「♪♪ダカラ、ダカラ、ダカラ
ダ~カラ、ダ~カ~ラ」
こんな短い歌を国歌とする地図には載っていない
恐ろしい国があります。
ご存知ですか。
この国が地図に載らないのは国土・領土を全く
持っていないからなのです。
その国の名前は「ダカラ王国」。
そしてこの国の王様「ダカラ王」は今は何代目の
国王なのかは全く解ってはいませんが、このダカ
ラ王国は恐らく歴史上で一番に古い国なのです。
なんせ人間が群れを形成し、ヒトの集団である
社会で生きていくようになった頃からずっと存
在し続けていると言われている国なんですから。
繰り返します
ダカラ王国は地図には存在しない国です。
ダカラ王国の領土は世界中の人々の心の中にあ
ります。
知らず知らずに、じわりじわりと人々の心に入り込
み昔から世界征服を企んでいます。
そして・・・
多分、全ての国の人々の心を自分のものにして
きてもいるのです。
ダカラ王国の人々の心への攻撃の武器は火力・
兵力なんて武器ではありません。
ダカラ憲法、これひとつ、たったこれだけなんです。
これだけで世界中を自分のものにしてきているん
です。
ダカラ憲法はすごく単純、簡単です。
この憲法の構成は「(あなたは)○○なんダカラ、
□□□しなければならない」あるいは「○○○
なんダカラ、□□□しろ」、これだけなんです。
本当にこれだけなんです。
○○○と□□□は心をダカラ王国に侵略された
人々が勝手に創りだしていくんです
ダカラ国、ダカラ王は何もしません
これで世界の国々のほとんどの人たちの心を自分
たちの想い通りに動かしてしまうのです。
ごめんなさい、表現に誤りがありました。
正しくは
動かしてしまう、のではなく心をダカラ王国の武器
であるダカラ憲法によって侵略された人たちが
勝手にダカラ国の思い通りに動いてしまうんで
す。
ちょっと例示してみましょうか。
男(の子)なんダカラ・・・
女(の子)なんダカラ・・・
お兄ちゃんなんダカラ・・・
姉ちゃんなんダカラ・・・
小学生になったんダカラ・・・
子供なんダカラ・・・・
親なんダカラ・・・
もう△年生なんだから・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・
社会人なんダカラ・・・
新入社員なんダカラ・・・
先輩なんダカラ・・・
給料もらっているんダカラ・・・
リーダーなんダカラ・・・
課長なんダカラ・・・
部長なんダカラ・・・
社長なんダカラ・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
仕事ダカラ・・・
アフター5なんダカラ・・・
会社なんダカラ・・・
休日なんダカラ・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
いい歳なんダカラ・・・
足腰弱っているんダカラ・・・
高齢者なんダカラ・・・
・・・・・・・・・・・
障がい者なんダカラ・・・
いっぱいあります、よね。
普通は「貴方は○○○なんだから□□□しなさ
い」、ダカラ菌に置かされて時のこれが病症なので
すが、時に時として
「俺は○○○なんダカラお前は□□□するのが
当然だ」と更に症状を重くする人が見受けられま
す。
年齢を重ねた人たち、あるいは社会的な地位が
上と言われる人たちにその重症例がみられます。
これは本当に困ったことです。
俺は社長なんダカラお前たちは文句言うな
俺は社長なんダカラお前たちは黙って俺の
言う通りにすればいいんだ
俺は年寄なんダカラお前たちは俺に優しくする
のが当然なんだ
こんな症状がみられるようになったら普通の?
病気と同じように静かに引退していただくことが
一番なのですが、この重症状態になった人たちは
「今の自分の位置づけ」にしがみついてしまい
ます。
周りのたくさんの人たちの涙の上に自分が存在
していることがもう理解できない、のです。
人間社会の中での「ダカラ王」になっちゃっている
んです。
残念なのですが治療方法、治療薬はまだ開発され
ておりません。
「ダカラ ダカラ ダカラ ダ~カラ ダ~カ~ラ」
と歌っているダカラ菌感染社長(トップ)に対して
みんなの心を結集して
「ヤメロ ヤメテ ヤメロ ヤ~メロ ヤ~メ~テ」
と歌い続けて気づかせる以外に今のところない、の
が現実だと思います。
でもやり続けるべき、だとも思います。
これもすべてダカラ憲法がばらまくダカラ菌に心が
侵略されてしまった人たちが自分たちで勝手にどん
どん創りだしてしまった結果なのです。
ダカラ王国としては人々の心に「ダカラ、ダカラ、ダ
カラダ~カラ、ダ~カ~ラ」のダカラ王国歌を人々
の心に根付かせるだけで、あとはその歌に隠され
たダカラ菌の働きでよって人々がどんどん作り上げ
てしまっている、んです。
そうなってしまうと
一人一人の人間は違う、一人一人個性をもって
いるのが人間、と言う当たり前のことを人々に忘れ
させてしまいます。
グルーピングして括っちゃうんです。
男とか女とか、一年生、新入社員とかあるいは年齢
とかで。
ダカラ菌に犯されてしまった人間の心が勝手に創っ
てしまった「括り」、この「くくりの中」で、これまた勝
手に「標準」を創りだし、その標準と比べてその人
が、わかり易く言っちゃえば「上にいるのか、下に
いるのか」によって「人物を評価、採点してしまう」
んです。
私はこれが「バリア」の始まりと想い続けています。
バリアフリーを実現するために!!は・・・
私は
人間の心の中にある「バリア」を取り払うことな
んだそう想い続けています。
バリアは高いとか急だとか物理的なもの、なので
はなく、人間が心の中で勝手に創りだしてしまって
いるものそう想い続けています。
そしてその源は「ダカラ菌」から派生した「ナラデ
キル」菌なんです。
普通のヒトなら高さ10センチの階段は
楽に上れる
普通のヒトならわかるはず
普通のヒトならやれるはず
社会人3年目ならここまでできるはず
・・・・・・
何か普通なのでしょうか。
人間が勝手に創りだした「標準」なんですよね。
この「ナラデキル」菌標準に適合しない人たちの
ことを嫌な表現ですが社会用語ともなっている
言葉で言えば
「おちこぼれ」とか「落第」・・・
「障がい」と言う言葉も私はこの勝手なものさしに
適合しない、適合できない人のことを括っている
嫌な言葉と感じ続けています。
普通のヒトなら楽に上がれる10センチの
階段を1人では上れないヒト
普通のヒトなら注意書きをみればわかる
のにそれがわからないヒト
普通のヒトなら目で耳で確認できるのに
それができないヒト
・・・・・・・
・・・・・・・
どうでしょうか
全部、「普通のヒト」を基準にしていませんでしょ
うか。
そこで
改めて問ってみたいと思います。
「普通のヒト」ってどんなヒトなのですか?
肉体的・精神的そして年齢的・・・
バリアフリーの対象とされている人たちは
普通のヒトではないのですか?
そんなことない、ですよね。
みんな人間なんです。
バリアは「ダカラ菌」に侵略された人間の心が
創りだしているもの、ここから見つめなおしていく
べきだと思います。
バリアは人間が創りだしたもの。私はそう想い続
けています。
だから、人間の心(想い)を変えていけばバリア
は小さくしていける、なくしていくことができる、
そう想うのです。
私のこんな想いに至る気づきを与えてくれたのは
正に「バリア」の英語「BARRIER」、この単語で
す。
英語の理解として正しい、正しくないの論議は恐
縮ですがしないでください。
私はそう想った、これでいいのだと思っています。
{BARRIER}を勝手に二分しますと「BAR」と「IE
R」になります。(抜かしたひとつのRはたぶん、発音上から
子音を重ねているのでとりました)
BARは「障害」あるいは「遮断(棒)」
そして「IER」は「ER」と同じで「~する人」。
くっつけると「邪魔をする人」「遮断する人」と理解
することできませんでしょうか。
そう考えると「バリア」は
人間が創りだした(創りだしている)もの、更に人間
そのものなんだ、となりませんでしょうか。
飛躍しすぎなのでしょうか。
でも・・・私はずっとそう想い続けております。
上れない階段を作ったのは人間です。
応えられない問題を創ったのは人間です。
できない課題を与えるのも人間です。
待っていられないのは人間です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ダカラ菌、ナラデキル菌に侵略された人間の心
が創りだしてしまったものなのだと思うのです。
そう想えば
小さくそしてなくしていける、バリアフリーは人間
の心を変えていくこと、想いを変えていくことで
実現していける、のではないのでしょうか。
できないことを探し出して仲間外れにするので
はなく、できることを見つけ出して仲間としていく、
これだけていいのではないのでしょうか。
社会・組織ってきっと「一人一人のできることの組み
合わせで課題に対応していくこと。助けあって生きて
いくこと」なんだと思います。
心を相互洗浄することでダカラ菌、ナラデキル菌を
洗い流していきませんか。
心を洗浄することで・・・・・
実はダカラ王は優しい一面をもった王様なんです。
実は人間を試しているだけなんです。
人間が人間らしく生きていっているのであれば
ダカラ王国は人々の心を侵略することは絶対に
しない、のです。
ダカラ王は人に「ダカラ菌」を新入させる時に
実はひとつだけ人々を幸せにする、社会を穏やか
柔らかにするヒントを同時に心に送りこんでいる
のです。
み~んなに共通することを○○○に置いて、考
え動けばダカラ王は心の制服をすぐにあきらめ
る、のです。
全世界の人間すべてに共通な○○○。
なんなのでしょうか。
答えは簡単、です。とは言え、この答えに私がたどり
着くのにすごく時間がかかってしまいましたが・・・。
み~んなに共通する○○○。
そして□□□についてもダカラ菌では「~しなけ
ればいけない」「こうならなければいけない」・・・
MUSTで構成されているのですが、
○○○を『人間』と置いた時には同時に□□□に
続く言葉はMUSTではなくWISHにしていくことな
のです。
人間なんダカラ□□□でありたいな
人間なんダカラ□□□でいきたいよね
人間なんだから□□□であればいいな
いかがでしょうか。
○○○を人間とすれば、み~んなこのグループ
括りに入ります。
み~んなを一緒に取り込む言葉は人間、これだ
けなんです。
そしてMUST□□□ですと「できる人とできない人」
の区分がすぐに生まれてきちゃいます。
「できないこと」を探しだしチクチクと指摘する、
仲間はずれ行為が産まれてきてしまいます。
でも、いつもいつも
WISH□□□でみんなの心が一致していれば、
「助け合って」の動きになりますし、一人ひとりも
自分自身の存在に価値を感じて生きていける状況
になる、そう想うのですがいかがでしょうか。
ダカラ王がみんなの心に送り込んでいるダカラ菌に
「○○○なんダカラ□□□しなければいけない」と
心を侵略されないように
いつもいつも「みんな人間なんダカラみんなで□□
□でありたいな」、WISHで心を洗浄してみま
せんでしょうか。WASHではなくWISHで。
今回も最終行までお眼を進めていただき
ありがとうございます。
ダカラ菌いっぱいの教育になってしまっている日本の教育
一人一人のらしさをどう活かしていくのか
教育の方向転換が
絶対に必要だと改めて感じております。
ありがとうございます。
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)





