強烈に体に堪えた暑さもほぼ終幕間近。朝晩の風には「涼し
い」の言葉 が似合いはじめてきています。
昨年からちょこっと気にはなっていた、のですが私が毎週買い
求める週刊誌の中で月曜日発売の「ポスト」と「現代」が
またまたまた変身している、と感じています。
その具体的な理由は「(また)家に持って帰れなくなった」こと。
そんなところから想うところを書いていこうと思います。
改めて
誰にでも心やさしい社会を
創造していきたい
●私が毎週買い求めている週刊誌をグルーピングしてみますと
「3つ」のグループに分けられます。(私の勝手な区分です)
①アエラ・ダイヤモンド・東洋経済など
②朝日・読売・毎日・新潮・文春など
③現代・ポストなど
●この区分・区分けはなんなのでしょうか。
●読んだ後で「誰に渡すか」「誰に渡すことができるか」のグル
ーピングです。
①は朝買い求めて電車の中とか仕事途中の喫茶店とかで
読み終えてお会いさせていただくビジネスマンの方に
渡すことのできる週刊誌群
②は帰宅前に駅などで買い求めて帰宅の電車の中で読み
終えて自宅に持ち帰り家族も一読する週刊誌群
③は情報収集の意味で買い求めはするものの、どこで開い
て読む(見る?)のかに先ず悩み、読み終えると今度は自宅
に持って帰ることができず、処分に困ってしまう週刊誌群
●問題は前記の③群週刊誌。その過激なグラビア写真と過激な
特集タイトル、更にたまに付く袋とじページの存在。
●ポストも考えてみれば、創刊の時(1969年)からずっと購読している
週刊誌ですが最初はかなり「ビジネス週刊誌」色彩の強い、
いわば「硬派の雑誌?」だったと思います。
でも・・・・高度成長・バブルに連れて国際線飛行機の機内には
置かない(置けない)雑誌に変わってしまいました。
★それがバブルの崩壊その後の社会の変化に連れて、2003年
頃には過激な写真は姿を消して家にも持って帰れる雑誌に変化し
ていました。
●週刊ポストからヘアヌードが消え去ったのでした。
そしてその時に公になったのが「家庭に持って帰れる週刊誌を
目指します」、これが方針として提示されました。
●が・・・・・。時は移り状態が、方針がまたまた変わったのでしょう
か、昨年あたりからまた復活・・・
そして過激化(ネットと競っている?)。
女性器特集なども組まれ、とても家にもって帰れません。
★ポスト、現代の2誌の編集方針に対しての想いを書くことが今回
の目的ではありません。
◆「今回の「想い」の対象はポスト・現代であたりまえになってきて
いる「ヘアヌード写真」。
●ネットの当り前化に連動するかのようにヘアヌードは今ではある
意味あたりまえになってしまっていること(感覚が無くなってきて
いる)自体がおかしい、のではと想うのです。
●「性」「快楽」「暴力」攻撃」
そして「自己本位」「興味本位」「殺傷」・・。
◆何時頃から日本はこんなになってしまったのでしょうか。
◆もしかしたら
近年そして現在の「日本人の心の乱れ」はヘアヌード・
性解禁の風潮と関連がある、のでは・・。
そんな仮説をたてて調べてみました。
◆ありました!!!時期としては「1991年、平成3年」です。
この年の流行語は『地球にやさしい』と『ヘアヌード』。
(この組み合わせ自体に違和感を私は感じます!!)
◆この年に発売された写真集「Water fruit」(樋口加南子
写真集)で陰毛がはっきり見えていたが当局からおとがめなし、
これをきっかけとして、これを皮切りとしてヘアヌード写真が氾濫し
始めました。
◆バブルが弾け、人々の心が荒み始め、短絡的・瞬間的な快楽
を追い求めるようになり、やるせなさ・殺伐さ?が漂い始めていた時
でもあります。
◆国際的には湾岸戦争が勃発し、ソ連が崩壊・・・。一方、国内
では芝浦にジュリアナ東京がオープンし、茶髪が初めて登場し、
離婚が隠し事ではなくなり、バツイチの言葉が息をし始めても
います。
★日本人の心の変化(マイナス方向への変化と言い切りたいと
思います)にこの1991年(平成3年)は大きな位置を占めて
いる、と私は感じています。
★そして、ポスト・現代が再び・・・の今、
何か状況的に1991年近辺に似ているようにも想います。
●そして、こんな風潮に拍車をかけた(かけている)のが
インターネットと携帯電話・スマートホーンの
「ルールなき普及と低価格化」だと思います。
●いつでもどこででも・・・・。
インターネットの売り物となっている言葉でありますが、この言葉、
現実は「相手無視」の「自分勝手(自己本位)」な動きを増大
することにもなってしまっております。
●電話だったら緊急以外には絶対にかけない深夜時間帯で、
携帯・スマホそしてパソコンで、今どれくらいの人間がやりとりを
しているのでしょうか。
★そんなふうに考えていくと
1991年はもしかしたら「眠らない化」への入り口であったのかも、
と考えてしまいます。
◆オールナイトニッポンなどの「深夜放送」を聴いているのは受験
生だけ。
ふつうの人たちは明日の心地よい目覚めのために別途で眠りに
就いていた時間帯。
◆現在はどうでしょうか。
★電力不足、節電を心がけよ、と騒ぎながら、
テレビ各局は深夜問わずの終日放送・・・・。しかもBSなどが加わ
りものすごいチャンネル数での放映。
★何かがやっぱり「おかしい」本気でそう想います!!!!!!!
★「やるべきことなのか」「やってはいけないことなのか」の
判断よりも「できるのか」「できないのか」が先にきてしまって
いる社会。
★こうすればできる、の情報もまたネットの世界でいたるところに
わんさか。なのに、それは「やってはいけないことなのか」「やって
いいことなのか」の注意と警鐘を誰も声にしていない、
教え合っていない、のだと感ずるのです。
●人間は生まれてからひとつひとつの体験を通して「いい・悪いの
認識」と同時に「生き方」を学んでいくもの。
★その「過程」と「師」がない、のです。
★バーチャルの世界と実の世界の混同状態。
★改めて
「こころやさしい社会創造」が必要で不可欠だ、と想います。
今回も最終行まで目をお運びいただきまして
ありがとうございます。
こんなこと想うのは私だけなのかもの気持ちありましたが
自分の想いですので書かせていただきました。
ちなみに今週のポストも家に持ち帰ることなく
そっと処分をしてしまいました・・・・。
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村 道夫)
