前回のblogのつづきになります
まず、はじめに
書きたいことがたくさんあるのですが、何からどう伝えたらよいのか?うまくまとまらず
書いては下書き保存、また書いては下書き保存を繰り返しながら、最近、怪しげなる私の日本語…思いつきのまま書き綴ってきそうで、読みずらい乱文であるかと思われますので
あらかじめ、お詫び申しておきます
_(._.)_
Amebaにおいて
『大日本帝国バンザーイ!アメリカからゴリ強いされた憲法は、世界最強の帝国日本を弱体化させた。だから即刻、廃止し、かつての大日本帝国憲法に戻すべきだ!』
当時は日本の元号が平成から令和に変わった頃でした
大日本帝国憲法って1889年に発布され翌年に執行されたといいますから、元号は明治
かなり時代錯誤なさってる!?それも先へすすむのではなく後戻りへと(´・ω・`)?
『安倍さんバンザーイ!世界の問題爺D.Trumpとはテキトーに口裏合わせとけばよい。どんどん戦闘機を買い漁ってカネを与え手懐けさせとく。それができるのは安倍さん以外に他いない!』
こんな感じの、胡散臭いDMが届くようになったのです
🤮🤮
『日本は大丈夫だろか?』
つい私がそう口にしたあまり、日本を小バカにしたと捉えられてしまったからなのでしょうか?
それとも、自分と意見が合わないとわかったとたん、私へ敵意むき出し嫌がらせでしょうか?
いずれにしても悪質な陰険さ…迷惑でした
さらに、私のことを中国人だとか韓国人だとか、べつにどうでもよい疑いをかけては、しつこくディスってこられたのです
これが日本の保守、右派思想を抱く男性の姿なのでしょうか?
悲しく憐れなものだと感じ、ドン引きました
私の日本の祖父も生前、保守・右派思想であったけれど、このときの
私の夏休みの課題のために、自らの体験を静かに語り聞かせてくれたとき、敗戦後は警察官になって定年まで真面目に人々の安全のために勤めたことも、誠実さがありました。祖父はとても日本を愛してたから、かつてblogに再三にわたって綴ったとおり、自分たちが沖縄を守れなかったことをずっと悔やみつづけていました
新年になると私たち孫を連れて皇居への一般参賀へ、また共に戦った戦友との『靖国で会おう』といった約束を果たすがために、毎年靖国神社へ出かけ、手を合わせていました
だから、たとえ日本が敗戦したとしても、決してUSに媚びるようなことや、負け惜しみのような言葉を口にすることはありませんでした。隊長が自らの命を絶ち、生き残った自分たちは米軍の捕虜として捕らえられたことは、当時の日本において、とても恥ずべきことだった。けれど、敗戦したことで日本が戦争をしない国に変われたことを喜んでいましたし、そのために多くの人たちの犠牲があったことを、強く語ってくれたのです。絶対に忘れないでと。
『忘れないで』と言われても、私にはその体験も記憶もないため、このとき、祖父の言葉をどう解釈していいのかわからなかった…そのことはのちにかつてblogにも綴ってますが、祖父はそんな正義感に溢れた、潔くて凛とした日本人でした
『戦争だけは、もう2度とやっちゃいかん!』
そう言いながら
『かつて日本軍は、特に中国に対して大変な愚行を犯したんだよ。なのに、中国の人たちはそんな敵国である日本人の子を我が子のように育てあげた。だから日本人は、その恩と敬意を決して忘れてはいけない。中国人に脚を向けて寝てはいけないんだ』
ここでも『忘れないで』
もし祖父が今も生きていて、彼のこういった姿をみたとしたら、かつて怖い思いしながら日本魂を掲げ命かけで戦い生き抜いた男として、どう思うのだろう?
ついそのように考えては、
人ってわからないものだ…
このとき私は胸に詰まりながらも、つくづくそう思ったのです。かつて彼は私のblogへよくコメントを寄越してくれました
先に書いたような、嫌がらせともいえるDMが私のもとへ届くようになり、その旨を彼に話しても心配なさる事すらなく、それどころか茶化してこられたのです
私としては、悲しくガッカリさせられました
彼は日本を代表する有名私大のOBであることを、毎回のようにblogで綴られておりましたが、その大学のイメージまでもが汚れてしまうかのような…そんな勢いでキャパオーバー、限界を越えてしまったのです
彼からfollowされておりましたが、そちらをはずして、金輪際、絡みを絶つことをお願いしました
そのときのやりとりが、このblogで交わしたコメントに残ってますが
これを機に、彼とはきっぱりとお別れすることができました
その点においては、最後に潔い面をみせていただけたと思ってます
…というのも、このあとすぐに事態が一変
まるで、私たちの、この一部始終を見て知っておられるかのように、助け舟を出された?!
続々とリベラル思想の人たちとの出会いがあって、絡むようになっていったのです
きっと、その影響もあったからでしょうけども。
ひとくちに『リベラル』といっても、USと日本ではまた違ってますし、当然のことながら、さまざまな人たちがおられます
本がお好きでいろいろな本をお読みになり、その紹介をされながら、政治・経済にまつわる私見をblogで論じておられるインテリジェンスな在日韓国人の方、派閥が枝分かれしたために数多くなった日本の政党にとてもお詳しい方、日本人でありながら日本や日本人のことをどうしても好きになれずにいて本を出版されてる方、etc…
なかでも特に印象深い人といえば『日本は~』『日本人は~』といった言葉のあとに続くのは、必ずネガティブな言葉ばかりという人がおられました
彼のblogへ初めておじゃましたとき、私は『はじめまして』と挨拶したあと『そうとは限らないです。私のまわりの日本人はそうではありませんもの』といったコメントを寄せたのです
いきなり初見なのに?!と感じれた人もいたのでしょうか…でも、私は気にもしませんでした
むしろ、自分の思ったこと感じたことを正直にコメントしたまでのことです。それがblog主に対する誠意であり礼儀と思う節があったから。
けれど、今ふりかえってみて、それもまた文化の違いであり、USと日本の人たちにおける一般的な感覚のズレ?といえるかもしれません
そして、そんな私に対して、彼は『これは、あくまで私の視点での一般論にすぎませんから(^^;』と穏やかに応えてくださったのです
彼ご自身は日本人である。それなのに、なぜそこまで日本や日本人に対して批判的なのだろう?
本来ならネガティブな人は苦手で嫌いなのです
自分の都合よく捉えてしまう…こういった楽観的な性格がいいか悪いかは別として、そういう私とは、もともと合わないのです
悪いように人をみたり、事を捉えたり…
そりゃあ、勘違いしちゃうことは誰にだってあることですが、自分の置かれた変えられない現実を受け止めようともせずに、他と比べては相手を僻んでは鬱々してる
うらやましいといった気持ちを相手に伝えるわけでもなく妬んでは鬱々してる
つまらないですもの…
けれど当時の私は、なぜ?どうして?といった疑問と共に、彼への好奇心?が掻き立てられていったのです
またコメントを交わしあってみて、あ!このような部分もお持ちなのね!?といった新たな発見も、当然のことながらたくさんありました
私が考え思いもつかないようなことを、教えてくれたりもしました。だから私が苦手とするネガティブな人でありながらも、彼のことを、べつに嫌だと感じたりはしてなかったのです
それは、いつもとてもフランクに気さくに接してこられ会話をエスコートしてくれたからでしょう
また西洋文化や洋楽がお好きで詳しく、暇をもて余すことなく私を楽しませてくださったからでしょう
けれど結局、彼もまた、私とは合わない人でありました
どなたかとトラブルになり、突然退会されたときは寂しく感じましたが、再び戻ってこられ再会したとき、そのように感じました
その後、もう絡むことはないまま、今どうしておられるのかはわかりませんが、お元気で活躍なさってくれてたらいいなと思っております
親日(米)?!反日(米)?!って、よくいわれますよね
当然のことながら、その思想は人によってもさまざまであり、親日(米)思想だから、また反日(米)思想だからといって、それがいいとか悪いとかいうものではないと私は考えています
というのは、単純にその人が培ってきた経験に基づくものに過ぎないと、私なりに捉えてるからです
私のリア友の例えですが、
かつて、バーチャル世界のなかで、日本の国旗🇯🇵日の丸を脚で踏みつけたり燃やしたりしている人の動画をあげて『反日』と強くバッシングしてたユーザーがいたそうです
そのとき『反日と、たったひとことで見ず知らずの人間を決めつけバッシングなさるのは、あまりに短絡的で愚かすぎではありませんか?このような動画をあげるのなら、いったい、なぜこの人がこういった行為をしてるのか?またその背景は何なのか?と、なぜあなたは考えをめぐらせようとなさらないのですか?』と友人はコメントをしたそうです
たとえ、祖国で反日教育を受けたとしても、いざ来日してみたら、素晴らしい日本人との良縁に恵まれて親交が深まったおかげで、これまで自らが受けてきた反日教育に疑問を抱き、日本のことが好きになっていった!という人たちが多くおられる
彼もそのひとりだったからでしょう
わけもなく日本や日本人を嫌ってるわけではなく、彼女の経験のなかで、日本や日本人に対して思い出したくもないほど苦いものがあるからと思われるのです
だとしたら、やむをえないことだと、いくらか寛容になれるでしょう。確かに私にとっては強烈な体験でありました。けれど、私はそう割りきるようにしたのです。そう捉えながら、これまで生きてきたのです
国籍を選択するにあたって、もっとも重要なことは当然のことながら、まずその国を好きであるかどうかということ
いくら親の祖国であろうが、生まれ故郷であろうが好きになれないケースだって当然あるのでしょう
このblogで交わした帰国子女であった方とのコメントのやりとりで、かつて教えられたことです
彼女自らも、そしてまた彼女の周りの人たちも見事に反日であると、自らコメントで仰有っておられます
USで生まれ幼い時期だけUSで育ったため、完璧な日本語がつかえなかった。そのために彼女は日本でイジメを受けた。彼女の周りの人々もそうだったのだと…
だから、彼女も、そして同じような苦い経験をされた彼女の周りの人々も、日本を好きにはなれないといった気持ちがある
それだってやむを得ないことだと思うのです
日本人の親をもちながらUSで生まれた…私と似たような境遇とはいえ、私とはまったく違う体験をされてこられた彼女の思いであり、この言葉に、このとき私自身はとても考えさせられたのです
私も決して完璧な日本語ではありませんでした。今だってそうです
けれど私の場合は、幸いにも、周りの日本の人たちに恵まれていました。同じように、USの人たちにも恵まれていました
英語のアクセントが抜けない拙い日本語であるために『訛ってる』とか『アメリカ帰れ』といった手荒いおふざけで、からかわれたこともありましたが、私としてはあまり卑屈になることなかったし、それをイジメとは捉えていなかったのです
ちょっかい?JOKEといったニュアンスでいました
言われたり言い返したり…やったりやられたり…
そんな他愛ない子どもながらの日常、友だちとの交流のなかで、日本語を上達させてきたと思える節もあるので(^^;
むしろ、日本での学校生活において
USとの違いに戸惑いながら、日々カルチャーショックを感じつつも、1kから12kまでの12年間、USでの義務教育を一貫しなかったからこその貴重な体験を味わえたのです
もし、ずっとUSでの学校生活を送ってたら感じれないどころか、気づけなかったことがたくさんあり、どれも私にとって貴重なことばかりです
多感な思春期であったから尚更かもしれませんが、日本は私の視野を大きく広げ成長させてくれた国であるといっても過言ではありません
だから、これもまた日本国籍の保持を選ぶ決意に至ったひとつなのです
前回のblogでも、またこれまでのblogでも綴ってきたとおり、USにしろ日本にしろ私は両国へ対して愛国心は同じようにあります
たとえどんな国であろうとも、大好きな両親の祖国であるから。
決してUSのことが嫌いになって、US市民権を放棄したわけではありません
日米共に、リアルにおいてもバーチャルにおいても、いい人たちに恵まれてきたことを感謝しています
そのことは私にとって、かけがえのない宝であります
いい人たちというのは、いつもyesばかり賛同してくれる人のことではありません
クローン人間じゃあるまいし、そんなまったく自分と同じ人間などいるはずなく、仮にいたとしても次第につまらなくなり飽きてしまうでしょう
お!なるほど!そういった考え・見方もあるんだね?!と新たな発見があるからこそ、一緒にいて楽しいのであります
私も人間なので間違いもありますし、過ちも犯します
誤った方向へ向かいそうな時、勝手な思い込みが先走ってしまいそうな時、そういう時は誰だってあることと思うのです
けれど、自分自身ではなかなか気づかなかったりもするのです…
そんな時、ただ私に同調し一緒に流されてしまうことなく、踏みとどまるようブレーキをかけて、叱ってくれたり、私を律し正してくれる人たちのこと
『通報者が悪いわけじゃない。通報され削除されるようなblogを書いてたほうがいけないじゃん。少し冷静になって省みなよ』
『往生際悪い、自らの落ち度を他人のせいにするなんてれもんらしくない』
こういったリア友のような人たちのことです
いつだったか、そのうちのひとりが私にこう言ったのです
『れもんは自分では、日本語がまだまだだとか、日本人とかけ離れた言動だと感じてるかもしれないけれどさぁ。私から見たらあなたは、確かに顔は日本人離れしてても、そのへんの日本人よりも綺麗で上手な日本語をつかうし、日本人らしい感性だって持ってるレディだと思うんだよ。要は、自分が思うれもんと、他人から見てのれもんとはまた違うじゃん…
いろんな人がいるけれど、あなたをネガティブにさせる人よりも、あなたをよりポジティブにさせてくれる人のことを大切にしていきなよ。なぜなら、れもん…あなたのいいところは、そのまっすぐでひたむきな素直さとポジティブなとこだから』
つづきます