今回のブログタイトルは今でもたまにカラオケで
歌う、1982年8月発売の大川栄策さん歌の演歌
「さざんかの宿」(作詞 吉岡 治 作曲 市川昭介)
の一節で私の好きなフレーズ”曇りガラスを手で
ふいてあなた明日がみえますか”をヒントに。
平成2年、1990年、私が悶々とした状態から脱して、
当時所属していた会社リクルートの「これから」を
「どう新たに構築していくのか」「私たちは何をめざして
いくのか」を考えていた時にふっとこの歌の歌詞が心
に浮かんできていました。(前々から好んで歌っていて、
歌詞が記憶されていた!??)
その時の私の想いを前回の続き的に書いてみたいと
想います。
あなたの明日がみえますか
あなたの明日をみてますか
●曇りガラスをただ単純に手で拭いても向こうをみる
ことはできません。
●では、絶対にみることができないのでしょうか。
そんなことはありません。
●水で濡らすか、蒸気をふきつけ、あるいは自分の
息をふきかけ、それを拭き取れば向こうがみえはじ
めるのです。
★でも!!!
拭くのはあくまで自分自身、あなた自身。
他人が拭いてくれるのを待っているのでは、
「ちっともみえねぇじゃねぇか」と文句を言うだけは、
いつまでたっても向こうを見ることはできません。
●近頃の多くの会社・組織そして社会、みんな誰かが
拭いてくれるのをまっていすぎるのでは、と感じてい
ます。そんな気がしてなりません。
●ガラスをふけば向こうが見えることを語り、そして拭
くための布を用意するだけ、でいいのではないでしょう
か。
●それを更に『いや、拭いてくれなければ見えないじゃ
ないか、拭いてくれるべきだ』は、過大な要求であると
思いますし、逆にそこまでやってはいけないことなのだ、
とも想います。
★せっかくの「変化の境目、キッカケ」が投げかけられ
ているのにそれを活かそうとしていない、これではせっ
かくの変化=多くの制度改正・新設・仕組み再構築・・
が涙を流しているのではとさえ感じています。
★変化のきっかけを大切にしていくべきです。
それが変化へのきっかけなんだと気づき、考え、行動を
変えていくことだと思います。
今日までの連続=⇒変化のきっかけ・境目=⇒明日からの連続
(X) (A) (Y)
昨日まで 今日 明日から
←
●きっかけ・境目(A)は単純に「日・週・月・Q(コーター
)・交代・異動・年度などなど」たくさん存在しています。
★本来は<今日までの連続>と<明日からの連続>
は、異なる状態・状況であるべき、あるはず(異なる
状態でありたい)と思うのですが、現実は今日までも、
明日からもほぼ同じ、いや、残念ながら全く同じと言って
もいいのかも知れません。
★これが「マンネリ感」となります。
●但し!!!ちょっと待っていただきたいと思います。
◆「仕事のマンネリ感」「毎日が面白くない」の主体行動
者は、その仕事の当事者である自分たち一人一人で
あるはず。
◆と、すれば「マンネリ」「面白くない」「上司が悪い」「政
治が悪い」・・・こんな言葉は『他者(例えば上司・会社・
政治)に責任を転化する」言い方なんです。
◆私の想いからすると、会社とか社会がその環境提供
をすることは必要なことではあるものの、それだけでは
絶対に「創造的」「面白く、楽しい」「活き活きとした状態」
にはならない、と思います。
●例えば、勉強したいとの社員の声に応えるべく会社
で通信教育制度を導入したとすれば、会社は環境と
状況を提供していることになります。
●でも、多くの企業での実態はどうでしょうか。
●社員がそれまで以上に活き活きと勉強をし、満足
している、のでしょうか。
◎満足しているのは「新制度導入を果たした人事
スタッフ」だけ、なんてことになっていませんでしょうか。
★多分、多くの人たちは制度をスタートするまでは出
ていなかった新たな要求・不満をきっと口にしていると
思うのです。
★例えば、「時間がない」「いそがしい」・・・・。
◆次から次とよく「できない・やれない理由を見つけ
出せる」ものだと正直に感じます。
◆何もしない自分を正当化するために自分以外に
原因を見つけ出し、大きな声にする。
◆残念ですが、現実でもある、と思います。
★単純、自分で自分を変えていこう、の強い想いが
ない、のです。
◎明日の自分がない、んです。
◎だから、明日の自分になるために今の自分が
何をするのか、が具体的に見えてこないのです。
★いきなり新しい制度創りに走るのではなく、
どうしたら「自分で自分を変えていくんだ」「自分を
変えていくことのできる人間の集まり」にしていくんだ、
の強い意志を持つことが重要なのだと思うのです。
★そして、トップ自らがこのような考えで自分を変え
続けている会社・組織であれば徐々にではあっても
その輪は必ずどんどん大きくなっていくものでもあり
ます。
◆「意識を変える」ことが大切なのではなく、「行動を
変える」ことが大切なのだと思います。
●そして変えていくための、伝えるべきメディアは決し
て豊富なきれいな言葉なのではなく、実際の行動
(~新しい生き方・働き方・生活の仕方・・・)をトップ・
上位者がやってみせてあげることなんだと改めて
思っています。
●口から耳、そして心への伝達ではなく、
手足(実行動)から眼、そして心への伝達となる、の
かも。
★変えていくために、変化のために必要なのは
私たち一人一人の「これからの言動」そのもの。
★変化の主体は私たち一人一人。一人一人が自分
を変えていく勇気がなければ組織・社会を変えて
いくことはできない、と思います。
★明日が見えるための行動、くもりガラスを拭くのは
やはり他人任せではなく、私でありそしてあなた、なの
ではないのでしょうか。
今回も最終行までおつきあいいただきまして
ありがとうございます。
昨年2011年にブータン国王ご夫妻が来日された時
ブータンは世界一しあわせな国、しあわせになりたければ
ブータンに行こう的な書き込みが多くみられるのも
今の日本。今の日本人。
場を変えれば自分の心も体でも何も変化のために
汗を流すことなくしあわせになれる・・・・・
そんなことはあり得ないのに・・・。
ブータンの人たちと日本人の「しあわせ感」が違う、
「しあわせのものさし」が違うのだと
私は素直に想うのですが
どうでしょうか。
(このあたりは次回に)
そして今の日本人の多くの人たち
「しあわせの状態・状況」
「どうなればしあわせと感じるのか」の
自分なりのデザインをもっていない、とも感じています。
組織の上位者・先輩者たち(リーダー)が
「しあわせのものさし」をもってもらうには・・・を
常に心に置き続け考え動くことですね。
ありがとうございます。
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道 入村道夫