防波堤・堤防は川・海等からの大量の水、
海水の人間社会への流入を防ぐもの。
「心の防波堤」「心の堤防」とは人間社会へ
自分の身勝手さの流出を防ぐもの。
(入道)
●20世紀も終わりの時期から今日に至るまで日本の暴力
犯罪、特に殺傷事件を見ると明らかに昔の?同犯罪とは
異なる特徴があるのでは、と感じ続けています。
●それは「長年の、積年の恨み」が積もり積もって、あるいは
「思いあまって」と言った状況での犯罪ではなく、「瞬間的」
「深い意味のない」「傷つける痛めつけることだけを目
的」「うさばらし的」そして「弱い者いじめ的な暴力的殺
傷」になってきている非常にまずい状況にあると感じており
ます。
★「ぶち切れる」。こんな言葉に代表されるのかもしれませ
ん。
●では、何がぶち切れる、のでしょうか。
●自分の感情が押さえられない、がまんできない、いらいらの
発散を他人への、しかも弱い他人への暴力に求める・・・。
◆切れるのは『自分の心の防波堤・心の堤防』
だと私は思い続けています。
◆この心の防波堤・心の堤防は人間であれば本来、誰でも
持っているものであり、本当は「成長と共にこの防波堤・
堤防も自分自身でより高くより強固、頑丈なものとしてい
く、なっていくものである、と思うのです。
◆では、この心の防波堤・心の堤防とは何が流出すること
を防ぐためのものなのでしょうか。
●それは『自己本位』『欲望』『わがまま』『自分勝手』『自己
中心』・・・・・・『自分』の流出で他人を傷つけることを防ぐ
ためのものなのだと私は思います。
●だから、この人間の心の防波堤・心の堤防は『自制』であり、
『思いやり==「人間性」で構築されており、「理性」
そして「倫理」に連なるものでもあると思います。
●「自制」(or思いやり)の堤防が切れたとき、人は他人に
優しくなくなり、自我・力づく・殺傷・暴力・・・・こんなものがその
人の心に幅をきかせてしまのでは・・・。
★感情が理性を超えてしまう、感情を抑えるべき「理性」が
発達していない、備わっていないのだろうと思います。
◎そしてこのことは
犯罪面だけでなく昨今の広く社会に見受けられ
ることでもあると感じています。
◎暴力だけでなく他人に不快感を与える行動・行為…。
◎学校、組織、会社、町内、公共の場・・・・・家庭・・・国会?・・・。
◎とても寂しいことですが、
にんげんのものさし・社会のものさしを持たずに
「自分勝手なものさし」だけを持ってしまった日本
人がやたら増えているのかもしれません。
◆日本人は本来的に「(他)人に優しい」人間の
はずなのになぜなんだろう、と考えていきますと、その大きな
原因は日本の『少子化なのに核家族化、脱集団
生活化』にあるのでは、と私は思います。
◎ひとことで言ってしまうなら、『集団で活きて行くための教え
(理性・倫理)の機会』が家庭でも学校でも職場でも更に
社会全体でも、そして遊びの場でもなくなってしまっている
と思います。
◎集団の中に活きていれば
「自然と、あたりまえに身に着く」ものが機会がないがために
身に着かないのだ、と思うのです。
●違う表現をすれば、「『心の逃げ場の喪失』」では、とも思います。
★心の防波堤・心の堤防を築いていくに大切な
ちっちゃな子供時代。
★親に怒られる、すぐに傍らにじいちゃん・ばあちゃんがいれば
そんな子供の心を慰めてくれる、癒してくれる、暖かく包んで
くれ同時にたしなめてもくれる。
●そんな存在(祖父母・兄弟)が身近なところにはいない・・。
◆外に飛び出して、みんなで汗だくで工夫して遊んで発散する
こともできないし、子供同士で遊びの中から規律とか年上との
付き合い方?とかやっていいこと、だめなことを自然に身に
つけていく機会もない・・・・。
◎だからものさしが
「人間としてやっていいこと・だめなこと」ではなく、
「自分ができること・できないこと」に
なってしまっているのだと思います。
◎人間として
本来「やってはいけないこと」なのに「自分ができる」
からやってしまう。
人間として本来「やらなければいけないこと」なのに
「自分ができないからやらない」・・・・・。
こんな判断と動き方になって
しまうのでは。
★そして、そんな生き方をしてきた人達が親世代になってきている。
★そのような環境で育ってきた子供が強く怒られたら「怒られっぱ
なし」になり爆発することでしか心を開放することができなく
なってしまいますし、それが怖くて親は子供を叱れなくなって
しまう・・・。
●人間が人間社会の一員として活きていく
ため、働いていくために必要な理性・倫理で
頑丈に構築され年々、より強く補修されていく
べき自分自身の中にある「心の堤防・心の防
波堤が創られていない」「ちっちゃな防波堤・
堤防のまま」の「見かけだけの大人の集団」に
日本はなりつつある、なってきている
と私、思うのです。
◎本来の
日本人の大きな財産である
「(他)人に対するやさしさ」
を取り戻すための社会的な展開をしていかなければ・・・・・・・
こんな想いを強くしています。
●「自身の心の防波堤・心の堤防」、
しっかりとしていますでしょうか。大丈夫でしょうか。
(私は年に何回か自己診断をするようにしています)
◆残念ですが職場組織でもたまに見受けます。
◆自分の感情を抑えられずにもろに感情をぶつけるヒト。
とても残念なことに役職者に多く見受けられるの
ですが役職者・トップがそうなったらその組織は確実に崩壊
していきます。私の想いです。
◆感情をもろにぶつける、理由もなにもありません。
あるのは「気に入らない」「自分の思うようにならない」
「自分を守りたい」の『自分』だけであり、
他人(相手)のことは全く何も感じられない、考えられない状態
にあるだけ。
そんな人をトップにしてはいけないのです。
●完全に「人間としての『心の防波堤・心の堤防』が決壊」して
いるのです。
◆「自己中心」の「ジコチュウ」の世界に入り込んでしまっており、
そんな心の状態の人には誰も人と人としては近づきはしないの
です。
↑ ↓
(現実としては役職者だから、トップだから仕方ない、と仕事場面
で近づいているだけなのにそれを感じとることさえできない、ので
す)
◎いつもいつも心していきたいと思います。
◎「今の自分の心の防波堤・心の堤防」は
しっかりとしていて他人を護っているのか」、
「補修を必要としているような箇所はないか」
の自己確認と定期的な大規模修繕工事の自己実施を。
(この防波堤・堤防が護るのは
自分ではないのです!!!)