『温室デイズ』。
瀬尾まいこの「温室デイズ」を読み終えた。
彼女の代表作である「卵の緒」や「幸福の食卓」と比べると
若干テーマは重く、ストーリーにも救いは無いが
一方で主人公たちの心の微細な描き方は実に瀬尾さんらしい旨さがある。
教室という閉塞空間でのいじめと登校拒否を当事者の立場から捉え
そこから学校生活の意味、さらには生きることの意味を考えさせてくれる。
曰く、「学校は温室のようなガラス張りの戦場」であるらしい。
こういう問題に目を向けた時「世界は広い」なんてすぐ言う人がいる。
確かに世界は広い。
だけど、人は人生でどれだけの世界を知れると言うのだろうか。
社会に出て色んな人と会ったら?
転勤、転職で日本の中の何県か移り住んだら?
旅行で何ヵ国か行ったら?
学生にとっては、学校と普段の生活が世界の全てだ。
社会人にとっては、会社(仕事)と家庭が世界の全てだ。
世界は広い、世間は広い。確かにそうだ。
しかし実際に人生で経験出来なければ、テレビや本のむこう側と同じ。
家庭環境や境遇に恵まれてない方ほど、知り得る世界は狭いのだ。
私は決して自殺擁護派ではないけれど、
自殺を考えてしまう心境や境遇の方に、
「世界は広い」「生きていればいい事ある」なんて、
自己満足で無責任な言葉は言いたくない。
そんなものは全て無意味だと彼らは既に痛感している。
本当に手を差し伸べるつもりなら、そんな戯言なんかより
具体的に人生の選択肢を増やしてあげるべきなのだ。
みちるや優子はそれぞれの場所でそれぞれの世界を見出した。
これは決して他人事ではない。どこにでもありうる現実なのだ。
四月六日
ぼんやりとした感覚で線路沿いの道を歩いた。金網の奥の雑草を見ていて、あ、なでしこ、と彼は言った。それは、美しい女が彼に言ったのと同一の言葉だった。いま隣にいる女は、聞かないふりをした。子供じみてると思いながら、彼は今度は指をさして、なでしこ、と言った。あれが、そうなの?どこにでも咲いちゃうのねえ。薄桃色の花に、風が生ぬるかった。
改札口まで女は付いてきた。訳もなく笑っていられるその顔は生命力に充ち満ちていて、いつまでもどこまでも喰い足りなそうに見えた。構内に巣食った鳩の羽ばたきがその顔の上で狂気の影を作った。彼は眼を細め、そして逸らした。
列車はすぐに来た。埃ばかり漂っていて、昼間の列車はすいていた。座席に身をもたせかけて、彼は先刻の金網が窓の向こうを流れていくのを見ていた。特急列車が視界を遮った。彼はその先に、あの女の一人で歩いて帰る姿を見たような気がした。
彼はその幻が、女ではなく彼自身であることを知っていた。茶番劇を真剣に演じる出来そこないの自分、そんな事にはすっかり気付いていたが、その時彼は何の感情をも産み出しえない一個の肉体に過ぎなかった。
「Die Wunde!Die Wunde!」と彼は呟いていた。
さんがつさんじゅうにち
ブログネタ:3回以上観たことある映画 参加中ブログネタで記事を書いてみる。
【三回以上見た映画。】
子供の頃はグーニーズが好きだった。
母が仕事から帰宅するのを確認すると
『グーニーズが見たい!』と
ほぼ毎日のようにねだっていた。
今ではもうストーリーですら
あやふやだけれど
当時は凄く好きだったんだと思う。
たぶん。maybe。
高校生になると
セブンティーン
(原題:Telling Lies in America)
という映画に惹かれ
何度も何度も鑑賞した。
未だにDVD化すらされていない
超マイナーな映画なのだけれど
無理して背伸びしようとする
思春期特有の青臭さ
コンプレックスやバニティ
大人になるという事の痛み
みたいなものが
凄く良く描かれている
今でも大好きな映画の一つだ。
ちなみにこの映画で主演を演じた
ブラッド=レンフロは
その後
ドラッグ中毒で早世してしまった。
彼もまた
劇中のビリー=マジックのように
その栄光の陰で様々な苦悩を
もて余していたのかも知れない。
と言うか。
これ3年半ぶりの更新なのね…
そりゃあオイラも
おっさんになる訳だわな。うん。
(´・ω・`)