最初にお断りを。
今回、書き出しがちょっと政治話題から入りますが「政治」に
関して、このブログに書くことはいたしません。ここから、いつ
ものように「私の想い」に入っていきます。
憲法第9条「解釈」との関係の下で日本の歴代内
閣が距離を置いてきた『集団的自衛権』。
(集団的自衛権は持っているものの使えない、と
解釈されてきている)
阿部首相は「閣議決定で憲法解釈を変えることで
集団的自衛権を使うことを認める」との見解を発し、
国会等の場で盛んに議論が繰り返されています。
またマスコミ報道も頻繁にされていますが、個人
的にはその議論の中身はいつまで経っても「議
論の歯車(=目的)が合っていない、歯車を合わ
せようとしていないから議論になっていないので
は、と感じています。
どうして・・・・・
すごく単純に言い切ってしまうと「過去の最高裁
判例」とか「見解」・・・「これまでの動きに関して
の『知識』をぶつけ合っているだけで「日本をどう
していくのか」「どんな日本にしていきたいのか」、
本来、入り口となるはずの国会議員先生個々人
の『想い』がお一人おひとりの『ご自身の言葉』を
ぶつけ合っていない、のからなのかな、たくさん
の報道から、そんな気がしてなりません。
私の勝手な思いで表現しますと
「賢さのぶつけあい」「賢さの競い合い」になって
いて日本人全体に対しての「優しさ」のぶつけ合
い、国会議員先生方一人一人の「想いのぶつけ
合い」になっていない、と感じてもいます。
国会議員は本来、当たり前に一般の人たちより
も「日本をああしていきたい」「日本はこうありた
い」の『想い』が大きい人たちであるはず、なの
では?
そして国会は
『国策(本来、与野党共通の『目的』のはず!)を
決める場が国会(=国の会議)」なのにそうなって
いない??と感じるのです。
そこで今回のブログ更新は過去にいろいろと自分
で行っていた「漢字からの自分自身の気づき」、
「漢字が私に気づかせてくれたこと」から
これもリクルート事件対応最中に行き着いて以来、
ずっと変わらずに「自分の想い~考動のものさし」
としている二つの「漢字」について書いていきたい
と思います。
では。
かつて自分自身への投げかけ言葉<41>~
大切にしていきたい
『話す』と『語る』そして『あう』
by入道
●『話』と『語』。このふたつの似ている?漢字を
先ずはじっくりと眺めていただきたい、と思います。
いかがでしょうか。何か感じることがありました、
でしょうか。
●私、もう遥かむかし?になりますが1990年、
とある時にこの二つの『類似』の形と意味を持つ
漢字『話」と『語』に自分勝手に次のような意味を
感じとりました。
それまでは全く何も感じることはなかったの
ですから、不思議です。
きっと何度も何度も逃げ出したくなる長い長い
悩みのどん底の時にいたから、なのでは、と今
になって思います。
★『話』と言う漢字を左右で分解してみますと
『言』と『舌』になります。
話=言+舌
★同じように『語』を左右分解しますと、それは
『言』と『吾』です。
語=言+吾
★異なるのは右側だけ。
★『舌』は「した・べろ」で
『吾』は「われ・自分・我」。
イラストはYahooイラスト無料より
★そんな勝手な分解から、私の勝手な解釈、
漢字の定義に入っていきます。
話=舌(した・べろ)+言
語=吾(われ・我 )+言
◆私の想う二つの漢字の意味合いは単純に
ここから、「舌と吾」から生まれました。
◆二つ共に共通なのは「言」であり、「言う」は
「言葉を発すること」。と、すると二つの漢字の
違いは多分、『発する根本の違い』なのでは。
その「根本の違い」を『舌』と『吾』で示している
のだと感ずるのです。
◆相手(自分以外の人。他人)のことを考えるこ
となく『自分本位で言葉を発することが『話す』で
あり、相手の存在を心にとめて尚且つ、自己責任
で自分の心を発することが『語る』と言うことなの
では。
◆単純に聞いたことをそのままに相手に伝えるこ
とが「話す」であり、聞いたことを自分で徹底的に
理解してそれを「自分の想いとして『自分の言葉』
で伝えること」が「語る」なのでは。
●違う表現をしますと二つの漢字の違いは
『相手に対する優しさ(思いやり)の心が存在す
るのか』から生じてきているのだ、とも思います。
妙な表現になりますが「発する自分の言葉の
意味合い(目的?)が『自分第一(自分本位)なの
か「人間第一(人間本位・他人の心も大切に)』な
のかの違いなのかもとも思います。
★対話で大切なこと。
それは「相手の存在・相手の心の状態をいつも
感じていること」だと私は想います。
対話以外においても、何をするにしてもこのこと
を忘れてはだめ、ですし、ここをきちんと意識して
いれば『思いやり』とか『気働き』『気配り』は無意
識のうちに自然と生まれてくるのだ、と私は想って
います。
☆『話す』から『語る』への変化に挑戦!!!
お客さまに対してはあたりまえのこと。ひとつの
会社・組織においても舌(した)で話すことか
ら吾(こころ)で語る集団に変えていくことで組
織も会社も…社会も変わっていくはず。
☆そうなれば「愚痴」「嫌なまずい状況の他人への
責任転嫁」「他人を悪者にして自分を悲劇の主人
公にして局面から逃げる」と言うこともなくなる、と
思います。
☆相手がわかろうが解るまいが自分で口にした
ことで「話した」のだから、で終わらせては絶対に
ダメです。(特に先輩者・上位者・リーダー)
相手がきちんと理解してくれるまで
「語らなくては」。
なぜならそうする人間がきっと「大人」なんです
から。
★対話で相手に対しての想いやり・気配りがあっ
てはじめて「話す」から「語る」の段階に変化する
ことができる、そう感じます。
●そのことを忘れないためにひとつのキーワード
があります。それも難しい言葉ではありません。
そして、対話以外のすべての「考動」のセルフ
チェックワードとしても使えることばだと思います。
●それは「行動」を表す言葉(=動詞)の後ろに
つければいい言葉。
『AU』(=あう)の二文字の言葉です。
Yahooイラスト無料より
話す⇒話しあう 愛する⇒愛しあう
語る⇒語りあう わかる⇒わかりあう
助ける⇒助けあう 育てる⇒育てあう
分ける⇒分りあう 競争する⇒競争しあう
学ぶ⇒学びあう・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●上の言葉の左側の言葉は「相手の存在を考
えることは必要ありません」。
「自分がやればできること」です。
☆しかしながら、その言葉たちに「AUあう」の二
文字をくっつけたとたんに『自分一人では絶対に
できない』必ず、「相手の心、想いも自分と
同じ」状態にあることが「・・・・あう」の実
現の絶対条件となってきます。
☆自分本位の相手を無視した言葉であっても
「あう」の二文字を付け加えたとたんに
『相手を大切にした言葉」に変わる、のです。
●ですから、私はこの『あうAU』の二文字は
とっても不思議な言葉であり、人間として生きて
いく、組織で仕事していく時には絶対に忘れては
いけない、いつも心にきちんとおいておくことが
大切な二文字だと想い続けております。
★「組織は『あう(AU)の欠如』によっ
て崩壊する」、「経営は『あう(AU)の
欠如』によって崩れ去る」
私の変わらない想いです。
今回も最終行にまでお目を進めていただきまして
ありがとうございます。
会社で上司からの報告で上司の意に沿わないようなことを
みんなに伝えなくてはいけないような時に
こんなことがありませんでしょうか。
「しかたないよ、取締役会で決まったんだから」
「しょうがねぇだろ、上がそう決めたんだから」
こんなことを口にする上司とは
早くサヨナラした方がいい、
こんなことを口するような人間を
管理職にしてはいけない、
そう想います。
徹底的に確認し、徹底的に自分のものとするべく
いろいろな動きをして
「何をめざして、どうして今その決定をしたのか」を
管理職自らの言葉として
メンバー(仲間)に「語っていかなければ」
管理職自身も面白くない、
いつもそう想い
いつも仲間に対しては
自分の言葉で語り続けてきていました。
そうすることで
組織に「AUあう」
「解りあう組織」に変わっていきます。
実際の私自身の経験です。
ありがとうございます。
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)




