『退会し、もう居なくなってしまった人に、どのようにして謝るの?』
思わず喉の先を突きそうになった数日前
2~3年前のことをふりかえりながらUPした前blogから、当時のことをしばらく思い返していました
通報され、いくつものblogが突然消された当時の私は初めての経験にパニック
同時にBさんのblogも消され、それからまもなくして、突然AmebaからBさんが消えたのです
『通報はやめて!』と私は再三のようにblogで訴えてた
それにもかかわらず通報する人たちはいた…
まるでゲームを楽しむかのように通報するのでしょうか?と落胆し、少しばかり人間不信にもなり、ショックが大きすぎてた当時の私は、しばらくログインする気分にもなれずにいて、当時『とことんやる』と決意したのに不完全燃焼のまま終わりを遂げたその現実に、やるせなさばかりが募っていたのです
またBさんはどんな思いで去っていったのだろう?と考えただけで心痛くなり、押し寄せてくる脱力感…『もぬけの殻』とはこういうことをいうのかと思い知りました
当時のblogにものこされてますが、私はこれまで日本語でがんばってblog書いてきたのよ!とか、黙って通報なんか卑怯じゃん!とか…今となっては、お恥ずかしいですが、当時の私は、みなさんからしたら、んなこと知ったこっちゃないようなことをほざいては往生際悪く、とり乱していたのです
実に、みっともないものをお見せしちゃいました
思いがけない結末に無念ばかりが募り、あのとき私はかなりネガティブ化していました
そんなとき
『通報者が悪いわけ?れもんとBさんにそれぞれ落ち度があったから共に通報されて、事務局が判断して消されただけのことじゃん』
『通報者を探しあてて、そこへ怒りの矛先を向ける気?そんなことしたところで、事態が変わるわけじゃあるまいし。それともなに?Bさんが戻ってきて、また再びとことんやりあおうとでもいうわけ?いい加減、正気に戻ったらどぉ?』
『往生際悪いれもん…らしいといえばらしいけど、らしくないといえばらしくないね、いつもの潔さはどこいった?』
しばらく私を静観し続けていた日頃外部から私のblogを閲覧している日本のリア友だちは、見るも見かねて、啖呵を切るように私に次々と言ってきたのです
リア友らの仰有るとおり、そこにシビアでドライな兄も加わってリアルのなかでこんこんと粉砕されたのは言うまでもなく…
悔し涙?悲し涙?ありがた涙なのかな…
なんの涙なのか、いつになくリアルとバーチャルを切り離せずに、瞳が滲んで、涙が流れては落ちてくる毎日でした
○かく○さんと、○kinawa○isu○さんのおふたりのことを通報者だと疑ってしまう失態を犯してしまったばかりでしたから、ここにきて、再び同じことを繰り返したくはないといった思いもありました
苛立ちの思いは隠しきれないながらも、自分に落ち度があったから致し方ないといった気持ちと、ちょっぴり人を信じられなくなってたなか、もう誰も疑いたくはないといった気持ちが混在してました
そんなとき
『私なら、通報者が誰なのか数分間でわかります』と私にコメントを寄せてきたAさん
Aさんは、ちょっとしたパソコンのスキル操作でユーザーの住所や名前がすべてわかり、Ameba限定blogも読めてしまうし、非公開フォローも誰なのかわかるのだと、これまで多くのユーザー、主にUS欧米に携わってる人たちを集めては公言されながら、かつてAmebaでセキュリティ講座のblogを綴られておられた人です
けれど、困惑憔悴し半ば自棄になってた当時の私にとっては、通報者が誰かなんて、もうどうでもいいことでした
むしろ、Aさんの言葉が要らぬ親切に感じれてしまい『せっかくですがそっとしておいてくださいますか?』といった気持ちになっていました
なぜなら、日本のリア友らのツッコミどおりです
私に落ち度があったら通報されたわけで、通報者を特定したところで、消えたBさんが戻ってくるわけでも、なにがどう変わるわけでもありません
異議申し立てあげるのなら通報者へ言うのではなく、Ameba事務局に言うべきことだと思ったし、かえって余計にストレスが溜まりネガティブに陥るだけのような気がしたからです
それに、blogにもしましたが、Bさんのことを初見で知らないと言っておきながら好きになれないとか?…よくわからなかったのです
不信感を感じてしまったというのでしょうか
それをツッコんだとき、そそくさと退会されてしまいました。そして、別の捨アカウントでもって批判コメント、それにはドン引いてしまいました
後ろめたいことなければ、退会などせず堂々としていればいいものを、なぜそのようなことをなさるのか?と驚いてしまったからです
また先に書いたとおり、同じ失態を繰り返したくはなかったし、もう誰も疑うことなどしたくなかったからです
なによりも、そのようなことに自らのエネルギー費やすことより、通報され消されたことを謙虚に受け止めて悔い改めていくことのほうが私にとって大切なこと…やっとそう気づき始めてたからです
ちょうどそのときでした
三○さんが久しぶりに私のblogにコメントを寄越しに来られ
あのとき、Bさんとともに通報されてblogが消されておきながら、それでもまだなお彼と争い続けたことを、私はとても後悔しました
『とことんやろう』それが仇となったことを思い知らされたといいましょうか…『臨機応変』という言葉があるように、一時休戦してきちんと踏みとどまるべきであったと、そうすればBさんが消えてしまうことはなかったと悔やみました
またそんな思いと同時に、私のblogを覗いて三○さんへ告げたという幾人かの人たちは、なぜその場で私に指摘してこなかったのか?といった、やるせなさからくる苛立ち?逆ギレ感情?も共にこみあげてきたのです
『北に喧嘩や訴訟あれば つまらないからやめろと言い…』
宮沢賢治が、雨ニモ負ケズで詠んでることとは相反し、その人たちは、野次馬心でただ私のblogをこっそり覗きにきては、なにも言わずにその場を立ち去って裏で告げ口といった姑息なことをなさる…そんな卑劣になんともいえぬ気色悪さと陰湿さ、絶望感を感じてしまいました
それを三○さんにぶつけるのは、また筋違いであるということは承知していながらも、自分で自分の機嫌さえとることもできなかった当時の愚かな私は耐えきれずに
『あなただって私のblogをリブログなさったことあるけれど、そのとき、いちいち私に確認などなさらなかったではありませんか!』といった、今となってみれば、かなり的外れな皮肉を彼女へぶつけてしまいました
また無断転載を批判してきたセキュリティに長けたAさんへも、同じように…
これらはすべて私の認識の甘さからきた言動そのものです
当時、どんだけ認識が甘く浅かったのか…その証拠もすべてかつてのblogのなかにのこってます
だから、私は再びまた同じ過ちを犯してしまう羽目になってしまったのです
ZEPETOで交わしてきたある女性とのDM
その女性を仮にCさんとします
当時、Cさんは某男性ユーザーから、パワハラめいたことを受けながら、そのなかで培ってきた人脈が次第に壊れていったと、当時私も彼をfollowしてたこともあったためか突然そのような悩みを打ち明けてこられました
不満を聞いてあげることくらいならできるからと、Cさんの捌け口になっていた私は、あるとき、イベント中に彼から暴言を浴びせられたことなどを告げられ、とうとう私ひとりではどう対処してよいのか、わからなくなっていました
当時すでに私は彼のfollowをはずしていたため、イベントへ参加していませんでしたし、実際見えないことだらけ
ましては以前、私も彼のfollowerでいたけれど、彼からそのような仕打ちを受けたことはありませんでした
他のfollowerたちとも、イベントで会ったときに挨拶を交わしあい楽しい時間を共有しあった程度でしかなくて、Cさんのように横の繋がりを広げ深めることもしてませんでした
だから、のちに彼のファンマをつけてる人と『はじめまして』と相互followしあう関係になったりもしていますが、当時Cさんがなにが原因でそのようなことになったのかなどは、あのとき私はCさんの話でしか知るすべがありませんでした
そんななか、1対1でのDMを通して、私はCさんから話を聞いているけれど、私が捉えている彼女の日本語のニュアンスが、もしかしたら別の人たちにはまた違うように捉えられるのかもしれないと考えたことがあり
『こういうことがZEPETOであるのですが、みなさんはどう思いますか?』
彼を批判する自らの考えを述べるとともに、私は罪を犯してしまったのです
そのとき、幾人かのブロ友だちも彼を批判するようなコメントを寄せてくれてたなか、無断転載であるからすぐに削除して!と指摘を寄せてくれた人たちもいて、削除に至りました
のちにライムからも叱られたことですが、私はまず彼に確認すべきでありました
当時の私はそれを怠り、ろくに確かめもせずに、Cさんの話ばかりを鵜呑みにしては彼女の承諾も得ないままに、やってはいけない無断でDMを貼りつけることを犯してしまったのです
信用を失ったその罪をこれから私なりに償っていこうとしてたとき、突然、彼女が体調不良で退会してしまいました
『退会し、居なくなってしまった彼女に、これからどうやって償っていけばいいの?!』
またもや不完全燃焼に終わった私は、そんな自らののやり場のない感情を、かつてのブロ友へ不躾にも一方的にぶつけてしまったことがあります
かなりみっともないことをしたと省みています
Cさんと交わしていたDMの一部を無断で載せてしまったことは、如何なる理由あれ決して犯してはいけないこととして悔い改めてます
たまたま通報されることなかっただけのこと、消される前に自分で消しただけのことです
愚かでありました
そんな私の愚行をこれから償っていこうという矢先に退会してしまったCさんとは、会うことも話すことも叶いませんが、私は自分なりにこれからも償い続けていくつもりです
どうやって?って…、今後は2度と無断転載といった過ちを繰り返しませんと誓います
犯したら退会し再び戻ることはしませんと、ライム、そしてここでのみなさんへ公言し約束を交わしましたから守っていくことは当然のことです
約束を守れなければ嘘つきとなり、信用を築きあげることなどできません。それは万国共通における社会のしくみですから、当然、全世界で繰り広げているZEPETOにおいても同じことです
また、これからZEPETOで私にできる可能な限りのことをやっていく所存でおります
先日、私のZEPE友であり推しLIVERのひとりである人が楽しいイベントを企ててくれました
100人の日本人LIVERを集めて、みなさんの協力を得ながら人気LIVERを競うといったイベントです
とても盛り上がり、なんとその上位10位内に、当時のその彼がランクインされていました
彼は大喜びしていました
HNが変わっていたのですが、見覚えあるAvatarでしたから、すぐに私は気づきました。懐かしく感じれながらも元気でおられる姿を拝見できて良かった…と、つくづく感じました
ここに報告しておくとともに、ZEPETOの楽しさをいろいろと教えてくれて、楽しい思い出をたくさんつくってくれたCさんへの恩と償いのかたちとして、私がZEPETOでできることは微々たることでしかありませんが、彼女が治癒に励まれ回復なさって元気に過ごされてることを、遠くから祈っております🌸
Bさんへ対しても
彼がなぜ私に怒ってらっしゃるのかまったく理解できずにいた当時の私の愚かさを身に沁みています
今さら遅いことですが、Bさんとやりあっていた最中に、彼が私にひどく怒りをぶつけてきたことがありました
ひとつは、〇kinawa〇su〇さんのblogを私が無断でスクショ投稿し、おあいこだからと開き直った発言をしながら、おふたりのことを通報者と疑ったときで…叱られて当然なことです
そんな私を説得するために、Bさんはご自身の貴重な時間の多くを費やしてくれたのです
本当に申し訳なく思っています
そして、もうひとつは、私がいいね欄を閉じずにいたことです
『相手に不足なし』
前回のblogでgrandpaのことに触れて思い返されたことですが、どんな敵であろうとも相手に対しての尊厳と敬意を抱き、人としての慈悲を決して失ってはいけないということを、かつて軍人であったふたりの祖父たちがよく口にしていたことでした
ですが、愚かな私はそれを怠っていたのです
Bさんvs私
そうでなければならないのに、いいねを閉じなかったことで、いいねをした人は私に加担しているかのような構図になってしまう恐れがあります
いいねをつけるということ
人によっても、いいねについて捉えてるニュアンスがまちまちであります
blogの内容に共感していいねをつける人もいれば、読ませていただきましたという表示としていいねをつける人もおられます
そのため、いいねから生じる誤解も起こりえます
私もかつて経験したことがございます
重々わかっていた私であるはずが、Bさんに対しても、そして私のblogを読んでくださるfollowerの方々へ対しても、配慮が欠けておりました
やりあってる内容の私のblogに、いいねをつけてきた人たちに対して、Bさんからしたら、それはまるで、彼らが私に加担し、多勢から攻められてるかのような錯覚を覚えてしまわれたり、それによって要らぬ精神的苦痛を与えてしまうことでしょう
彼らへ対しても要らぬ敵対心が芽生えてしまう恐れもあるということを、私はきちんとわきまえるべきであったのです
けれど、私はそういった配慮をすっかり怠っていました
それどころか、いいね欄を開けるも閉じるも私の自由であり、他人からとやかく言われることでもないと。またいいねを閉じても、次のblogでいいねを開ければすべていいねが開いてしまうといったAmebaのシステム上のことをアピールしては、どんな人がいいねをつけてくれるのか私はいいねをいつも楽しみにしているのだと自らの主張を省みて揺るがすことをしなかったのです
大変愚かであったし、卑怯な戦い方をしてしまったと省みています
私の至らぬ愚行のために、いいねをつけてくれた人たちが、誤解を受けることなど、決してあってはならないことです
ですから、今後、私自身への戒めの意味でしばらくいいねは閉じさせていただくことにします
在日外国人という共通の立場でありながら、当時妊娠中だった私に不満を感じることあっても、私の身体のことを気遣ってくださるあまりに、その感情をぶつけてくることをなさらなかったBさん
休眠から復帰してこられたとき、突然激しく怒りをぶつけられたときは、驚きのあまり逆ギレした私でした
何がいけないのかもわからずに、Bさんに対して、ただ気持ちを溜め込んでは、あるとき突然爆発しちゃうズルい卑怯者だと思っていた節がありました
けれど、今になって、2~3年前のことを静かにふりかえってみながら、当時の私自身の愚かさ、followerとしての至らなさに気づかされつつあります
私はBさんの優しさのうえにあぐらを掻いて、随分と甘えておりました
自らの立場を主張するあまり、自らの高慢さでもって横柄であったことを深く省みています
退会し、いなくなってしまったBさんへの謝罪
Cさんと同じように、これから私なりに償っていくつもりです
もし、ここAmebaに復帰されてるのなら、当時私の身体を気遣ってくれたことへの感謝と、不快を与えてばかりで傷つけてしまったことへの数々をお詫びに伺いたいです
ただ、それではまた不躾に、私の気持ちをぶつけてしまうだけに過ぎない気もしています
私が、あのときBさんと争い続けなかったら、通報されblogを消されることなどなかったと思うのと同じように、きっとBさんも、遠い空の下で『とことんやる』ことが叶わなかった無念さを感じながらも、私と同じように感じているのではないでしょうか
れもんと絡み続けなかったら、俺のアカウント消されてしまうこともなかったのに…と。
そんなBさんへの償いとして、私がなすべきことは、彼に謝罪を申し上げることより、これから少しずつであっても私自身が変わっていくことと思っています
でなければ、たとえ今の私が、ここで『ごめんなさい』と謝意を口にしたところで、なんとも白々しくもあるから…
私自身がある程度変わることができたときに、ようやく初めて、彼へ『あのときは、ごめんなさい』と口にできる気がしています
2年の年月が流れ、過去形での謝罪でしか叶うことできないのは、なんともむなしく、せつないですが…
どうか今、彼が癒されていてくれたら…と願ってやみません
PS
母の日から1週間になりますね…
次回予告は、一部リスエストにお応えしまして『2024母の日』についてお話します🌸