<<ブログ 237>>
私のブログに「ご厚意」で挿絵を書いてくださっている
さいたま市浦和区にお住いの画家の「田中拓馬」さんが
「アート」で体験された田中さんご自身の『想い』をカタチ
にして子供たちに「学ぶ『楽しさ』」「楽しく学ぶ」ことを実感
してもらいながら「勉強を好きになってもらう」ことをひとつ
の目的とした動きを『アートの台所』と言う会社(舞台)を
創って始められています。
http://www.facebook.com/artnodaidokoro/
素敵な動き、とってもいいな、と素直に感じています。
そして、表す言葉は違うけれども、今回の田中画伯の動
きは私のずっと考え動いてきている『ありたい教育』の方向
と同じ、一致しているのでは、とも感じています。
そこで今回は、私がずっとずっと想い続けてきている『日本
の教育』そして『企業での教育(研修)』・・・すごくおかしいよ、
変えていかないと「国がおかしくなっていってしまう」と、想い
続けている私の「想い」を書いていきたいと思います。
変えていこうよ、変えていきたい
「日本の『教育』」
『教』でなく『育』に重きを!!
私の想いを形成してくれた「ひとつの漢字」と
「二つの英単語」
『教育』そして『TeachとEducate』
~変わらない私の想い~
by 入道
<<私の想いの教育に対する結論>>
①必要なのは「主役の転換」。
先生主体の教育から生徒主体の教育へ。
②TeachからEducateへ。
③TeacherからEducatorへ。
④「教」主体の教育から『育』主体の教育へ。
教育⇒教育
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●「教育」に対しての私の想いを形成してくれることになった
『源』は「ひとつの漢字」と「ふたつの英単語」です。
●ひとつの漢字とは『教育』。私のいつもの癖でこの漢字を
分解します。
教育=教+育
●『教えて育む』『教えて育てる』・・・・。
「教える」ことだけではない、のです。そして!!重きはどち
らにあるのかを考えると『育』にある、そう想うのです。
●「育てるために教える」それが『教育』なのですから。
◆気づきを与えてくれたもうひとつの存在。
ふたつの英単語。それはどちらも『教える』ことを意味する
英単語『Teach』と『Educate』です。
teach : 教える・享受する・指導する
educate : 教育する・訓練する・授ける
挿絵は「田中拓馬さん」画
◆この二つの英単語を英和辞典で改めて調べて眺めている
時、辞書には書いていないことなのですが、ほぼ瞬間的に
今、書いています「教育に対する私の想い」が形作られまし
た。
◆teachそしてeducate。共に「教える」の意味の言葉なので
すが、「単語として二つ存在しているには違いがあるはず」、
何らかの「意味」があるはず・・・そう感じたことが入り口とな
り私の得意な『独自定義」「勝手な自分なりの定義」として次
のような「違い」があるんだと行き着きました。
TEACH EDUCATE
強制的・無理やり・詰め込み⇔⇔自発的・お互いに・みんなで
画一的 ⇔⇔ ひとり一人違う
レディメード ⇔⇔ オーダーメード
個性無視の集団第一 ⇔⇔ 個性・特性を活かす
目的は「INPUT」 ⇔⇔ 目的は「OUTPUT」
詰め込み ⇔⇔ 導きだし
◆こんな勝手な定義付けをしていると次の図が心に浮かびま
した。
◆私の想い。
『teachはeducateの『一部』である』。
『educateのためにteachは存在している』。
◆前記しました『教育』の「教」と「育」の関係にぴったりなんで
す。同じなんです。気づいてびっくりしました。
教育= 教 + 育
教=teach 育=educate
◆自分の勝手な「こじつけ」なのかも知れませんが 、ここに
行き着いた時、不思議さを感じてなりません、でした。
日本人も英語圏の人たちも「教育」については
同じ「心」を持っている!!!
そう感じました。
◆この時の私の想いを違う言い方で箇条書き的に表してみま
す。
・Educateの入り口としてTeachの過程が存在する。
・そしてTeachにかける時間・期間はできるだけ短い方が
いい。
・Teachは言ってみれば「みんな同じように生きていくため
に必要な教えを学ぶ」こと。
・このTeachの過程は「共通知識」をみんな一緒に学ぶと
同時にこの学びを通して、「ひとり一人の個性・特性を
活かしてのひとり一人の目指す方向」を先生と本人、
そして親と一緒になって見つけ出していく過程である。
◆Teach。但し、単純に算数・数学・国語・社会・理科・・体育・・
必須科目を教えていくことはあくまでも「手段」と位置付ける
べき、と想い続けています。
挿絵は「田中拓馬さん」画
◆Educateの段階に入っていくための「手段」なのです。
◆だから、Teachの段階において、先生そして親は常に、
本来の『目的」であるEducateを意識していなければいけな
い、そう想います。
●一人一人の個性・特性を活かせる領域・分野を、いわば、
「個人教育」として「本人に」『気づかせていく過程』『気づいて
いく過程』がとっても大事なのだ、と想うのです。
●こう考えていきますとeducateとは「その人らしさを発揮で
きる分野・領域発見のため、そして必要な知識についての
「気づき」とその気づきを「自分のものとしていく」ためのお
手伝いと言っていいのかなとも考える、のです。
教え込む teach
↓
自分が活きる生き方・領域を
先生と一緒に考える
↓
自覚・本人の気づき
↓
実現のために必要な個人の学びの educate
領域と方法
↓
自分「らしさ」を出していくための動き
↓
支援する・サポートする
●日本の「教育」は私を含むいわゆる「団塊の世代」から
なにかおかしくなってしまっい、しかも今でもずっとそのおか
しさのままを引きずり、もっとおかしくしてしまっている、と想
っています。
●妙な表現かもしれません。小学校から二宮尊徳像がなくな
ったのと同時に・・・。
●では、『ありたい教育とは』??
●難しく賢く考えるのではなく、いつものように私らしく、
「優しく易しく」考えることにします。
☆『教育』。この言葉こそ、この言葉にこそ、その答えが
隠れているんです。
☆教育=教+育
=教える+育む(はぐくむ)
☆先ほどの二つの英単語と、これも勝手に並べてしまいま
す。
teach ⇔ 教える
educate ⇔ 育む(はぐくむ)
★日本の教育にはずっと「育む」がない!
のだと思います。
★日本の教育はずっとずっと『教』だけなんです。
これがおかしさの源、おかしさの原因。
私の結論です。
★多分、この状態で、もう60年以上きているのでは、と
思います。
★絶対に「おかしい」そして間違っていると主っています。
Teach不要!!なんてことは言いませんし、そんなこと
はない、んです。Teachもとっても大切なんです。
でも、繰り返します。teachは「目的」ではなく「手段」、
このことをきちんと心すべきです。
☆では、「目的」は何?
☆「目的」はEducate=育む(はぐくむ)、ことに
あるんです。
●だからこそ、日本人の大先輩達は『教育』と言う漢字を
創ったのだと私は感じます。
●こう考えていくと「先生」についてもちょっとだけ私の「想い」
を結論部分だけですが書いておきたいと思います。
●TEACHERからEDUCATORへの
転換!!
『教えること』ONLYの『先生』
↓
教える「過程」でひとり一人の特性・伸ばせるところ
伸ばしたいところを「本人+親』と一緒になって
考えそして動くことで『本人に気づき』を与え
「本人の背中を押してあげる」
↓
その人「らしい」人生を歩んでいく
支援者・サポーター
◆先生に触れたので今少し私の心に「?」のある想いを。
◆先生・教員・教諭・教師・・・。先生を指す言葉はいろいろ
あります。
◆「資格試験」では『教諭』。でもこの資格も一般的には『教員』
資格で通っています。「教員」は「教育職員」の略であるので
私の心ではこれで「OK」なのですが、一番、気になっているの
が先生方もたまにご自分で言葉にしている「教師しています」
の『教師』。
◆『なんで「師」」の言葉を付けるのか、と言うことです。
◆「師」とは「指導的立場にある人」。
◆自分で自分を「師」ですと言う「師』って存在するのでしょうか。
◆今までこのブログに書いてきたことと関連付ければ、たくさん
の人たちを「教えそして社会人として大きく育んできた」経験
を積んでいる先生だけを指すのであれば、いいのかな、と
感じるのですが・・・・・
そうではなく「教員とは言わずに教師」と言い表す・・・・。
◆これやめませんか、『教師」の言葉使うのやめにしませんか、
となります。
◆「教員」あるいは他の資格を必要とする職種で多く使われて
いる『士』の文字を使って『教士』の方が実を表すのでは、
とも思っています。
◆「教士」であれば大学卒業してすぐにでも、でいいかなと想い
ます。一方、「教師」となると単に教えるだけ、とは違ってきま
すので例えば「教諭資格」に加えて『学校以外の勤務経験
5年以上」等の必要資格要件を追加するべき、そうしなけれ
ば生徒、子供たちに「社会」(学科としての社会ではなくみんな
が生きている『社会』)を教えることはできない・・・・・
と言うことは
『教えることはできるけれどもその人らしい社会人に育むこと
はできない』、だから「師」はおかしい、そう想い続けています。
(注:今の先生方を中傷しているのではございません!!
呼称含めての今の日本の教育に絡めて・・の想いです)
◆みんなで議論していくべき大切なところと想います。
●勉強するのが「辛い・しんどい」、「いやいや勉強する」
「勉強させられる」・・・・こんな日本の教育の現実を、
『楽しく勉強する』「自分から勉強する』『勉強するのが
待ち遠しい』・・こんな状態に変えていくための大きな
ヒントが大先輩達がプレゼントしてくれた『教育』、
この二文字に潜まれている、同時に「教育」を表す二つ
の英単語『Teach』そして『Educate』にも答えを
用意しておいてくれた、と私は想い続けています。
●このブログを書きながら私の心にひとつの強い想いが
産まれてきています。
★これからも私の名刺に明示している
気づきと決断のお手伝い
Your Decision-Making Partner
このままに「おひとりお一人の『明日に向かっての
気づきのお手伝い』」を重ねていこうとの想いを
新たにしています。
今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして
ありがとうございます。
私だけでなく
おそらくすごくたくさんの人たちが今の日本の教育について
多くの疑問を持たれているのではと
想うのですが
教育の現場は一向に変わりません。
子供たちの話を聴くと
「学校よりも塾の方が面白い」
「学校の先生にはあまり相談しないけれども
塾の先生には相談する」・・・
早く変えていかないと
日本の明日の明るさ、
希望の明日が見えてこなくなる
それよりも
「一人ひとりが楽しく社会生活を送れない国、日本」
そんなあってはならない状態が
来てしまう
そんな気がしてなりません・・・・。
ありがとうございます。
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村 道夫)



