自分(貴方)を最後に助けてくれるのは「神様・仏様・・」?? | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

●街かど街中にクリスマスイルミネーションが輝いて

 もはや宗教を超えての日本の師走の「風物詩」と

 なってきています。


●そして間もなくやってくる正月にはこれもある意味で

 風物詩となっている神社・仏閣への「初詣」。


★毎年、この時期になると思いだすある経営者の方との

 やりとりとを思い出します。



 困ったとき、苦境に陥ったときに

 自分を(あなたを)助けてくれるのは

       神様?仏様??

  そうではなく私は助けてくれるのは

     『自分以外の人間』

     なんだと思います。


●もう10年ほど前になるでしょうか。ある女性社長さん

  が私に「他の経営者の人から教えていただいたとって

  も素敵な話があるんですよ」と語られました。


●その話とは・・。


◇ある信仰者が、神様

  「神様はいつも私と一緒にいてくださる、とおっしゃった。

   確かに自分の人生の足跡をみると自分の足跡と神様

   の足跡が見えます。

    でも途中から足跡がひとつになっていました。

   あの時は自分がもっとも苦しくて神様に一緒にいて

   欲しかったときだったのです。

   あの時こそ、一緒にいて欲しかったのに『神様はどこ

   におられたのですか』」と聞いたそうです。


◇すると神様は応えられた。

  「おまえは気づかなかったのかね。

   あのときは、私がおまえを抱きかかえてあの日々を

   過ごしたんだよ。だから足跡はひとつなんだ・・・」と。

・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・

●私にその話をしてくれた女性社長さんはこの話にすごく

 感激して「そうなんですね。すごく苦しい時にも神様が

 見守ってくれているからがんばれたんだし、これからも

 そう思いがんばっていこうと思います」。


●「自分が一生懸命にがんばれば神様はいつも見ていて

 くれるのですから。・・・・・・・・」と語られました。


★でも、その話を聞いていた私は瞬時に、「そうじゃない、

 違うよ」と声に出しとしまい

 「この話では神様を神様と認識してはいけないと感じ

 まよ」と素直に自然に言葉を続けておりました。


◎私はこの話を聞かせていただいた時に瞬間的に、もの

 すご苦しいとき、辛いときに自分を抱きかかえて歩い

 くれる神様とは「他人=自分以外の他のにんげん=

 家族・仲間・友人・・」のことなんだ、との想いが心に

 浮かんでおりました。


★自分一人

  しんどいとき、くるしいときに

        自分を抱きかかえて

歩いてくれた、歩いてくれるのは神様じゃない、

  自分と一緒に仕事をしてくれている仲間

            そして

  自分と一緒に生きている自分以外の人間

      (家族・仲間・友達・・・)なん

と思うのです。


★「苦しい時、あなたを抱きかかえてあるいてくれたのは

 神様ではありません。貴方と一緒に仕事をしてくれてい

 仲間でありメンバー、なのだと思います。

 神様に感謝するな、とは言いません。

  でも!!神様よりももっともっと先に感謝すべき存在を貴方

 は忘れてはいけないと私は思います」と口にしておりました。


★しんどいとき、苦しいとき、辛いとき、それが仕事上のことで

 なければ神様はきっと家族であり、友達であり・・

  やはり自分以外の人間(=他人=ひと)なのだとしか私には

 思えません。


●しんどいとき、苦しいときを乗り越えた時には必ず誰か自分以

 外の人間の支えがあったはず、あるはず(もちろん自分自身が

 踏ん張ったことが第一ですが)と私は想い続けております。


●ですから、そんな状況を乗り越えた時には神様に感謝する

 以前に自分を見守り、自分が知らないうちにいろんなカタチ

 で自分を支えてくれた自分以外の人達の存在をしっかりと

 感じ取り、その人達に素直に心から「ありがとう」と言うこと

 が大事なんだと思うのです。


●神様(だけ・)に感謝する、と言うことは結局は他の人の陰なが

 ら支えを無視してしまって「誰のおかげでもない、自分ががん

 ばっからだ」との想い・認識にも連なってしまうのでは、と私は

 感じてしまうのです。


★人間は自分一人でできることはすごく限られている、

                              のです。


誰でも自分以外の人間の存在(=支え)があってはじめて自分

 の「生」がある、このあたりまえの事実をきちんと認識し続けて

 いくこと生きていくこと・働くこと・経営することに共通な必要な

 ことである、

 と思いますし、これが変わるこのとない私の想いでもあります。


◇人間は自分勝手な想いの動物であるとも思います。物事が

 トントンと上手くいっている時には自分は何もしていないのに

 「自分の手柄」にし、上手くいかない状況になるととたんに

 「自分以外の人間にそのマズイ原因=あの人のせい、あいつ

 が悪い」を探しだそうとします。


●サビシイけれども事実、これが人間、でもあります。


●だからこそ、「いつも自己意識している」ことが必要なんです。

  ・今の自分を誰が支えてくれているのか

  ・自分は自分以外の誰かの支えになっているのか」を。


★この実感があってはじめて日頃の「ありがとう」の心になります

 し、言葉につながるのだと私は思います。


●言葉は心の現れと認識しましょう。認識するべきです。


●決して「言葉を小手先の道具・手段」としてはいけないのです。

 そして、そんなことしても時間差があるかもしれませんが

 絶対に見破られてしまう」(相手に感じとられてしまう)のです。


◆そんな心の状態を保つことが、きっと

  『うそをつかない」「正直に」の源であると思います。


      ・うそはつかない。徹底的に正直に。

      ・約束は必ず守る。できない約束はしない。

      ・助け助けらの実践。


  人生はしあわせ探し・夢探し

    でも自分一人ではしあわせも、

          夢の実現はむずかしい。

   だが誰か、自分以外の人の助けがあれば

    しあわせも夢も実現できるものとなる。

            だから・・・・

      たぶん人生はずっと人探しの旅、

         そして出逢い探しの旅。 (by入道)