前々回のblogのつづきとなります
2年ほど前にUPしたこちらのblog、私はセーリーに告げたとおり
二重国籍、いくら出生におけるものであるとしても、日本においてグレーゾーンであることに変わりはなく、自らなんとかしなくては!と思っていました
私はUS市民権を放棄して日本国籍を保持することに決めました
私は、USのことも日本のことも大好きです
対称的な文化をもつ両国でありながら同じような思いを抱き、特別な思い入れがあります
そして、今は他界してこの世にはいないDadのこともMomのことも大好きです
ふたりとも厳しく感じられることもありましたが、ありったけの愛情をそそいでくれました
かつてblogにしたことありましたが、どちらかの国を選択するということは、まるで、両親のどちらかを選べと迫られてるような気がして、私はなかなか決断できませんでした
USにも日本にも一長一短あって、それぞれ愛する大切な人たちがいて、かけがえのない思いがあって、甲乙なんてつけられませんもの…
そんな私が、日本国籍を選ぶ決意に至ったのは、実は2024今年になってからです
二重国籍から解き放たれた日本人となり、数ヶ月もの月日が経ちます
とはいえ、永年の慣れは染み付いています
結婚して姓が変わったのに、旧姓の慣れが抜けず新しい姓名にしっくりこなかったという日本の従姉や友人の話のとおり、私も同じく…
また、いくら日本人であっても、たとえば日米のことについて考えるとき、ついついこれまでどおり、アメリカ側の視点になってみたり、日本側の視点になってみたり、また他国からの視点になってみたり…
視点の角度をいろいろ変えた方向から物事をみちゃうクセは治せそうになく、治そうとも思いません
かなり以前、私のblogで紹介したこちらの絵
長いおつきあいしてるブロ友さんなら覚えている方々も多いかと思いますが
たかが国籍されど国籍
あえて、これまで、このことをみなさまへお伝えしてこなかったのは、私自身がまだしっくりしない感覚でいることも一理ありながら、先のblogで紹介したライムの言葉のとおり
♠️『USを選ぼうが日本を選ぼうが、れもんはれもんであることにかわりはない』からです
国籍で結婚相手を選ぶわけでも、友だちを選ぶわけでもありませんし、仲良くなれるかどうかなんてフィーリングにすぎません
たとえ国どうし?そのトップである政治家どうし?が互いに歪みあい国政的に対立しあっていたとしても、個人間においては仲良くさせてもらえてる人たちが、リアルにもバーチャルにもおられます
だから、短絡的に国籍だけで以て人を判断しようとなさる人を私はとても軽蔑するし、苦手でありイヤなのです(ずっとblogに書いてきたことでもあります)
かつて、こういう人たちがいました
『中国はジャイアンみたいな国、偉そうで嘘ばかり』とか、
『あなたがアメリカ人ならば、中国やロシアの人間とは仲良くすべきではない』とか、
『日本の悪口を言って嫌がらせばかりする中国や韓国の人間とは絡まないほうが賢明だ』とか、
『日本国憲法はアメリカにゴリ強いされたもの』とか、
『あなたのアメリカのお祖父さんは何百人?いや、何千人?日本人を空爆して殺したの?』とか、
そのほとんどがDMであったり、またご本人のblogでのコメントでしたが、私のblogのどこかにもそんな類いのコメントが、のこってるかと思います
どこの国にもいろいろな人がいるものです
考え方だってみんな同じではないはず
またそのようなことを私に言われても困ります!というようなお門違いなもの
だから、私はとても不愉快であり迷惑に感じれたのです
だって、国籍や、肌や瞳や髪の毛の色が違っていても、話す言葉が違っていても、身体のなかはみんな同じく赤い血が流れてるのだから…
『日本が大好き』と連呼するかのように言えばネトウヨ』?!
『日本のここを改善してほしい』と辛口発言しようものなら『パヨク』?!
私の表現、日本語が下手だからでしょうか?
かつての日本の首相であった故・安倍氏が、USで廃棄に困ってた燃費も悪ければ機動力も乏しいクズゴミ同然の戦闘機を高値で買い漁ってたとき、心配になった私は『日本は大丈夫なのかな?』と、つい洩らしたら『日本は金持ちだから、もっとアメリカから戦闘機を買い漁ればいい!』という人がおりました
そして日本は大丈夫?と口にした私が、まるで日本のことを小バカにしたとでも思ったのでしょうか
『本当はアメリカ人ではなく、中国人か韓国人か』と?!
…意味わからん
だとしたら、何だというのでしょう??
彼にとって赤の他人である私の国籍などどうでもいいはず。なのに、なぜ?理解に苦しんだことです
その人は当時、故・安部氏の支持者でした。日本の右派でありながらも天皇制においては批判的な思想をもち、韓国や中国をやたらと嫌っていました
かなり以前に知り合い、ほんの少しだけ絡んだ人ですが、私とは合わないです
かつてそういった面倒なことがあったため、あえて国籍をわざわざ告げることでもないかな…と思ってた次第であります
ところが
ZEPETOでの私のPROFで
まず、↑↑先のblogをUPしたとき『れもんは、もしかしたら日本の国籍を選ぶのかな?!』と、薄々勘づかれてた方、もしかしたら、いたのではないかしら?
まずはMomのこと
ひとくちに『カトリック』といっても、人によってその温度差もまちまちです
どの宗教であってもそうだと思いますが、とても熱心な人もいれば、それほどでもない人もいます
毎週、熱心にミサへ足を運ばせてる人もいれば、たまにしかミサに顔を出さないような人もいますから、同じカトリック教徒でありながらも、実にさまざまです
また、教えに忠実である人ばかりとはいえません
現に、私自身も敬虔なカトリックだなんていえませんし、Pete Buttigiegのように同性どうしで結婚をなされているカトリックも多くおられます
だからといって、彼らが神に背いてるわけではないのです
『神は己の心のなかに、存在している』
ライムも私もそのようにカトリックと向き合いながら、決して依存することなく、あくまで心の拠り所として捉えている節があります
他のカトリックの方々はわかりません。ただ、私はそうだというだけのことであります
こうあるのも
私が日本の学生だったとき、鎌倉への遠足、また京都や奈良への修学旅行へ行きました
そこで、神社仏閣などを見物し廻りました
そのことにおいて
『いってらっしゃい!しっかり観覧しておいで😊』
そう言って寛容に送りだしてくれた両親
そのおかげで、私は友人たちと楽しい時間を過ごせたのです
キリスト教の型や枠に深く執着したとらわれはなくて、実にのびのびと育てられたおかげです
それについて、両親は神の教えに背いた子育てをした、よくない教育と思われる人もなかにはいるかもしれませんね
でも私はそうは捉えません。両親へ感謝をしています
当然、信者間のなかで中傷されたことなどもありません
現に私の他にもキリスト教徒の友人がいましたが、彼らも同じように神社仏閣めぐりをしてましたし、ご両親に感謝をしていました
そんななか、私なりに感じれたことは、西洋のお城も素敵だけれど、日本のお城やお寺はまたとても素晴らしい!!ということ
お寺めぐりも、鎌倉では報国寺、京都では清水寺が、私のお気に入りスポットです
私はMomのようにありたいのです
52歳で命絶え永い眠りについた彼女の失った時間を私が補うことできるのなら…
MomはMom、そして私は私であると割りきりながら、これまで生きてきた節がありながらも、これから私はMomを継ぎ『日本人女性』として生きていこう…
そう心に決めたのです
あとどれくらい日本に滞在しているかはわかりませんが、USへ戻ったとしても日本人女性であることを意識し、堂々主張して生きていくことを決意したのです
たとえ、日本人であるがために理不尽に唾を吐き捨てられたり罵声を浴びせられたとしても、その相手に対して怒りよりも情けや憐れみを向けられるように…
日本を選んだ私のことを、天国のDadは
『なぜだ?なぜれもんはUS市民権を棄てたんだ?』と怒るでしょうか?
そんなことはないと思います
きっと
『偉いぞ!よくぞ決心したな!』と喜んでくれてるはず
先日の父の日を迎えたとき、そう感じれたのです
USで黒髪がトレンドだった頃、私が髪の毛を黒く染めたり黒髪のウィッグを被ってたとき
『日本なんか大キライ!日本人は汚らわしい!来るな!近寄るな!』とブティックの店員に理不尽にも罵られたことが、たった1度ありました
なぜ彼女がそこまで日本や日本人を嫌うのか?かつてなにか苦い経験があったのかもしれませんが、それにしても、ただただとてもやるせなく嫌な気分に陥ったのです
けれど、かつて、こういった経験をしたからこそ、余計に『日本人であり続ける』決意に至れたのも本音であります