一人ひとりの心にあるはずの『心の堤防・防波堤』の大規模修繕工事を!! | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

防波堤・堤防は川・海等からの大量の水、

海水の人間社会への流入を防ぐもの。


 「心の防波堤」「心の堤防」とは人間社会へ

 自分の身勝手さ流出を防ぐもの。

(入道)


●20世紀も終わりの時期から今日に至るまで日本の暴力

 犯罪、特に殺傷事件を見ると明らかに昔の?同犯罪とは

 異なる特徴あるのでは、と感じ続けています。


●それは「長年の、積年の恨み」が積もり積もって、あるいは

 「思いあまって」と言った状況での犯罪ではなく、「瞬間的」

 「深い味のない」「傷つける痛めつけることだけを目

 的」「うさばらし的」そして「弱い者いじめ的な暴力的殺

 傷」になってきている非常にまずい状況にあると感じており

 ます。


ぶち切れる」。こんな言葉に代表されるのかもしれませ

 ん。


●では、何がぶち切れる、のでしょうか。


●自分の感情が押さえられない、がまんできない、いらいらの

 発散を他人への、しかも弱い他人への暴力に求める・・・。


◆切れるのは『自分の心の防波堤・心の堤防』

 だと私は思い続けています。


◆この心の防波堤・心の堤防は人間であれば本来、誰でも

 持っいるものであり、本当は「成長と共にこの防波堤・

 堤防も自分自身でより高くより強固、頑丈なものとしてい

 く、なっていくものである、と思うのです。



◆では、この心の防波堤・心の堤防とは何が流出すること

 を防ぐためのものなのでしょうか。



●それは『自己本位』『欲望』『わがまま』『自分勝手』『自己

 中心』・・・・・・『自分』の流出で他人を傷つけることを防ぐ

 ためのものなのだと私は思います。


●だから、この人間の心の防波堤・心の堤防は『自制』であり、

 『思いやり==「人間性」で構築されており、「理性」

 そして「倫理」連なるものでもあると思います。


●「自制」(or思いやり)の堤防が切れたとき、人は他人に

 優しくなくなり、自我・力づく・殺傷・暴力・・・・こんなものがその

 人の心に幅をきかせてしまのでは・・・。


★感情が理性を超えてしまう、感情を抑えるべき「理性」が

 発達していない、備わっていないのだろうと思います。



◎そしてこのことは

 犯罪面だけでなく昨今の広く社会に見受けられ

 ることでもあると感じています。


暴力だけでなく他人に不快感を与える行動・行為…。


◎学校、組織、会社、町内、公共の場・・・・・家庭・・・国会?・・・。



◎とても寂しいことですが、

 にんげんのものさし・社会のものさしを持たずに

「自分勝手なものさし」だけを持ってしまった日本

 人がやたら増えているのかもしれません。



日本人は本来的に「(他)人に優しい」人間

 はずなのになぜなんだろう、と考えていきますと、その大きな

 原因は日本『少子化なのに核家族化、脱集団

 生活化』にあるのでは、と私は思います。



◎ひとことで言ってしまうなら、『集団で活きて行くための教え

 (理性・倫理)の機会』が家庭でも学校でも職場でも更に

 社会全体でも、そして遊びの場でもなくなってしまってい

 と思います。


◎集団の中に活きていれば

 「自然と、あたりまえに身に着く」ものが機会がないがために

 身に着かないのだ、と思うのです。


●違う表現をすれば、「『心の逃げ場の喪失』」では、とも思います。



★心の防波堤・心の堤防を築いていくに大切な

                        ちっちゃな子供時代。



★親に怒られる、すぐに傍らにじいちゃん・ばあちゃんがいれば

 そんな子供の心を慰めてくれる、癒してくれる、暖かく包んで

 くれ同時にたしなめてもくれる。


●そんな存在(祖父母・兄弟)が身近なところにはいない・・。


◆外に飛び出して、みんなで汗だくで工夫して遊んで発散する

 こともできないし、子供同士で遊びの中から規律とか年上との

 付き合い方?とかやっていいこと、だめなことを自然に身に

 つけていく機会もない・・・・。


◎だからものさしが

 「人間としてやっていいこと・だめなことではなく、

 自分ができること・できないこと

 なってしまっているのだと思います。



人間として

   本来「やってはいけないこと」なのに「自分ができる」

   からやってしまう。

   人間として本来「やらなければいけないこと」なのに

   「自分ができないからやらない」・・・・・。


            こんな判断と動き方になって

                           しまうのでは。


★そして、そんな生き方をしてきた人達が親世代になってきている。


★そのような環境で育ってきた子供が強く怒られたら「怒られっぱ

 なし」なり爆発することでしか心を開放することができなく

 なってしまいますし、それが怖くて親は子供を叱れなくなって

 しまう・・・。



●人間が人間社会の一員として活きていく

 ため、働いていくために必要な理性・倫理で

 頑丈に構築され年々、より強く補修されていく

 べき自分自身中にある「心の堤防・心の防

 波堤が創られていない」「ちっちゃな防波堤・

 堤防のまま」の「見かけだけの大人の集団」に

 日本はなりつつある、なってきている

 私、思うのです。



◎本来の

 日本人の大きな財産である

         「(他)人に対するやさしさ」

 を取り戻すための社会的な展開をしていかなければ・・・・・・・

 こんな想いを強くしています。



●「自身の心の防波堤・心の堤防」、

  しっかりとしていますでしょうか。大丈夫でしょうか。

(私は年に何回か自己診断をするようにしています)



◆残念ですが職場組織でもたまに見受けます。



自分の感情を抑えられずにもろに感情をぶつけるヒト。

とても残念なことに役職者に多く見受けられる

 ですが役職者・トップがそうなったらその組織は確実に崩壊

 していきます。私の想いです。


◆感情をもろにぶつける、理由もなにもありません。

 あるのは「気に入らない」「自分の思うようにならない」

 「自分を守りたい」『自分』だけであり、

他人(相手)のことは全く何も感じられない、考えられない状態

 にあるだけ。

     そんな人をトップにしてはいけないのです。



●完全に「人間としての『心の防波堤・心の堤防』が決壊」して

 いるのです。



「自己中心」の「ジコチュウ」の世界に入り込んでしまっており、

 そんな心の状態の人には誰も人と人としては近づきはしないの

 です。

    ↑ ↓

 (現実としては役職者だから、トップだから仕方ない、と仕事場面

 で近づいているだけなのにそれを感じとることさえできない、ので

 す)


◎いつもいつも心していきたいと思います。


◎「今の自分の心の防波堤・心の堤防」は

   しっかりとしていて他人を護っているのか」、

 「補修を必要としているような箇所はないか」

 の自己確認と定期的な大規模修繕工事の自己実施を。

       (この防波堤・堤防が護るのは

            自分ではないのです!!!)