iPS細胞の世界初の臨床応用の虚偽?発表から想うこと~「もじ」と「ことば」そして「こころ」~ | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

山中教授のノーベル賞受賞に水をさした森口尚史

「虚言」!!??(まだ調査中・・・・)


テレビの放送と新聞記事で情報の受け手側のうけと

方がかなりちがうな、と改めて感じたので今回は

その私の想いを書いていこうと思います。


テレビでは「実際に森口氏の会見の様子も見え、何

りも一言一言発する森口氏の表情と言葉がかぶ

さって伝わってくる、受け止めることができる」のに

対して新聞記事では私たちは「文字」を眼で追い

かけている。


単純にこの違い、テレビ報道と新聞報道の違い、

文字」と「言葉」の違があるのだろううので

す。



 「文字(もじ)」と「言葉(ことば)」

   もじをことばに変えるものは何?


●『もじ』はそれ自体ではきっと無味乾燥な?『記号』

しかすぎないものである。


●たとえば『冬』は誰が書いても『冬』だし、『好き」は『好

き』。誰が書いても全く同じ意味を持つ『記号』でしかない。


●この文字の書き方に上手・下手はあるにしろ、人によ

意味が変わることはない。


★私たちはこの『文字』と言う記号を『口』と言うメディア

使って伝えるのであるが、ただ伝えるだけでは『こと

ば』はなっていない。


★では!!・・『文字(もじ)』と『言葉(ことば)』の違いは

何なのだろうか。「文字」と「言葉」の間には何があるの

だろうか。単純形式的意味記号の「文字」を心の表現

としての『言葉(ことば)」に変えるものは何なのか。



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◆それは、伝える側の『こころ(心)』だと私は思う。


◆同じ「文字」を「自分の口」と言うメディアを用いて伝え

ても、その時の自分の心の状態(気持ち)によって全く

異なる意味ともなる。


●妙なたとえになるがお許しを。


●鼻にシワをよせながら、強く「バカ!!」と言う場合。

一方で、同じ鼻ではあるが、シワではなく鼻にかかった

声で身体をしならせながら「バカ~~ン」とやる場合など

など。


★文字にすれば同じ「馬鹿」でも伝えたい意味合いが

全く違うのである。


●ごくごくまれにではあるが「こころの状態とは異なる

ことば」を巧みに使える人がいる。


●彼ら(彼女ら)の使うことばは、例えば『好きだ』。


●どうやら、この「好きだ」と言う言葉は、ある種の麻薬・

麻酔的?力をもっているらしい。

●だが、彼ら(彼女ら)は本当に「心」でこの「好きだよ」

の言葉を使っていないのだろうか。


★いや!!やはり彼ら(彼女ら)も「こころ」に従って、

使っているのである。そのこころとは言ってみれば「ヨ

コシマなこころ」なのではあるのだが。


★この場合、彼ら(彼女ら)は「こころ」を満たすために、

その目的のためにやきり「ことば」を語っている、ので

ある。


●私たちの日常でも残念ながら「ことば」に「こころ」を

添えた状態で「ことば」を発するのではなく、「頭」で機械

的に?発していることが非常に多い。


◆では、「こころ」添えられた「ことば」を発しいる、とは

どのような状態なのだろうか。


★それはおそらく2つの場合に限られるのではないか、

と思える。


●ひとつは全く準備なしの場合。

そしていまひとつがその逆に思考に思考を重ねた

あとの場合(ただし、この判断は時間的な長さではかる

ものではない)でないだろうか。


◆抽象的な表現となるが「こころ・無」の状態の時に

「こころ」が「ことば」を発していくのだろうと思う。

●それ以外は「頭」の動きの方が主体で「ことば」が発

せられる。


●日頃、ビジネスの世界において私たちは、徹底的に

頭でことばを発している」のである。これは当然のこ

であるし、仕方のないことなのかもしれない。


★ただ、そういったビジネスの世界において、これから

求められていくのは、きっと「ことばにこころが添えら

」ような関係であるような気がする。


★ことばの多寡、美辞麗句をどれだけ使えるのか、

ではなく「人間性。その人らしさ」。


★「自分らしさ」『あなたらしさ』よる勝負である。


◆求められるのは「文字・言葉の豊かさ」ではなく、

『こころの豊かさ』に確実に変化してきている、戻って

くるべき、と感じてもいる。


     今回も最終行までおつきあいいただきまして

             ありがとうございます。

      人間は「3兆個」の細胞で生まれ、

             成長と共に細胞の数は増していき

      ピーク「60兆個」の細胞数とか。

        そのピーク数になるのが「20歳」。

               だから成人。


         その後細胞の数は維持していくものの

       40歳からは今度は細胞の数か減じていく・・

       それが「老化」と言うことなのかも、ですね。


       私の細胞数もかなり減ってきているはず、

        これからは細胞の数に頼るのではなく

     減ってはいるものの一つ一つが活き活きとした

             細胞であることで

          人間としての活き活きさを

       ましていければ、と改めて感じています。


    細胞の数の減少を「こころ」で補完していく!?



             ありがとうございます。

    にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)