あなた明日がみえますか、明日のために今日動いてますか~古い演歌「さざんかの宿」から想ったこと~ | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

今回のブログタイトルは今でもたまにカラオケで

歌う、1982年8月発売の大川栄策さん歌の演歌

「さざんかの宿」(作詞 吉岡 治 作曲 市川昭介)

の一節で私の好きなフレーズ”曇りガラスを手で

ふいてあなた明日がみえますか”をヒントに


平成2年、1990年、私が悶々とした状態から脱して、

当時所属していた会社リクルートの「これから」を

「どう新たに構築していくのか」「私たちは何をめざして

いくのか」を考えていた時にふっとこの歌の歌詞が心

に浮かんできていました。(前々から好んで歌っていて、

歌詞が記憶されていた!??)


その時の私の想いを前回の続き的に書いてみたいと

想います。


 あなたの明日がみえますか

  あなたの明日をみてますか


●曇りガラスをただ単純に手で拭いても向こうをみる

はできません。


●では、絶対にみることができないのでしょうか。

 そんなことはありません。


●水で濡らすか、蒸気をふきつけ、あるいは自分の

息をふきかけ、それを拭き取れば向こうがみえはじ

めるのです。


★でも!!!

拭くのはあくまで自分自身、あなた自身

他人が拭いてくれるのを待っているのでは、

「ちっともみえねぇじゃねぇか」と文句を言うだけは、

いつまでたっても向こうを見ることはできません。


●近頃の多くの会社・組織そして社会、みんな誰かが

拭いてくれるのをまっていすぎるのでは、と感じてい

す。そんな気がしてなりません。


ガラスをふけば向こうが見えることを語り、そして拭

くための布を用意するだけ、でいいのではないでしょう

か。


●それを更に『いや、拭いてくれなければ見えないじゃ

いか、拭いてくれるべきだ』は、過大な要求であると

思いますし、逆にそこまでやってはいけないことなのだ、

とも想います。


★せっかくの「変化の境目、キッカケ」が投げかけられ

いるのにそれを活かそうとしていない、これではせっ

かくの変化=多くの制度改正・新設・仕組み再構築・・

が涙を流しているのではとさえ感じています。


変化のきっかけを大切にしていくべきです。

それが変化へのきっかけなんだと気づき、考え、行動を

変えていくことだと思います。


今日までの連続=⇒変化のきっかけ・境目=⇒明日からの連続

   (X)           (A)             (Y)

 昨日まで          今日           明日から

                         


きっかけ・境目(A)は単純に「日・週・月・Q(コーター

)・交代・異動・年度などなど」たくさん存在しています。


★本来は<今日までの連続>と<明日からの連続>

は、異なる状態・状況であるべき、あるはず(異なる

状態でありたい)と思うのですが、現実は今日までも、

明日からもほぼ同じ、いや、残念ながら全く同じと言って

もいいのか知れません。


★これが「マンネリ感」となります。


●但し!!!ちょっと待っていただきたいと思います。


◆「仕事のマンネリ感」「毎日が面白くない」の主体行動

は、その仕事の当事者である自分たち一人一人で

あるず。


◆と、すれば「マンネリ」「面白くない」「上司が悪い」「政

が悪い」・・・こんな言葉は『他者(例えば上司・会社・

政治)に責任を転化する」言い方なんです。


◆私の想いからすると、会社とか社会がその環境提供

をするこ必要なことではあるものの、それだけでは

絶対に「創造的」「面白く、楽しい」「活き活きとした状態」

にはならない、と思います。


●例えば、勉強したいとの社員の声に応えるべく会社

通信教育制度を導入したとすれば、会社は環境と

状況提供していることになります。


●でも、多くの企業での実態はどうでしょうか。


●社員がそれまで以上に活き活きと勉強をし、満足

している、のでしょうか。


◎満足しているのは「新制度導入を果した人事

スタッフ」だけ、なんてことになっていませんでしょうか。


★多分、多くの人たちは制度をスタートするまでは出

いなかった新た要求・不満をきっと口にしていると

思うのです。


★例えば、「時間がない」「いそがしい」・・・・。


次から次とよく「できない・やれない理由を見つけ

出せる」ものだと正直に感じます。


何もしない自分を正当化するために自分以外に

原因見つけ出し、大きな声にする。


◆残念ですが、現実でもある、と思います。


★単純、自分で自分を変えていこう、の強い想

ない、です。


◎明日の自分がない、んです。

◎だから、明日の自分になるために今の自分が

何をするのか、が具体的に見えてこないのです。



★いきなり新しい制度創りに走るのではなく、

どうしたら「自分で自分を変えていくんだ」「自分を

変えいくことのできる人間の集まり」にしていくんだ、

強い意志を持つことが重要なのだと思うのです。



★そして、トップ自らがこのような考えで自分を変え

続けいる会社・組織であれば徐々にではあっても

その輪は必ずどんどん大きくなっていくものでもあり

ます。


◆「意識を変える」ことが大切なのではなく、「行動を

変える」ことが大切なのだと思います。


●そして変えていくための、伝えるべきメディアは決し

豊富なきれいな言葉なのではなく、実際の行動

(~新し生き方・働き方・生活の仕方・・・)をトップ・

上位者がやってみせてあげることなんだと改めて

思っています。


●口から耳、そして心への伝達ではなく、

手足(実行動)から眼、そして心への伝達となる、の

かも。


★変えていくために、変化のために必要なのは

私たち一人一人の「これからの言動」そのもの。


★変化の主体は私たち一人一人。一人一人が自分

を変えていく勇気がなければ組織・社会を変えて

いくことはできない、と思います。


★明日が見えるための行動、くもりガラスを拭くのは

やはり他人任せではなく、私でありそしてあなた、なの

ではないのでしょうか。


      今回も最終行までおつきあいいただきまして

              ありがとうございます。


     昨年2011年にブータン国王ご夫妻が来日された時

   ブータンは世界一しあわせな国、しあわせになりたければ

    ブータンに行こう的な書き込みが多くみられるのも

             今の日本。今の日本人。



    場を変えれば自分の心も体でも何も変化のために

         汗を流すことなくしあわせになれる・・・・・

          そんなことはあり得ないのに・・・。



    ブータンの人たちと日本人の「しあわせ感」が違う、

        「しあわせのものさし」が違うのだと

           私は素直に想うのですが

               どうでしょうか。

   (このあたりは次回に)



           そして今の日本人の多くの人たち

             「しあわせの状態・状況」

         「どうなればしあわせと感じるのか」の

     自分なりのデザインをもっていない、とも感じています。


          組織の上位者・先輩者たち(リーダー)が

        「しあわせのものさし」をもってもらうには・・・を

          常に心に置き続け考え動くことですね。


                ありがとうございます。












  







       にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道 入村道夫