ことばを伝えるのではない
こころを伝えていくことにこだわりを
~ことばとこころ、こころとことば
言葉は心を伝えるための手段
たくさんあるメディアのひとつ~
ことばを たいせつに していきたいと 思います
こころを たいせつに していきたいと 思います
わたしの ことばと あなたの ことば
あなたの こころと わたしの こころ
ことばは言葉
きっと やわらかな 葉もあれば
時として とがった形の 葉もあるのだと
おもいます
言葉という葉っぱの かたちは
あいてのひとのこころが 瞬間的に決めるもの
瞬間的に 感じ取るもの
たいせつに そして 気を付けていきたいと
思います
あなたに わたしのこころを伝えるための
こ・と・ば
ことばを 間違えますと
こころが 間違ってとらえられてしまいます
あなたのこころを 感じていないと
わたしのことばが 間違ってしまいます
こころとことば そして こころ
ことばとこころ そして こころ
by入道
サッカーワールドカップの報道を見聞きし続けて
いて大変に気になり、そしてこのままでいいのだ
ろうか、と感じたことがあります。
サッカーワールドカップ報道!!
様々な言葉で正にさまざまな報道が行われまし
たが、一貫性がない(心がない)ように感じてなら
ないのです。
予選を勝ち抜き本選(Wカップ)へまでの段階と
本選進出が決まってから本番の戦いまでの段階
そして一勝もできずに一次敗退が決まっての段
階での報道。。。
様変わりなんです、一貫性が感じられないんで
す、日本の報道。
予選会を勝ち抜き、本選が始まるまでは「どこま
で勝ち抜いていくのか」「ベスト8、更に優勝まで」
明るい未来報道がたくさん・・・・
そして
負けが重なるに連れて「他力本願的(競争相手
が負ければ・・)」になり
敗退が決まるとこんどはいつもの日本(報道)の
いつもの展開である「犯人捜し」に。
一体、マスコミ各社それぞれの心(報道スタンス)
はどこにあるのかを疑いたくなるのです。
自分のところの新聞・雑誌・テレビ放映・・・
視読率(?)・視聴率だけを気にしての正に全報
道機関が「三面記事的メディア」になっていること
を改め確認した、そんな寂しい気持ちになっても
います。
国会とか公的機関での会議などをたまにテレビ
報道で見聞きしていても、儀礼的・儀式的、言葉
遊びのように聴こえてなりません。
心が感じられないのです。
言葉の源は心のはず!!!
心がなければ言葉は単に文字連なり、なんです。
目をつむって報道されている「やりとり」を聴いて
いると妙に「ことば」だけ『原稿の文字』だけが、
伝わっている、伝えているような気がしてなりませ
ん。
自分のこころからそのことばが発せられているの
ではないから心が伝わらない、考えてみればあた
りまえのこと、なのです。
『ことば』の良さ?を導き出す、『ことばの本来の
意味』を引き出すものは何なのでしょうか。
それは「こころ(心)」なんだと想います。
私たちも電話とか日常場面で実に沢山のことば
を使っています。
「口」と言う「メディア」を用いて「自分のこころ」を
「ことば」として伝えている、のです。
このように先ずは考えるのですが、ちょっと違うな
とも感じます。
「ことば」も「メディア」だと想います。日本人に伝わ
っても日本語を解しない外国の人には伝わりませ
ん。
『何』を伝えたいのか。
それは「ことば」を伝えたいのではなく、「自分の
想い・気持ち・・』まとめてしまえば『こころ(心)」を
伝えたい、となるのではないでしょうか。
私はそう想い続けています。
私たちは自分の考えていること=自分のこころが
うまく相手に伝わらない時、知らず知らずのうちに
実に様々なことを試みています。
手を使って訴えかけたりもします。
さらに「口から耳」にではなく「目から目へ」とばか
りに、感情(気持ち・心)を自分の目にこめて、相
手の目をじっと見つめ訴えかける・・・
こういうこともしますよ、ね。
目も手もそしてもちろん耳も立派な「メディア」で
ある訳です。
そこで私はメディアと言う英語をダジャレ的゛では
ありますか゜「目手耳(イアー)」と書きたいな、と思い
ます。?
ちょっと脱線していますので戻します。(ごめんなさい)
私たちは電話とかコンピュータとかCDとかDVDと
かの純粋?ハードの部分の勉強はすごくしてきて
います。
でも前記しましたように『ことば』もメディアですし、
『人間そのもののもつ機能(五感機能)」つまりは
「にんげんそのもの』もメディアである、のです。
加えて色々なメディアを媒体として発信側そして
受信側のいずれもがこれまた「人間」ですし、各
種メディア(ハード)を考案するのも「人間」です。
従って、『人間(ひと)』を忘れることは絶対にあっ
てはならないですし、「人間(ひと)』を勉強するこ
との必然性・大切さがここから浮かびあがってく
る、そう思っています
私自身はできるだけ「自分自身をメディアにした
い」と想い続けて動いてきております。
会社所属のときには
できるだけ電話あるいはメールで済ますことなく、
直接出向いて顔を見て話す、こうしてきました。
(だから足もメディアになるんです)
イラストはYahooイラスト無料より
電話から伝わってくる相手の言葉から、その瞬間
の相手のこころを把握する(感じ取る)ことは大変
に難しいことです。でも!!直接に相対していれ
ば、その困難さは少しはヤワラぐのでは、と考え
たことがスタートでした。
「言葉足らずで心が伝わらない」と良くいい、
また聴きもしますが私は全く逆なのではないのか
と思っています。
「心足らずで言葉が伝わらない」のだと想います。
言葉の豊かさで自分のこころを覆い隠すことがで
きたとしても、またゴマカスことができたとしても
それは『嘘』。「真実」「真心」を伝えることには絶対
にならない、のです。
うそのためのテクニックに走っては絶対にいけな
い、そう思います。
会社所属生活を始めてから、ちょうど時代が重な
っていたから、と思うまですが、私はヤクザ映画
(網走番外地シリーズ~)が好きで当時上映された
ものはたぶん、ほとんど観ていると思います
好きなのは、実のヤクザの世界ではなく映画で表
現されたヤクザ映画の世界のことです。
(実の世界は知りません)
なぜヤクザ映画の世界が好きだったのか。
それは「『ことば』よりも『こころ』を大切にする世
界」が描かれていた、からなのです。
私はそう感じとっていました。
義理と人情。任侠の世界。一度交わした約束は
きちんと守り抜く。人間の道を何よりも大事にす
る等々・・
そして
唄にもあります(歌じゃないんです、唄なんです)
♪俺の目をみろ、何も言うな・・・♪
私は
所属していた会社の全てを『こころで結ばれた世
界』にしたいと思い続け、やり続けてまいりました。
「やる」と決めたら「全員がこころをひとつにして取
りかかる。それで失敗したとしてもグチャグチャと
過去をほじくり返さない」「うそのない組織」「うその
ない世界」。
能力のある人はさらに見行動する。力弱きものは
自分の強いところを見つけ出し、みんなのために
なるように努力し続ける。
「相互」の言葉が実際にある世界、組織。
イラストはYahooイラスト無料より
「ことば」だけ「表面上だけ」で結ばれているような
組織には絶対にしたくありませんでした。
改めて
「ことば」を用いる時には注意をするべき、です。
その注意のひとつのポイントは「相手の心」です。
仮に自分は軽い冗談のつもりで発した言葉であ
っても相手にとっては、また同じ相手であっても、
その時の心の状態によっては、大きく心を傷つけ
る場合が多くあり得るのです。
冗談こそTPOをわきまえなければならない、そう
思います。その時でも重視すべきことは
「相手のこころ」なのだと思います。冗談と軽口
はまた違うのです。
使う言葉に自らが酔ってしまう、なんてありえませ
ん。
ことばは稚拙であっても、その入り口が「人間とし
てのこころ」そして「ことばの向こうにいる相手
(人間)のこころ」を大切にしていれば大丈夫、相
手も感じ取ってくれるものなんです。
『ひととこころを大切に』していきましょう。
そここそが大事なんだと私は想うのですが、いかが
でしょうか。
今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして
ありがとうございます。
どれだけ言葉を知っているのか、よりも
どれだけ感じているのか、考えているのか
自分のこころの湧き上がりを
自分の言葉でどれだけ語れるのか、で
ある意味で
人物評価ができるのでは、と
経験から感じたりしてもいます。
ありがとうございます。
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村 道夫)



