<<ブログ 306>>
新型コロナウィルス、別角度からのTHINK
新型コロナウィルスは
わたしたちが生活を営んでいる「地球上」で
長い長い地球時間の「~これまで」ではなく
「今この時」に「新たに」発生してきている
地球環境の激変が原因?
その地球環境を悪く変化してきているのは私たち「にんげん」
自然界における「にんげん」と言う生き物の「役割」を
今、改めて地球人全員で考える時なのでは
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にんげん=自然(界)<地球環境>の守り人
その役割をしっかりと果たしていこう
~私の想い~ by 入道
●なかなか「出口」のみえてこない新型コロナウィルス対応。7道府県を対象に発せられた初の「緊急事態宣言」もさほど時をおかずに「全都道府県」「日本全国」を対象にしたものに変わってきています。
●テレビ、新聞そしてネット・・・・昨今、飛び交う情報は「コロナ一色」。そして人々の心を落ち活せて次の行動を促す報道よりも「いいきれば」「脅かす」「煽る」そして「批判」ばかりのような報道が非常に多いことが私個人として非常に気になっています。
★このような報道からは「日本人が一体となって」、日本が正に「ワンチーム日本」となって「一つの同じ動き」をしていくことはなかなか難しい、と言うよりは「無理」とも感じてしまいます。
★そんな「情報洪水」からちょっと自分自身を離して、外に出て太陽を浴びて草木をみていて、心によぎりました。
★新型コロナは私たちが生存している「地球上」で、しかも「前からある存在」ではなく「今この時にいきなり登場」してきている・・・。
★なんで「~今これまで」に存在していなかったものが、どうして「今この時に」いきなり発生してきているのだろうか・・??
●「今これまで」と「今この時」、「地球時間の目盛り」で見て「地球の何が違うのか」・・・
◇きっときっと「地球環境が違う」、「生物が生きて行く土台だった地球環境(きれいな空気、豊かな水、暖かな陽光)」の環境変化(悪化)が「もしかしたら」「今この時に」「(生き物ではないが)新型コロナウィルス」を誕生させてしまったのでは・・・?
◇このまま地球環境悪化が続いていくと、これからも第二第三・・・の新型コロナに変わるものが飛び出してくるのでは・・・とも想ってしまいました。
★そう想った時に、
俺、昔、ブログに「自然界におけるヒトと言う生き物にはきっと役割がある」「ヒトと言う生き物は地球環境、自然を守るために誕生した生き物なのでは」、とブログに書いたことあるな、と思い出し、すぐに部屋に戻って調べて・・・ありました!!!!3年前の2017年4月16日投稿の「ブログ260」。
★そこで今回はそのブログをコピーしてちょっとだけ前段をカットしてそのまま投稿させていただこうと思います。
(この時に挿絵を画いていただきました田中拓馬さんからもお許しいただきました)
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<<ブログ 260>>
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今回もさいたま市浦和ご在住、私の年の離れた友達
画家の田中拓馬さんが素敵な挿絵を
ご厚意で画いてくださいました。
田中拓馬さんのお心に感謝!!です。
田中拓馬画伯のオフィシャルサイトを
訪ねていただければ、と思います。
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2017年、68歳の春、春の花々そして新緑をみていて
心に突然の「新たな想い」が・・・・・
自然界における
『にんげん』の「役割」って何なんだろう
それは、きっと
『自然(界)の守り人』
~私の想い~ by 入道
●これまでブログに書いてきている「仕事」「組織」「生きる」「働く」等々に対する 「私の(勝手な、独自の)定義」は全て『同じ私の想い』から生まれてきています。
●それは「にんげんを動物として観る、動物として考える」ことです。
●永い時間の悩み悩んでの積み重ねがあって、ある時、『人間を
自然界の「生き物」、動物としてみていけば、考えていけばいいんだ』、この「想い」に至った時に私の『変わらない想い(=信念)』が自分自身によって形成されました。
挿絵は田中拓馬画伯 画
●今回の『新たな「私の想い」』(2017年の春の花草がくれたひら
めき?)もその根底は前記してきたことと全く同じ、変わりはあり
ません。
自然ってすごい!!!
自然界にはたくさんの動物がいて
たくさんの植物が存在している
そして
にんげんも自然界に生きている
にんげんも自然界の「生き物」の一員
美しく豊かな地球の自然環境があったからこそ
誕生してきているすべての「生き物」
にんげんも全く同じ
美しく豊かな地球の自然環境があるからこそ
生きていくことができる「すべての生き物」
誰が「生き物たち」をどうやって誕生させたのか
わかることではないが
わかることはひとつ
「にんげん」は「自然界の一員」として誕生している
地球の自然界に産まれ生きている「にんげん」
「にんげん」ってきっと『役割』をもって
この自然界に誕生してきているのでは・・・
これが今回の新しい「私の想い」形成の入り口でした。
●いつものように優しく易しく考えて、これから記していくような私の自分勝手な「想い(定義)」に行き着きました。
この「想い」も「変わらない私の想い(=私の信念)」となる、そう感じています。
●「ヒトと言う動物」は自然(界)の『守り人』として
誕生してきている、のではないのでしょうか。
●そう想います。
●地球の美しい自然環境、そしてこの美しい豊かな
自然環境があるから誕生し、地球に生き続けている
「生き物たち」(動物・植物)を「しっかりと守っていき、
自然環境を「よりいいものに」していく」、その役割
を持って『ヒトと言う動物は誕生してきてい
る』、そう感ずるのです。
挿絵は田中拓馬画伯 画
●その「役割」を果たしていくための「報酬・対価?」と
して「自然の一部」を「ヒトと言う自然界の守り人が生
きていくために」捕食・食することを許され、同時に
本来は「自然(界)しかできない」「自然(界)しかやって
はいけない」『栽培そして育成』していくことを許されて
いる・・・・のでは。
●「ヒト」と言う動物は自然界で一番「強い」動物なのでは
なく、自然界の「すべての生き物たち」が元気に育ち、
次の世代にしっかりとつながっていくように『自然環境を、
そして地球上に生きているすべての『生き物」が「明日」
を迎えていけるように守っていく、
自然=豊かな地球環境の『守り人』
それが「ヒト」「にんげん」なんだと思うのです。
●でも・・・いつからなのか、人間は自らの「役割」を忘れ去
り、自分たちが「自然(界)を支配している」「自然(界)を
好き勝手にいじくれる」との誤った想いが生えてしまい、
「にんげんと言う弱い弱い動物が生きていくために与え
てもらった『賢さ』の使い方を誤ってきた、のではと感じ
てなりません。
●『行き過ぎた賢さ』なんだと思います。
●行き過ぎた賢さが「人間の『自然(界)の守り人』と言う
「役割」を忘れさせ、逆に「自分の役割を忘れて」の
『自然破壊・環境破壊』を始めてしまった、
そう想います。
●人間同士の『武器を用いての』戦い、戦争・・・・・・戦いに
於いても「人間の行き過ぎた『賢さ」」が「より悲惨さ」を大
きくしてしまった・・そうなのでは・・・。
●にんげんに与えられた『賢さ』、にんげんが持っている
『賢さ』は
「動物としての『にんげん』が「より「楽しく」
「より優しく」生きていくために
使っていくもの」
なのではと強く強く思えてなりません。
◇20世紀まで、にんげんは「自分たちの生活を豊かにし
ていくために」 「技術革新」の言葉に代表される「頭(カシ
コサ)」を活用し、生活を豊かなものにしてきました。
◇しかし!!!!
◇いつの間にか「人間に芽生えてしまった『歯止めなき欲
望?』を満たしていくために「歯止めなき賢さの行き過ぎ」
が、とてつもない「武器」を産みだし、そして・・・。
■現在の『倫理のないインターネット至上のサビシイ世界』
を創り上げ「IT技術+頭(かしこさ)」で「本来、人間が生き
ていくために必要なものではない」『金融・投機経済社会』を
誕生させ、地球全体でこの「実体のない『金儲けのための
金儲け』(どこにも汗をかくことなく利益を獲得する)システ
ムに、先進国みんながこぞって乗ってしまい、地球経済は
本来の『生活経済』ではなく、際限のない「欲望」を満た
していくだけの『欲望経済』に変えてしまっている、
私はずっとそう想い続けています。
挿絵は田中拓馬画伯 画
■「投資」ではなく「投機」!!!!!!!
自分だけが良ければ、の世界です。
■「実体経済」ではなく「仮想経済・バーチャル経済」。
そして『ゲーム化経済」にもなってしまった、してしまった、
人間がそうしてきているのです。
●「賢さの誤った使い方」の結果だと思います。
●「コンピュータと通信技術」の発展がなければ、現在の世
界の状態(生活経済ではなく、ゲーム化経済・欲望経済が主)
は現実とはなっていないはず。
●「使い方の誤り」と私は認識するべき、と感じます。
●と、すれば極論的に『今のようなコンピュータと通信技術の
組み合わせ』は本来は「人間が楽しく生きていくために
の必要な組み合わせ」としていくべき、なんです。そう想います。
★かつて、「おい、このままだとまずいよ」とにんげんに警鐘を
鳴らしてくれていた時がありました。
★バブルの崩壊そしてリーマンショックです。
「おい、にんげんたちよ、本来の「生活経済主体」の
経済活動にもどしなさいよ」
と、にんげんに気づきを与えようとして自然界からの鞭でなか
ったのだろうか、そう私は想い続けてきています。
★にんげんが「にんげんらしく生きていくための
「あたりまえ」」があります。
その「あたりまえ」とは『助け助けられ』。
私の強い信念の一つです。
★そして、この「あたりまえ」の「土台」になるものがあります。
何があれば「助け助けられ」が実現していけるのか、
なれるのか。
★それは今まで記してきています「かしこさ(=頭)」の「対」に
なるもの。
それは『やさしさ(=心)』です。
★この人間が「本能」として持っている(と、私は信じています)
「やさしさの発揮」を前面に押し出しての『生活経済』
(にんげん一人ひとりが活き活きと楽しい一日を積み重ねて
生きていくための手段)に早く早く転換をしていくこと、
そのために「人間のものさしの目盛」を「お金」から「人間
として生きていく」に置き換えていくこと、戻すことだ、と強く
想います。
●そのためには!!!!!
「頭」で「かしこく」「考える」のではなく
「心」で「やさしく」「感じる」ことです。
挿絵は田中拓馬画伯 画
●にんげんとしての「あたりまえ」に戻ればいい、それだけの
ことなんです。
「あたりまえ」とは「にんげんとしてのあたりまえ」のことで
す。
●私は本気でそう想います。
●私たち、にんげん一人ひとりがこれからの時代、「これから
のためのものさし」の目盛りを『頭(カシコサ)』からもう一度
『心(ヤサシサ)』に戻すことによって、もう17年過ぎてしまっ
ていますが21世紀の「これから」を「やさしさ取り戻しの世紀」
そして「にんげんの役割回帰の世紀」にしていき、
「これから地球に産まれ、生きていくすべての人たち(未来人)
そしてすべての生き物たち」に
「美しい豊かな地球環境=自然」をひきついでいきたい
●そうしていきたいですし、そうしていかないときっとマズイ・・・。
●2017年の春、自然達が私にそう気づかせてくれました。
今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして
ありがとうございます。
「頭(かしこさ)」も必要な資質である、とは
思っています。
でも!!
『大切なのは「その使い方」』です。
世界の、国の、組織の指導者、リーダーの
人たちは「頭(カシコサ)」と言う資質は
「人間の生活を活き活きと楽しくする」ためにだけ
使い続けていく強い意志を持つべき、
強くつよくそう想います。
これらの想いを込めて
私がもう20年ほど使い続けている
メールの署名となっています。
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美しい豊かな地球の自然環境があるから誕生したヒト
ヒトは単体では生きていけない弱い生き物
だからヒトは集団(=社会)を形成する
社会で生きていくことが生活
社会(ヒトの群れ)に生きるヒトが人間
社会の成り立ちのあたりまえは「助け&助けられ」
いつまでも豊かな自然を
そして やさしい心を大切に
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ
入村 道夫
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ありがとうございます。
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村 道夫)