真のバリアフリーの社会実現のために~ハードのバリアではなく「ハートのバリア」をなくせ。私の想い~ | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

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     バリアフリー社会実現ために

         真に必要なのは

ハード」のバリアフリー化ではなく

   ひとりひとりの人間の

 ハートのバリア」をなくすこと

                  ~私の変わらぬ想い~

                              by入道



 バリアフリー

    
    障害を持つ人々が、生活環境(住宅、地域施設、交通施設)

   において、普通に生活することを阻んでいる障壁(バリア)を

   なくすこと。       

                       日本大百科全集(ニッポニカ)


私の独自定義は異なります。


 バリアフリー

   沢山の障壁(バリア)となるものが存在している実社会で

   障がいを持っている人たちが沢山の人たちのに支え

   られていくことで、その障壁を障壁と感じることなく日常生

   活できるようにしていくこと。    by入道



   
          


バリアフリーだけでなく

組織に存在している沢山のたくさんの「制度」に対しての

私の変わらない想いひとつある。


それは「どんなにたくさんの制度」を創っても「完璧に」とは

絶対にならない。


組織=人間社会において真に必要なもの・・・

それはたくさんの「制度」ではなく

一人ひとりのにんげんの『心・想い」の共有。


沢山の人たちが「想い・心」を共有していれば

「想い・心」をひとつにできれば

「制度」なんか要らない。


バリアフリーも同じ。


       

                      イラストはYahooイラスト無料より


バリアフリーに

バリアフリー化をと

大きな声を沢山だすことが

バリアフリーの動きの入り口なのではない

そう想うのです


バリア、そしてバリアフリー


バリアーは昭和の後半~平成になって初めて

いきなり出てきたものではありません


はるかはるか昔から存在しているものです


自然物そして人間が創りだした建物等

そして

元気な人たちだけでなく

昔から弱い人たちも存在していた


バリアフリー活動が進んでいる現代と比較すれば

とてつもなくたくさんのバリアがあったのである


どう対応していたのか


それは単純。


人間と人間の「助け合い」「支え合い」

困っている人たちに声をかけ、手を貸して

対応していた、のである


電車の車両前後に「優待席」なんて表示がなくたって

ごくあたりまえに

自然にみんなが席を譲っていた、んです

それが・・・・・・

21世紀になってなぜなのだろうか


「心」への気づき活動を横に置き捨てて

「物の段差をなくす」とか「広くする」とか

「物に手を加える」「改修する」ことだけが

世のなかのバリアフリー活動になってしまってきている


違いますよね

最初に必要なのは「ひとり一人の人が

自分のこころで気づいて」

「困っている(困りそうな)人たちに声をかけて

動きをサポートしていくこと」


その動きをササポートするために「物についてのバリアフリ

ー化」に手を加えていくんだと想うのです


段差などのバリアフリーだけでなく

人が社会で生きていく』時のとっても大切なことなんだとも

想い続けています


私のひとつの想があります


           


   ハードの欠陥は

          ハートで補えるが

       ハートの欠陥を

              ハードで補うことは

          絶対にできない

     大切なのは

  『頭(かしこさ)』ではなく『心(やさしさ)』


優しい組織

優しい社会としていくために

ひとりひとりの人たちが

心のバリアフリーを」


心の中にあるバリア・・・・

心の中の区分け?を小さく低くしていきませんか


「誰かがやる」「誰かがやってくれる」のではなく

「自分が」と

自分を主語にして自分のこころの中に

いつの間にか創られてしまった

いつの間にか自分のこころに創ってしまった

「バリア」を無くしていきませんか


みんながそうなれば

ハードのバリアフリー化を待つ必要は

なくなる、


私はそう想うのです


       


みんなが「自分はにんげん」であるってことを

想い出し

いつも「にんげんであること」を

「考動」のものさしとしていけばいい

そうなのでは・・・・・と想うのです。


      今回も最終行にまでお目を進めていただきまして

              ありがとうございます。


        人間の心の「原点」に戻ればいいのに

         そう想うことがたくさんあります


          あたりまえの「バリアフリー」も

               大変なこと

     お金と時間がかかるような事にしているのも

             人間、なんです。


                特に

      組織のリーダー、指導者層・・・・・・・・・・・・・


            「ハート」を無視して

            「ハード」に頼る・・・・・


                無理です

         こんな動きが続いていくことは

                そして

             際限有りません


           人間の心のあたりまえ

             人間のあたりまえ

     「ハート」に焦点あてたいと想い続けています


     ハードに欠陥があったとしても

     「ハート」がしっかりしていれば

   その欠陥を感ずることもなくなります


              但し!!!!


   ハートの欠陥を「ハード」で埋めることは

       絶対にできません!!


                だから

          「ハード」に頼ってはいけない

            私はそう想います。


           ありがとうございます。


     にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村 道夫)