二人以上の人間がいればそれは組織であり、
二人以上の人間が集まれば組織が形成される、
私の勝手な組織定義です。
家庭も組織、学校も組織、自治会・町内会も組織、
会社も組織・・・・そして社会も組織。
何時の頃からだったか、「組織には法律や制度が
沢山あり、それが人間の心をおかしくしているの
では」と感じ続けています。
そんな気持ちになった時に、法律とか制度って何
なんだろうか、どうして法律とか制度ってどんどん
増え続けていくのだろうか、を考えたことがありま
す。
yahooイラスト無料 より
考え続けて至った私なりの結論は『法律とか制度
がたくさん存在している組織は人間らしさ喪失』と
比例している、
逆にたくさんの法律とか制度ができるほど、人間
からにんげん「らしさ」を喪失させているのでは、
との想いでした。
かつて自分自身への投げかけ言葉<35>
法律とか制度に
頼ってはいけない
法律・制度がなくても
やっていける組織を目指したい
何で組織には法律(社会)とか制度(会社・社会)
がどんどん増えていくのだろう。
何で組織にいる人たちは法律とか制度をどんど
ん創りたがるのだろう。
おかしくないかなぁ。
全部とは言わないけれども法律とか制度の多く
は「人間としての動き方のあたりまえ」を規制し
ているものなのでは。
法律とか制度に頼りきっての組織運営って、自分
たちでは対処できない、と言うことをおおっぴらに
しているのではないのかな。
社会をみても会社をみてもどんどん増えていくだ
けだよね。
法律とか制度を想いきって
無くしていく動きってあり得ないのかなぁ。
学生時代はいろんな法律を勉強してきたけれど
今になってみて
法律に頼る社会ってやっぱりおかしいし、さびし
い。
制度、規程・規定に頼りっ切る会社っておかしい、
さびしいとずっと想っています。
法律とか制度って必ずその前に「まずいこと」、
「いやなこと」「いさかい」などがあってそれを参考
として同じことが起きないように、行ってみれば
「戒め」として作られていくのでは、と学生時代、
私はそう想い、それ以来、いきなり条文と格闘す
ることはやめて、「なぜこの法律が制定されたの
か」「何があったのか」を徹底的に調べることに
してました。
法律・・・・・・
ひとり一人が「人間としての『考動』(こうどう)を
しなくなった、できなくなってしまった」ことの裏
返しなんではないのでしょうか。
助けあって、支え合って生きていく、と言う人間
としての根本を。
人間と人間として、心と心で解決することができ
ない社会になったことの裏返しとしてたくさんの
法律ができ、会社の中でも人間と人間として、
心と心で対処できなくなってきているから、
ものすごくたくさんの規程・規定(制度)を創らなく
てはいけなくなっている・・・・・
そう想うのです。
法律・制度は人間の心をMUST DOにしてしま
うもの。・・・・しなければならない、
人の心への規制なんだとも想っています。
沢山の法律が日本だけではなく各国で、地球
の上でどんどん増えてきている、
私は「人間性喪失への警告」と受け止め、
ひとり一人が考えていくべき、なのではと感じ
ています。
会社所属で経営実践をさせていただいていた時
私は
規程・規定・・・・いろんな規制を少なくしていきた
い、極論何もなくとも一人一人が「人間としてど
うなのか」を唯一共通のものさしとして動く集団
にしていきたい、と思い続けていました。
日常生活の身近なところでも沢山の「制度」が
存在しています。
公共の乗り物での「優先席」、女性専用車両、
健康増進法(受動喫煙)・・・・・・
あるいは視点を変えての環境問題(Co2)・・・
人間として当たり前にやれていたことができなく
なったから『制度』が必要になってきた、のでは
ないのでしょうか。
ふたつの「じりつ」(前に書かせていただいております
のでここでは割愛)、自立と自律をみんなできなく
なってきている、
そして
「少しずつの譲り合い」ができなくなってきてい
ることの裏返しなのでは。
前記しました優先席・・・
私の子供の頃には「優先席」の制度なんてあり
ませんでした。
でも!!!
みんな当たり前に身体の不自由な方々、立って
いるのが大変そうなお年寄り、重たい荷物を持っ
ている人たちがいれば、席を詰め合ったり、席を
譲り合ったり・・・・していました。
「若者は年寄には席を譲らなければいけない」
なんて教えられたのではなく
自然に振舞っていたと思います。
いつの間にか、そんな動きが日本人、できなく
なってきたから「優先席」制度が必要になった
のではないのでしょうか。
6年ほど前に横浜市営地下鉄に乗ったとき、
窓ガラスに張ってあったシールを見て、思わず
微笑んだことがあります。
(今も張ってあるのかは確認してませんが)
そこにはこう記されていました。
『全席優先席』です。
少しの勇気と優しさで
声をかけてみませんか。
横浜市営地下鉄はすべての席が優先席です
人の心を「MUST DO」にしてしまうのではなく
元々、ヒトの心に備わっている「優しさ」のスイッ
チをちょっとだけ押してあげるような言葉、だと
瞬間に感じました。
優しさのスイッチを押されて、「譲ってあげたい
な」の心に変われば、いい、のですから。
本音を言えば、このステッカー自体が必要となる
今の社会がおかしい、と思うのですが、強制より
はずっといい、と感じました。
法律・制度が先にありき、では絶対にない、んで
す。人間が先にありき、でいかないと・・・。
人間が人間としての「考動」ができなくなった、
人間が人間としての考動をしなくなった
だから
「それじゃだめ」なんだと人間の考動を戒めるべ
く人間が創りあげたのが法律そして制度なんだ
と想うのです。
だから、
私の感覚では「どんどん増えていく」なんてこと
はとってもおかしいし、寂しいこと。
ひとり一人が気づき人間としての動きを重ねて
いけば法律・制度は自然に減少していくもの、
だと思います。
法律・・・私の言い方で定義すればこうなります。
法律は人間が社会で生きていく時のお約束。
トラブルの解決のために法律に頼ることがあり
ます。それも「人間の心と人間の心」で解決し
ようとしないで、いきなり法律に頼る、すがる・・
今の人間の動きってこうなってしまっていますし
社会がそう仕向けているようにも感じます。
とってもさびしい現実と捉えるべき、なのではない
のでしょうか。
人間って、どんな人でも自分の存在が誰かの
役に立っている、ほかの人から「ありがとう」、の
言葉をいただく時に自分自身の存在価値を感ず
るのではないでしょうか。
人は単体、一人じゃ生きていけないから群れ・
集団を創り上げてそこで生きていく、
それが社会なんですから、
「助け助けられ」、それがあたりまえ。
みんな誰でも「できること」を持っています。
健常な人も障がいを持たれている人も
大人も子供も、男も女も・・・・
若い人も年を重ねた人たちも・・・・
沢山の法律とか制度を創り、ヒトの心を「縛る」
のではなく
人間のあたりまえに気づかせていけばいいので
は・・
そう想い続けています。
「道徳」と言う言葉なのかも。
道徳には「条文」はありません。
組織(家庭・地域・学校・会社・社会)で人間と
して生きていくための「お約束」=道徳
こう捉えたらどうでしょうか。
ヒトの動きを「強制」する?法律とか制度がなく
とも人間としての集団生活(組織・・・会社・社
会)が成り立つ状態の日本、そして国際社会で
あって欲しい、そう想います。
今回も最終行までお目を進めていただきまして
ありがとうございます。
何時の頃からなのでしょうか。
法律が我が物顔に人間を従えるような
状態になったのは?
少しダジャレ的になりますが
人間が「共生」を忘れてしまい、
「みんな」と言うものさしが消えて
「じぶん」と言うものさしだけで
世のなかをみるようになってきたことで
にんげんと人間とが
ぶつかりあうような状況になってきたので
人の動きを「強制」する法律・制度が
必要になってきたのでは・・・・
難しい法律を創る賢さよりも
「やさしさ=優しさ+易しさ」を
競い合う組織にしていきたい、と想い続けています。
ありがとうございます。
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村 道夫)





