起こさせないようにできるのか」を「それぞれが考えて考えたら策を現実にしていく」動きをとるのが一番早い、私はそう思うのです・・・。
 
文春砲不要な世の中に、ですね。

 

●別の言い方をすると「各々が新しい動き方をきちんとしていくこと」「自分で自己洗浄していく」ことで「文春砲」さんの存在がいらなくなる状況にしていけばいいのに・・そう思います。

 

★これは「リスクマネジメント」「組織マネジメントそのものなのです。

 

●「違反を待っている」。そしてその「違反」についてあれこれと何回も何回も言葉を変えて指摘し続ける・・・・マスコミ報道だけでなく、いろんなところでそんな動きになりつつある・・・・

そして・・・・誰も大きな声にしないから、だから・・・・結果として日本が楽しくなくなってきている」のかも・・・そんな気もしています。

●楽しい素敵な「日本」、素敵な楽しい「優しい日本人」としていくために・・・国会議員の先生方そしてマスコミ各社更にひとり一人の日本人、「みんなの」「想いの変革」が要るのでは・・・抽象的ですが、そんな想いも感じています。

        
                             挿絵は田中拓馬画伯 画


嫌な状況を変えていくために必要なこと、それはひとり一人が「ああしたい」「こうありたい」を心に描き、それを集めて「ひとつの明日へのシナリオ」を描き、共有し、同時に一人一人がそのための変革当事者となること。反省を含めながら、新しい年度が始まった2021年4月、改めてそう思っています。

 

       今回も最終行にまでお眼をすすめていただきまして

                 ありがとうございます。

 

      苦しい状態、しんどい状態、嫌な状態が長く続く

             沢山の人たちに強いる・・・・

  そんな時、経営に携わらせてもらっていた時に私が行ったことがあります

                  それは

    「今の苦しさ、しんどさ、辛さの向こうに何があるのか」

      「今のしんどさ、苦しさそして辛さは何のため」

   それをなるべく具体的に何度も何度も語り、自ら率先して動き

             そしてみんなに共有してもらう・・・

            そんな動きをずっとやっていました。

 

      にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)

 

<<ブログ 316>>

 

各社「新年度計画確定時期」に巻き起こったコロナ禍での株高 

   バブル期以来「30年ぶりの日経平均3万円突破

そして菅首相長男問題みずほシステム障害から想うこと

 経営計画と同時にリスクマネジメントをしっかりと

    私の想う「リスクマネジメント」

        ~変わらない私の想い~    by  入道

 

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            今回も秋葉原を基地として世界への羽ばたきをされている

                私とちょっとだけ?歳の離れた友達

   画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

             拓馬さん、ありがとうございます。

田中拓馬さんのオフィシャルウェブサイトを訪ねていただければと思います。

                     http://tanakatakuma.com

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・3月決算を迎える会社の多くが「新年度」で発表するための「年度計画」を固めようとしていた時期、そして・・・私の6回目の「干支誕生日」の前日、2021年2月15日に株価、日経平均株価は「3万円」を超えました。日経平均株価が「3万円」を超えたのは何と「30年半ぶり」だとか・・。
 

・ちなみに同じコロナ禍状況で学校の一斉休校を始めていた昨年の3月18日の日経平均株価は「16,358円」でした。

一年前と比べて何が「良くなっているのか」、単純「景気は大幅に改善」されているのか・・・

・なんで「コロナ対応」が継続している中で昨年来、「株価」だけは上昇し続けているのか?

 

・株価3万円突破と同じ2月15日に発表された前年「2020年の一年間の実質GNPの伸び率」は「▲4.8%」こちらは「11年ぶりのマイナス4.8%」なのに・・・・・。

・不思議でなりませんが今回のブログは「株価は適正なのか」を書くのが目的ではないので、ここらで株価に関しての記載は止めておきたいと思います。

 

●上記のような上昇している株価状況の中で、年度末3月決算を迎える多くの会社では「新年度の経営計画『確定』」の時期に入っております。

 

●会社所属で社長を務めさせていただいていた時期、私は「新年度計画」策定の動きと連動しながらいつも「別の一つの動き」を私を含む少人数で行っていました。

 

新年度計画は会社の仲間のみなさんと一緒に策定していましたが、上記の「別の1つの動き」は「私一人ないし極少人数で」行っていました。

 

★そこで「やっていた動き」、それを言葉でまとめてしまうとリスクマネジメントになります。    

           
                              挿絵は田中拓馬画伯 画

 

具体的には・・・

 

★新しい一年で自分たちが困る、自分たちにとって起きては困る、自分たちにとって起きたら嫌な状況」

もっと分かりやすく言えば計画が達成できなくなる会社にとってマイナスな状況」を「自ら考え」、考えたら次に「その状況になったら自分たちはどんな動きをしたらいいのか」をできうる限りたくさん考えて、

それぞれに対する「対応策」をきちんと考え、網羅しておく
これが私のリスクマネジメントの具体的な動きです。

 

「リスクマネジメントを「私なりに」表現するといくつかありますが、次のようになります。

★私の想うリスクマネジメントとは・・・
リスクマネジメントを「私なりに」表現すると・・

 

  ◆ 「想定外を極力少なくしていく動き」

    =「できうる限り想定内にしていく動き」 

   自分たちにとって「都合の良くない事態」をたくさん想定し

   想定した「嫌な都合の良くない事態」一つひとつに対して

   もし「そんな「事態」になったら自分たちは「どんな動き」を

   するのか」をしっかりと考え、具体的な行動策(アクション

   プログラム)まで考えておく

    そしてそれをきちんと自分で記録して記憶しておくこと

   そうすれば 、仮に嫌な事態になったって

   全て想定内のこと」になるのですから。

 

  ◆そのために必要なのは

    ・仮説・・起きては嫌な状態、嫌なこと・・・この状況を「どれだけた

     くさん想定できるか」にかかってきます。

    ・この動きをこれも私なりの表現にしますとこうなります。

      「TIINKは悲観的に、そしてACTIONは楽観的に

          徹底的に悲観的に想定し、楽観的に動く

 

    ・想定内のことにしてしまえば、その時の対応はTHINKの時に

     考えているので、その動き、ACTIONをしていけばいい、ので

     す。

            
                             挿絵は田中拓馬画伯 画

 

  ★悲観的に考え想定した状況にならなければ「ラッキー」だけ

    になります。

●いつも会社の年度計画と
  で「当該期に起こりうる自分たちにとって嫌な不快な状況」をたくさん想定して、その想定した「嫌な状況なったらどんな動きをしたらいいのか」を「具体的な行動レベル」まで落とし込んで「たくさんたくさん」の「万が一の時のアクションプログラム」としてまとめておくこんな動きをしていました。

 

●はるか昔・・もう51年前、私が21歳の頃に学んだコンピュータプログラミング
 この中にあった「プログラミング組み立てワード命令文」が私は大好きで今でもことある毎に使い続けており、そしてそれが前記してきた「私のリスクマネジメント」にもつながっています

 

●それは

  IF 〇〇〇〇、THEN GO TO ◎◎◎◎◎

 

  「もし○○〇〇の状況になったら、その時には◎◎◎◎◎へ行け」との命令文なります。

 例えば、もし「イコール」にならなかったら、その時にはもう一度前の指示のところに戻れ・・こんな使い方になります。

 

●どうでしょうか!!

  何も問題なければ、そのままどんどん進んでいきます。でも「あるところで」「想定と違う」状況になった時には「どうするのか」をプログラムの中にしっかりと入れ込んでおくのです。
 

極論、「ERROR」表示をする、これだけでもいいのです。

ERROR表示が出たら「やり直してください」これだけでもいいのです。EROORのまま先に進めること、これが一番「危険」「やってはいけないこと」なのですから。大切なのはダメですよ、ERRORですよ」と感じること、教えることなのです。

 

★いかがでしょうか。

リスクマネジメントそのもの」だと思われませんか。

 

★21歳の当時は「リスクマネジメント」なんてことからは全く発想していませんでしたが、完ぺきに「私のリスクマネジメント」の考え方の土台になっています。

          
                            挿絵は田中拓馬画伯 画

●コンピュータ、いろんな人が使いますので、どんな人がどんな使い方をしても「正しい方向に進めるようにしていく『道標』、それが「プログラミング」なのかなともずっと想い続けています。

企業におけるリスクマネジメントは「嫌な状況そしてあっては困るマイナス事態をも想定した経営プログロムそんな言い方もできるかも知れません。


   IF(想定した嫌な状態A)になったら、THEN(その時には) 

       GO TO(あらかじめ考えてあるこの動きをしなさい)

 

●だから・・・・・嫌なやりたくい動きなのですけれども
「自分たちにとって嫌なマイナス」となるのはどのような状態なのか、どうなったら嫌、マイナスになるのかを徹底的に想定し、想定した事象に対して起こりえるだろう順に「そうなったら自分たちはどんな動きをしていくのか」を具体的なアクションプログラムにまで落としこんで用意しておく。
 この動きが私の想うそしてずっとやり続けてきたリスクマネジメントです。

 

★「ことが起きてから〇〇対策委員を設置してそこで考える」

   これはリスクマネジメントではありません。断言いたします。

「その場しのぎ」「時間稼ぎ」でしかなく事態をより「悪く」させてしまいます。

 

 

★繰り返しをして結びたいと思います。

 

         THINK(考え)は徹底的に悲観的にし

         もしその悲観的な状況になったら

      どんな動きをしていくのかを徹底的に考え

    考えたら次にその嫌な状況一つひとつに対して

具体的なアクションプログラム(いつ、だれが、何を、どこで、・・)に

              落としこんでおく

         そこまでやっておけば大丈夫

   仮にことが起こっても大半が「想定内」となるのだから

                だから 

       ACTION(行動)は楽観的に 

 

★そして・・・私に気づきを与えてくれたIF・・THEN GOTO・・・・」日本語私なりに表現するとたくさんのチェックポイントを自ら設定する動き」となります。

 

いちど、動きだしたからずっと・・・なのではなく例えば月に一度とか半月に一度とか「立ち止まってこのまま進めていっていいのか、やり方を変えた方がいいのか、ストップをかけるのか・・」、次へのアクションのための「チェックポイント」を、できるだけ「たくさん設定」していくことそう思います。

 

 ★これが私の想うそして実際にやってきたリスクマネジメントへのこうどう(考動=考え動く)です。

      今回も最終行にまでお眼をすすめていただきまして

              ありがとうございます。

      沢山のたくさんの本が発行されているリスクマネジメント
         私の想いを改めてひとことで言ってしまうと

              リスクマネジメントとは
      「負の状況、マイナスの状況になつた時の事前準備」
                こうなります。

 

      各社、各人、目指しているところ、そして動き方も

     みんな異なるのですから、回答は企業の数だけある

             人の数だけある・・・・・

     それがリスクマネジメンだと改めて感じています。

                ありがとうございます。

        にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)

<<ブログ 315>>

 

 いつも私のブログに訪問していただきましてありがとうございます。

 

●このたび、300回を超える更新をしてきました私のブログ投稿を整理したり新しく付け加えたりして「働くこと 経営することそして生きること」のタイトルで1月25日発売で出版させていただきました。

 

           

 

              👆

●上の表紙の素敵な優しい絵はいつも私のブログにご厚意で挿絵を画いてくださっている私のちょっと歳の離れた友達、画家の田中拓馬さんが新しく画いてくださいました。また本文にも挿絵の利用をご了承いただきました。拓馬さん、ありがとうございます。

 

●私のブログの書籍化・・これまでもいくつか誘いがありましたがその度に「私には・・」「今はまだ・・」とお断りをさせていだいておりました。
 

★今回、そんな私の心の扉?を開いてくれたのが本書の出版社であるアトリエ椿納言の本多美也子さん


★私のリクルート時代、かつて一緒に働いていた仲間。その本多さんから出版コードを取得したのでアトリエ椿納言の第2冊目として「オール元リクルートで本を出しませんか」との声掛けをいただきました。
 

★声掛けいただいたこの時期・・私が6年前の肺がんに続いて大腸がんの手術を受けて(令和1年5月~12月)、改めて自分の「終活」を本気で考えていた時と重なり、本多さんの「著者・出版社・印刷所、全て元リクルートの結集(私・本多さんそして印刷はフロンティア・クリエイションの濱田貴弘さん)で一冊の本を」の声掛けに私の心が反応いたしました。 

 

★そして・・アトリエ椿納言さんの発刊第1冊目が奈良の「丹生川上神社下社」の宮司、皆見元久さん「心の荷物をおろす場所」、この神社さんの所在地の昔の呼称がなんと丹生村 にうむら・にゅうむら」。

            
 

 

★そうなのです、かな書きですと私の姓と一致する、のです。ものすごいものすごい「縁」を感じました、そして心を決めた、改めてそう思います。

 

●よろしければ、これまでの私のブログ投稿の集大成としてご一読いただければ幸いです。

 

●コロナ感染の勢いが止まりませんが、マスコミの過剰報道情報に踊らされることなく、しっかりと対策をとっていただき工夫を重ねて楽しい素敵な1日を重ね続けていただけたら、と思います。

 

 

           6回目の「干支誕生日」をむかえる2月を目前に

                にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ

                      入村 道夫    

なお、本は・・・・・

    ☆インターネット: BASEネットショプアトリエ椿納言   

        https://tsubakinagon.thebase.in

            又はAmazonにて購入ができます           

<<ブログ 314>>

 

             やめませんか   

  「煽り報道」そして「手のひら返し報道」

             マスコミのみなさまへ

         「事実」のみを伝えませんか

  もし「事実と断言できない『私見』を報道する』のであれば

自らの「立場」「考え方」を明確に提示してから「報道」してください

 「批判」すればいい、このスタンスは絶対に止めていただきたい

                そして

         「ワイドショー」やめませんか

                ~私の想い~           by  入道

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      今回も秋葉原を基地として世界に向けての羽ばたきをされておられる

          私とちょっとだけ?歳の離れた友達、画家の田中宅様さんが

                 ご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

                         拓馬さん、ありがとうございます。

          田中拓馬さんのショップを訪ねていただければ、と思います。

                http://tanakatakuma.com/

                    https://ttakima.thebace.in/

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●コロナ禍の状況で初めて迎えている年末年始。

 

●寒さが厳しくなるのに連動して感染の勢いを増してきているコロナ。

感染第三波・・・その状況の中で新聞・テレビ・ラジオ・・週刊誌・・昨今の報道の仕方、報道各社の「報道姿勢」がとってもとっても気になってきています。

                   

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●その私の想いを記していくまえに今回は「こうして欲しい」の私の勝手な「想い」を先に箇条書き的に記したいと思います。

 

      「7つのこうして欲しい」(順不同)

★感染者数等コロナに関する報道はテレビ・ラジオ共に「番組表の『ニュース』の時間」のみとする。(一日のどこでテレビをつけてもコロナコロナそしてコロナ・・・これでいいのでしょうか。世の中はコロナだけなのです?)

 

★報道する時は、人の心を煽るような言動を、そして表情をすることなく「事実のみ」を伝える。

   責任をとらない勝手なI Think So」はいらない

 

★報道する前に自分たちの報道姿勢を明確に伝える
(現政権は嫌いです、変えた方がいい、これが私たちの姿勢ですetc etc)

 

★テレビの「ワイドショー」ではコロナに関することは事実を伝えるだけで勝手なコメントはつけない。

 

報道したことに全く責任をとらない「ワイドショー」は止める

 

アナウンサーでなく「私見」も言う(ニュース)キャスターは必要なのでしょうか。ニュースを伝えるのはアナウンサーとしませんか。

 

出てはいなくなりまた新しい人が登場の「専門家」は本当に「専門家」にして、異なる意見の専門家と対にして報道する等で「報道の客観性」を確保する。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

●上の「想い」に至ったのは昨今のGoTo」に関する取り上げ方。

 

◆コロナ感染が増えている状況で、多くのマスコミは「なんで菅さんは、政府はGoToを停止させないのか」との報道を続けていましたが、菅首相が「GoTo一時停止」を発表すると、その瞬間から今度は「GoToを停止するとこんなマイナスがある」「なんで停止するのか」とこれまでの自分たちの報道し続けてきた「言葉」と真逆の言葉を平気で使っている・・・・・。

 

◆まさに「手のひら返し」報道を平気でしているのです。これが日本の報道の一面なのです。

           

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

◆なんでなのでしょうか?

◆寂しい、そして悲しいことなのですが
国民の心の「想い」に大きな影響を与える報道なのに、いまの日本の報道の多くが・・・・「批判する」ことが自分たちの仕事であって「誉めること、認めること」は自分たちの仕事ではない、国民の心を煽る伝え方をする・・これが報道のスタンス、「報道姿勢」なのだと感じてなりません。
 

◆違う言い方をしてみると・・・・「批判すること」を「目的」として「報道」している、そう想うのです。そう感じるのです。

 

◆結果としてなのかも知れませんが国民を「煽っている」のです。

★視聴者・・・
一人一人の人たちが「自分で判断できるように『事実』だけを報せていく」これが報道のあるべき姿勢なのでは、と思うのですがいかがでしょうか。
 

「報道」は決して「押しつけ」ではない「押しつけ」であってはいけない、そう想います。

 

★勝手な「解釈」を世の中に発信してはいけない、もし発信するのであれば「冒頭」あるいは放送中も「現在放送している内容は正しいと保証できるものではありません」「どうか自己責任でご覧ください」等々のテロップを流しつづけていくべきなのでは・・。

 

●特にワイドショー番組で強く感じますが、今はNHK(受信料を取っている公共放送)番組も含めてワイドショーを意識してのことなのか?事実報道の後に、場合によっては事実報道よりも長い時間「・・・と思います」「・・・としていただきたいと思います」「・・・どうなのでしょうか」等々、ワイドショーと比べれば「柔らかな表現」ではありますが、「事実」と断言することのできないも言ってみれば「私見」(局見?社見?)を全国に発信している、させているのです。

            

                          挿絵は田中拓馬画伯 画

 

「報道の自由」あるいは「表現の自由」があるんだからいいじゃないか、と言われるかもしれません。

 

●でも、個人が物を書くとか、発言するとかの自由とテレビ・ラジオ・新聞、週刊誌と言ったいわゆる「マスコミ」の自由とは異なる、そう感じます。

 

個人が・・・の場合には「私はそう想う」「私はそう考えている」がある意味自然についてきている、そう想うのですが、マスコミの場合は「これから放送することは私たちの考えることであり、場合によっては偏っているかも知れません」なんてコメントは全くなく、ある意味で視聴者が選択することなく一方的に情報を流されてしまっているのです。

 

「自由」・・・前提があるのでと私はおもうのです。なんでもかんでも「やっていい」、ことではないと思います。

 

「前提」それは「他人の心身を傷つけない」「人間としての「常識」から脱しない」「自己利益のためのものだけであってはいけない」等など、人間が社会で生きていくのことの「前提」と同じなのではないでしょうか。

 

★私たちは「社会」で「たくさんの人たちと一緒に」生きている、この「事実」から逸脱してはいけないと強く思っています。

 

★「報道」。報道は「報せ導く」

となると絶対に必要なのは「どこにこうとしてせているのか」「どこにく意志を持ってせているのか」となります。

 

★ここを明確に社会のひとり一人に報せ、その上でニュースを報せていきませんか。お願いいたします。

 

       今回も最終行にまでお眼をすすめていただきまして

                ありがとうございます。

 

     菅総理、菅内閣への支持率がものすごく落ちてきています

     GoToコロナ対応、さくらを見る会、献金問題等々ありますが

      やはり連日連夜のマスコミ報道が大きく影響していると

                 単純に感じます。

   「どんな姿勢」「どんな想い」で「報道していくのか」「報道するのか」
       やはり報道各社はその「姿勢」を明らかにしてから

        報道して欲しい・・・正直に改めてそう思います。

 

                            ありがとうございます

            にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ      入道(入村道夫)

 

<<ブログ 313>>

           菅内閣

 「省庁縦割り打破と規制改革」に想うこと
          使う言葉は違うけれども
        小泉内閣の「
構造改革」そして

      安倍内閣の「岩盤規制改革」と同じ流れ
                  
      全て Restructuring リストラ 再構築
            リストラは人減らし、ではない
                ~私の想い~         by入道
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  今回も私と少し歳の離れた(若い)東武スカイツリーライン沿線友達

 秋葉原と越谷市を活動基地として世界への羽ばたきをされておられる

 画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

      拓馬さん、お心に感謝です。ありがとうございます。

田中拓馬さんの公式オンラインショップも訪ねてみていただければ、と思います。

           https://ttakuma.thebase.in

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脱印鑑、脱はんこ。一挙に動きだしたの感がある菅内閣の「規制改革」の動き。
 規制改革
「今これまで」を「今これから」のものさしで変えていくこと、私の勝手な定義付です。
 
●世の中・・・「はんこ」に気持ちが?集まっていますが、今までの内閣ではこのような動きはなかったのでしょうか。菅内閣での動きが規制改革の初めての動きなのでしょうか?

●そんなことはありません。昔から様々な動きが登場しています。

●ほぼ20年前の小泉内閣では「改革なくして成長なし」の「
構造改革」であり、また先の安倍内閣でアベノミクス第3の矢「成長戦略」の一丁目一番地と表現されていたのが「岩盤規制を崩す」「岩盤規制改革」でした。

●使う言葉と対象は異なってはいるものの私の想いでは「同じ」動きと感じています。

●どう同じなのか。

●それは
「今これまで」に固執する、「今これまで」を守るのではなく、心を「今これから」に置いて、 「今これから」のために「何をどう変えていくのか」の視点、想いである、と言うことです。


         
●その対象が小泉さん、安倍さんそして菅さんで異なっているだけで「今これまで」を「変えていく」と言う動きでは全く一緒なのです。そう思います。

☆3つともに同じ文字・言葉が入っています。それは「
改革」と言う文字であり、ことばです。

★「
改革」とは単純に「革新」であり、「改めること」です。

「永い時間軸、歴史の中で築き上げられた『仕組み』を改めること」です。

改める」には何が必要なのでしょうか?私の想いを私の言葉で記していきたいと思います。

改革とは「勇気を持って過去から今日まで続いていることを捨て去る」ことから始まるもの。
 
◆「過去から今日まで続いていることを勇気を持って「一旦」全て捨去り、「本来あるべき」そして「今日これからの未来」を想い、「あるべき状態・ありたい状態」を明確にして、その状態「実現」のために「今、何をなすべきなのか」を考えそして行動していく、
「あるべき明日」「ありたい明日」のデザインが先にありき、で動いていく、これが「改革」の動き方、進め方であると思います。


◆今回の菅内閣の「省庁縦割り打破と規制改革」も、「省庁の再編」が先に論じられるのではなく、
今から先、「これから」の国際社会そして日本を考えた、「ありたい状態」をデザインした時に、官庁・省庁は「どうあるべき」なのか、この議論を徹底的に行うところからスタートして「ありたい状態」「ありたい姿」をデザインし、そのデザインが「共有」されたところで、その「デザインの実現」のための具体的な施策、論議として「省庁・お役所の再編とか統合とか垣根の撤廃さらに民間に委託」等々の施策、方 法を論じるようにしていかないと事はうまく進まない、そう思います。

◆そして、これもあたりまえのことなのですが
「改革」は「現状肯定」からは産まれてはこないものである、こうも思います。

◆これは国であってもまた会社組織であっても全く同じこと、私は思っています。

「改革」には
「反対者=改革による被害者?=損をする人たち=既得権者」がたくさん存在するものでもあり、それが改革がなかなか進まない原因でもあります。

●なぜその人たちは反対するのか、それは本来必要な
「未来デザインの共有」をすることなく、或いは先送りにして、いきなり「省庁再編とか民間委託」とかの「手段・手法」に入ってしまうからなのではと私は思います。

●では・・・反対する人たちもなぜ「あるべき状態」「ありたい状態」を議論する前に「反対」の声を大きくするのでしょうか。

★それは一言で言いきれば
「利権が絡む」「既得権益が絡む」からなのだと思います。

★国もまた会社組織でもそうですが
「現在の仕組み(=構造)」の上に「利益(=自分にとってのプラス)」を得ている人たちが多い、そのことが反対する人たちの多さに単純繋がるわけです。

「現状」と言う「座布団」の上に「あぐらをかいている人がたくさんいる」と言うことです。

          

「将来の日本」より「今の自分のプラス(=利益)」が大事!!
言い切ればこうなるのでは・・。
 だから、「今を壊す動き、改革の動きには反対」する、そうなのでは。座布団が無くなっちゃうのですから。

会社組織でも全く同じである、経験からそう思います。

●よく使われている
「リストラ」と言うことば。
リストラRestructuringの略語。単純表現では「再構築」
 
「革新」「改革」のためのひとつの手法を表す言葉なのです。

★日本であたりまえのように使っている
「人員削減」ではない、のです。

リストラとは「人減らし」ではなく「会社と言う組織の構造改革」です。私の経験から言いきれば「削減なのではなく、経営資源(人・お金・情報・時間・・・等々)の思いきった「集中」である、そう想い続けています。私の考え方です。やってきた動きです。

「会社の未来のありたい状態・姿」を明確に構築し(=デザインし)、その実現のために会社の持っている「経営資源」を「どこに集中的に投下していくのか」、これを考え実践していくことこそが「リストラなのだと思いますし、私はそうしてきました。

構造改革とは正にリストラなのです。

●でも、国も会社も「構造改革=リストラ」と表現するとすぐに「人減らし」になってしまう、ここがおかしい、間違っている、そう感じてなりません。

●そして・・・そんな動きをする人たちは一方で「今これまで」から「利益」を得ている人たち。

自分に火の粉が飛んでこない改革には賛成するけれども、自分にちょっとでも火の粉が飛んできそうな改革には「全て反対のための反対」をする・・・。

現状と言う自分にとっての心地よい座布団の上にあぐらをかいている人たちに改革は絶対にできません。

         

●会社でも全く同じ。

今のままの方が自分は楽だ、仕事のやり方を変えたら自分は「楽」でなくなる・・・しんどくなっちゃう・・・だから「改革は慎重に」・・・・こんな人たちって意外と多いのです。そして、こんな人になってはいませんでしょうか。

●これから先の経済社会では、特に
「上位役職者」の人たちに前記のような人たちが多く存在する会社は必ず崩壊していく!!こう断言したいと思います。

「改革」は「徐々に」「少しずつ」にでは「実現」していくことはできません。

一挙に」そして「多数決」ではなく「強い意志と責任感を持ったリーダー」の下で成し遂げていくことがてきるもの、改めてそう思います。

 

      今回も最終行にまでお眼をすすめていただきまして

               ありがとうございます。

 

    「今これから」をどうしていくのかを唯一のものさしとして

    勇気を持って変化に挑戦していく動きをみんなで!!

      「変化」とは「今これまで」を変えていくこと

         ものすごく単純なのだけれど

             むずかしい・・・・

    なぜ難しいのか、を私の勝手な想いで記しました。

 

           ありがとうございます。

     にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入村道夫

<<ブログ312>>

 

 

    組織=社会で生きていく時に

     大切な 3つのお約束+1   

        ①しょうじきに

        ②やくそくはまもる

        ③たすけあう

            &

    +1 大人(先輩者・上司・・)率先垂範

             ~私の変わらない想い~ by 入道

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         今回も私とちょっとだけ歳の離れた友達・・

     秋葉原と浦和を基点として世界への羽ばたきをされておられる

   画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

           拓馬さん、ありがとうございます!!

                  お心に感謝、です。

  田中拓馬さんの公式オンラインショップも訪ねていただければと思います

           https://ttakuma.thebase.in

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組織・・・組織とは「二人以上のひとの集まり」。私の勝手な定義付です。

家庭も組織、会社も組織、地域も組織、・・・・そして「社会」も組織。

 

私たちは誰でも「組織」の中で「組織の一員」として生活し働いている・・・

この「組織で生きること」「組織で働くこと」を「楽しく活き活きとしていくために」何が必要なのだろうか。

                                挿絵は田中拓馬画伯 画

そんな自己問答の末に私が行き着いたのは

①正直に。ウソはつかない。

②約束は守る。守れない約束はしない。

③助け合う。

+1 上位者・リーダー率先垂範

 

この「3つのお約束+1」ひとり一人がきちんと行っていけばいい、それだけのことと言う想いでした。

 

なぜこの「3つのお約束+1」となったのか・・その私の想いを書いていきます。

               ⇓    ⇑

ひとはひとりじゃいきてはいけない

とってもよわい動物

みんなで一緒にいることでやっと生きていけることを

知っている弱い動物

 

だから

ひとって動物群れ・集団を形作って

生きていく

 

ひとと言う弱い動物が生きていくために

形作る集団・群れ

これが社会

 

そして

社会みんながいることで安心して生きていける

この状態のことを

社会と言う群れ中で安心して生きていくこと

それが生活

         

                        挿絵は田中拓馬画伯 画


だから

社会での生活のあたりまえはむずかしくなんかない

ひとりひとりができることを出し合って

助け合って生きていくこと

これが社会あたりまえ

 

社会と言うひとが形作った集団・群れの中で

生活するひと、それが人間

 

ひとひと自分が生きていく

 

助け合って、時にたすけられ、時に助けて

生きていく

信頼でつながっているひとひと

 

でも

いつのまにか「人間は強くなければいけない」

そして「かしこさとか腕力とかお金をたくさんもっている」とかで

人間ランク付けしちゃうような「いやなものさし」

できあがってしまっている

 

できることを探し出すのではなく

「できないこと」を見つけ出すような

「できないこと」を「できないじゃないか」と指摘するような

嫌な社会になっちゃってきているように

感じてしまう

 

こんなランクはいらない、こんないやなものさしはすてよう

「自分以外の人達を助けていくために私はこんなことが

できますの一覧に変えちゃえばいいのでは

 

そして、

ひとりひとりが「自分のできることをひとつずつ」

増やしていくそんな状態になってけばいいんだ

それがきっと教育だし育成

 

大人でもこどもでも、普通の人間でも

どこかにちょっと障がいをもっているひとたちも

み~んな誰でも「できること」をもっている

 

そして

その自分のできることで

ほかの人のできないことを

そっと助け合ってみ~んなで生きていく

これが生活ということ

 

        

                        挿絵は田中拓馬画伯 画

会社もおなじ

会社たくさんの人たちの集まりなんだから社会

 

会社はなんでたくさんの人たちを集めているのか

 

答えはすごく簡単

ひとりじゃできないこともたくさんの

そして、

おんなじような人たちじゃなくて

ちがうひとたち、できることが異なる人たちが

集まっていれば

単純、対応力の強いいい会社になるから

 

おんなじような画一的な人材をあつめて育てたら

何かあった時にはひとつの対応しかできないとに

なってしまう

 

だから

採用活動「この人はどんなことができる人なのかな」

「どんなことで助けてもらえそうかな」

その人の「できること捜し」をして

これを感じとること

 

採ってやる

こんな考えはありえない

 

自分たちの会社の明日を助けてもらうために

仲間に加わってもらう、これが採用活動

 

   と言う弱い動物が形作る群れ・集団

『組織(家庭・会社・地域・社会)』で生活していく時

        みんなで守りたい

    『3つのお約束+1」がある

       3つのお約束+1、むずかしくはない

          優しく易しくすごくシンプル

 

      「信頼」と言う「心の接着剤」で

 心が結ばれた「社会」にしていくために

 

①「嘘はつかない、正直に」

②約束は必ず守る、できない約束は絶対にし 

  ない

③助け助けられをあたりまえにする

そしてプラス「1」

組織(二人以上のひとの集まり☚定義は入道)の

上位者・リーダ ー、年配者が一番働く

           ===上位者率先行動

        

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

私はずっとそう想い続けてきています。

 

        今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

               ありがとうございます。

 

       殺伐とした社会に「潤い(うるおい)」を与えるのは

        「潤い(うるおい)」を感じることができるのは

               「人の優しさ」に触れた時

     他人の心に「自分への」「ありがとう」を感じられた時・・・

 

   「潤いのある社会(二人以上のひとの集まり、by入道)」でありたい

                   どうすれば・・・・

  そんなことを一生懸命考え続けていた時に心に浮かんできたことを

                  書いてみました

 

                ありがとうございます。

      にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ  入道(夫)

 

 

<<ブログ311>>

     7年9か月ぶりの首相交代 菅内閣誕生に想うこと

     発足したばかりの内閣の高い支持率

       きっとそれは「変化」への期待

            「変化」それは菅新首相の「決断」次第

                ~私の変わらない想い~  by 入道

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            私のちょっとだけ歳の離れた友達

     浦和と秋葉原を基地として世界への羽ばたきをされている

 画家の田中拓馬さんが今回もご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

        拓馬さん、ありがとうございます!!

  田中拓馬さんの公式オンラインショップも訪ねていたければ、と思います。

               https://ttakuma.thebase.in

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●8月27日の安倍首相の急な退陣表明を受けて、9月16日に召集された臨時国会の衆参両院本会議の首相指名選挙で菅さんが第99代首相に指名され、その夜に首相親任式・閣僚認証式を終えて菅内閣がスタートしています。

          

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●菅新内閣、まだ本格的な活動にはなっていないにも関わらず、マスコミ各社の世論調査での内閣支持率は軒並み64%~74%高い支持率を記録。なぜに?

        

                      ※9.21読売新聞オンラインより

 

●私はこの内閣支持率Upはきっと「国民の『変化』への期待値」なのでは、と感じています。

 

★「期待」。

   今までとは異なる〇〇〇の状態創造への期待です。

 

「今のままでは嫌だ良くしてほしい」「今とは違う明日にして」「明日をもっと良くして欲しい」・・きっとものすごくたくさんの「今と違う状況であって欲しい」があると思います。それが支持率UPに繋がっている、そう感じます。

●では、「今とは異なる日本」を形成していくために何が必要なのでしょうか?

 

必要なのは、「変化させていくこと」「変化させ続けていくこと」だと私は思います。

 

●でも、「変化」「変化」「変えるぞ」「変えよう」とどれだけ言い続けても変わることはできません。

 

★変化を生じさせるために必要なのはトップの「決断」です。

菅首相の「決断」。菅首相が「これからどれだけたくさんの『決断』」をしていくのか、に「日本の変化」がかかっている、のです。

 

        

                         挿絵は田中拓馬画伯 画

 

★そして、「明日の日本形成のための『決断』」、これこそが日本国のトップである菅新首相の「役割」「仕事」なのだと思います。

 

 

 

◆「決断」と言うことに対する私の想い。

◆先ずは、かつて悩み悩みのツボの中にいた私に私自身が送っていた言葉を示します。

 

 悩んでいる入村さんへ

組織の上位者・役職者の役割それは「決断」することにあります

 

           悩みぬいているとき

           どうしようもないとき

     そんな自らの悩みとどうしようもなさを

        逆に明日へのエネルギーに

         変える方法がひとつある

              それは

         『自ら決断すること』である

                             by 入道

 

組織の上位者、特に役職者の最も大きな役割決断」することにある、私の変わらない想いです。

 

●上位者・役職者(以下リーダーと表示)に必要な力をひとつだけ挙げろと問われれば私は迷うことなく「自己責任の決断力」と応えます。

 

存在価値のないリーダー

①「自ら決断しない人」「自分一人で決断できない人」。

②次は「〔他人から受け入れられない〕自分勝手な誤った決断をする人」。

 その誤りは現実をきちんと自分自身で把握していない、感じていないことから生まれてくるものである。

③そして「自分の本音とは違うけれども大勢に受け入れられるかをものさしに決断をする人」。

 

私の想う最高のリーダーとは「その人が下す決断であるなら、どんな決断にでも大勢の人たちがついてきてくれる人」です。

 

★リーダーが誤った判断・決断をしても大勢の人たちがついてくるのはどんな人なのでしょうか、そして何故なのでしょうか。

 

★それはその人がたとえ誤った判断・決断を

したとしても、んな人からの指摘・意見に素直に耳を傾けごめん俺が間違っていた、すぐに訂正しようの言葉と共に瞬時に正しい決断に変えてくれるのを知っているから、だと思うのです。

 

★そんな関係になれるのは、今までのその人の「決断」を通じて多くの人たちとの間に『信頼』関係が自然に成り立っているから、なんです。そう思います。

★そして、その「信頼」は自己保身」からは絶対に出てはこないものです。

☆だから、「他人から信頼されているか」、これこそが役職者・リーダーの土台なのです。

 そしてその「信頼」は「ノウハウ・ハウツー」で身につくものではなく、「人間性」に行き着くと思います。

 

●前記していますように、「決断」は「変化への挑戦」そのものでもあります。自分に火の粉が降りかかってくることを恐れていたら「決断」はできません。変化への挑戦はできるものではない、のです。

 

●だから過去にすがっている人間、過去の栄光に今の自分の存在価値を感じている人間、現在に安住している人間、明日を自ら考えていない、明日の姿をデザインできない人間には絶対にできないことです。

 

☆「決断」は「多数決」ではないし「顔色伺い」「全体の調整」の結果でもないし、あってはいけないのです。

 

☆それらは結局、決断する人の「自分自身の保身」であり自分に火の粉が飛んでくるのを恐れているだけ、なのですから。

 

☆こんなことを決めたら自分はどう思われるのか・・・今のポジションを失うことになるかも・・・寂しいけれどもきっとこんなことを「決断のものさし目盛り」にしている世界の住人だから、そうなるのです。

 

決断するに必要なのは「自らの明日デザイン力」です

 明日デザイン日と違う明日のありたい状態のデザイン 自分に「ああしたい、こうありたい」がなければ明日のデザインは描けない し、結果、決断はできずに現状に甘んずることになってしまうのです。

 

『決断』は混沌としている事態を急変させる不可思議な力を持っています。

 私、そう想い続けています。

 

●『決断』の先にあるのは今から先、「明日」「未来」つまり「 これから変えられること、変えていけること」だけ なのです。

 過去を変えることはできないのですから。

 

●『決断』の後のひとつひとつの行動が自然に次への扉を開けていくものなのだと私はいつも感じています。

 但し、それはいつもその決断をした人にとって心地よい、都合のいい状態とは限りません、むしろ逆の場合が多いと思います。

 

●でも、私はだからこそ『大きな変化』が期待でき、実現できるのだとも思うのです。

 

決断は必ず「今の混乱・混沌」とは違う局面に自分を導いてくれます。

 なぜなら決断には必ず「変化への勇気ある挑戦(=行動)」がセットされている ですから。    

 

       今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

              ありがとうございました。 

   組織の上位者に求められる要件の中でとっても大切なのは

      「その人に対する人間としての信頼」を土台として

   いざというときには勇気を持って「決断」をすることができる人

           私の変わることのない想いであり

         しんどいですがやり続けてきています。

     にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(夫)