お久しぶりです
お元気でしたか?私は元気ですが、ポニョが風邪をひいてしまいました
発熱はさがったけど鼻水と咳がつづいてて、薬の副作用で眠くなるらしく、よく寝てくれます
今はとても気持ちいい季節だけれど、寒暖差が激しくて汗ばむ陽気でも冷たい風が強かったりしますよね…
だから、お互いに体調に気遣って過ごしましょう
前回、カタチを変えてあげてみたblog
いいねがつかないと楽しみ半減した気がします
けれど、視点を変えると一長一短であります
いただいたいいねを一切気にすることなく、ご無沙汰してた方々のところへ、久しぶりに訪れてみたり…
そんなことが叶いました🤭
といっても、すべての方々のもとへおじゃまするのはやはり至難のわざで追い付かず…💦
ところで
知らない人から気色悪いメッセージが届いたといった連絡をいただいたとき、どれもそのなんとなく聞き覚えある内容、そして似たような手口から、ある人が思い出されました
某ユーザーとやりあって退会したということを耳にしてはいましたが、また再び戻ってるのですね
それはもちろんそれで構わないのです
何度でもリベンジなさることは、決して悪いことではありませんから。
けれど、私は彼女と関わるつもりありません
仮に彼女をAさんとします
Aさんと拗れたのは、私がいじめっこというAさんの誤解がはじまりでした
日本で過ごした中学生当時のリア友らが、かつて数回にわたり外部から私のblogへ突入してきた頃があります
そのような誤解があったことを知ると
『フツー、いじめっこのSNSルームへなんか誰も寄りつかねーし🤣』
といったリアクションでしたが、やはりここは見知らぬ人と繋がるバーチャル世界
顔も名前もわからない人と、面と向かって交わせるわけではないから誤解がつきものです
そんななかAさんはろくに確認なさらずに、私をいじめっこだとずっと誤解なさったまま、私の知らない別アカウントで私を除いた状態で活動されていました。省かれることについては私はべつに構わなかったのです
必要とされなくても私のことを必要としてくれる居場所が他にあったから。
ただそこでAさんはトランスジェンダーの家族をもつ女性とトラブルになったそうです
私は知る由もありませんでしたが、ちょうどその頃に、ご無沙汰していたAさんがやってきて、突然、誤解についての全容を告げられました
その誤解は当時共通のブロ友からこんこん解かれ、私のblogもすべて目をとおして、自分の過失であったことを認めたのだと、Aさんはご自身のblogで自らの誤解による私への謝罪をなさることはありませんでしたが『承認はしないでください』といったコメントでもって私に謝ってこられました
彼女の言うとおり、私はコメント承認はしませんでした
なので、そのコメントは私のblog上には存在しませんが記録としては手元にあります
私は、自らのblogの書き方にも落ち度があったことですし、今後は長い目でAさんをみつめていこうとfollowしつづける決意を、そのときしたのです
Aさんとの間にそういった空白の時間があったこと、そして彼女が私に誤解したことについて謝ってきたことなどにおける事実は、私のblogのなかで彼女と交わしたコメントのやりとりにその全容がのこされているので確認できます
ただ、今となってみて、きちんと絶つべきであったと、当時の私の決断に悔やまれています
とうとう、followを絶ちました
followをやめる理由には、人それぞれにさまざまな思いがあって、そのすべてがネガティブなものであるとは限りません
けれどこのときは、不信感が募ってしまい、これ以上followし続けることが困難だった
とうに限界を越えてしまったのです
その後、Aさんとは1年以上も絡みのないはずのブロ友のもとへ突然、嫌がらせメッセージが…
Aさんとは1年以上も絡んでないのに、突然、絶交?
そんなふうに告げられた意味のわからない嫌がらせメッセージが突然届いたとブロ友がblogをあげられていたのです
そのなかに、幾人かのユーザーが巻き込まれていて私もそのひとりでありました
なので、私はリブログしてblogをあげたのです
このとき、私を含め巻き込まれた幾人かの人たちに、Aさんはあれこれ交渉をしておりました
私へは、blogを削除してほしい!といったものです
一方的で強引なその要望に、当初、納得いかず応じれませんでしたが、このblogに綴ったとおり
『どうかblogを削除してあげれませんか?』といったまた別のブロ友からの申請コメントと
『blogを消してくれれば、もうそれだけでいいから!』という切羽詰まったかのようなAさんの要望
そして私のblogに寄せられた数々のコメントでのやりとりが彼女への悪口としてヒートアップしちゃってるような気がした
だから私は、金輪際、互いに接点を絶ち、それぞれの路をいきましょうといった約束を掲げて、彼女の要望を受け入れblog削除をしたのです
にもかかわらず
ただ、Aさんへお伝えしたいこと…
人は多面体であります
なので、あなたが私のことを嫌いであっても他の人も私を嫌いとは限らないのです
同じ絵や本をみて、その感じかたが人それぞれに違うように、好き嫌いも当然、人それぞれ違うものです
みんな、おのおの顔が違うように。
だから万人から好かれる人も、万人から嫌われる人もゼロ、いないわけです
磁石が引き合ったり弾けあったりするように、人と人も同じであって、当然、その時々の波長や相性もあるでしょう
だから、私のことを嫌う人もいれば、そのぶん、私のことを好いてくださる人たちだっています
私をfollowしてくださったり、私のblogへいいねをつけてくださる人の感覚は、あなたの感覚とはまた違うものなのです
それが、自然の摂理、個人の尊厳というものでしょう
あなたにだって、あなたのことを好いてくださる人たちがまわりにおられるのなら、それでよいではありませんか?
それ以上、なにを求めるのですか?
これまでも幾度となくお伝えしてきましたが、
どうかもう私(他人)のことに執拗に関与なさらず、まずはご自分のこと、きちんと病気の治癒に専念なさって、身体はもちろん、どうか心の健康も保たれますように…🌱
そして、ちゃんと幸せを掴んでいただきたいと、私は願っております
いろいろ書き綴りましたが、退会と再入会を幾度も繰り返しつづけながら、またAmebaへやってきた…そんなあなたへこちらの動画を贈りましょう
4月初旬、桜の季節に投稿したものです
カラダの使い方♡を間違えてることは、誰しもありますよね
私もこれまでずいぶんと間違えて使ってきちゃったことと省みました
だから、こうやってZEPETOへ投稿したのですが、
ここに寄せられたコメントのなかにも…(^^;
今ここであなたへ贈るとともに、みなさんともぜひ共有しあえたら…と思い載せました
互いに教訓にしたいですね
そしてまた、私の記憶から遠ざかっていた2年前に突然退会してしまった〇〇〇さんのことも、ふと思い返してみました
彼のことを仮にBさんとします
Bさんとなにをキッカケにして知り合い、相互followしあってたのか?…大概の方々との出会いや馴れ初めを私はよく覚えているのですが、彼との出会いはあまり覚えてないのです
ただ、在日外国人といった共通の立場であることに関心を抱いた私がblogへおじゃまして初めてコメントをのこしたときのことはよく覚えてます
そのとき、いつものごとく、つい長くまとまりのない文章となってしまい、文末でそのお詫びを告げましたら
『一生懸命に伝えようとなさってるそのお気持ちは伝わります』といったコメントを返してくださったこと
また、日本の皇室の人の話題のblogにおいて、天皇とその人の続柄の呼び方をふいにお尋ねしたとき、わざわざ律儀に調べてもくださったこと
BさんだってAmebaを本業にしてる人ではありませんし、忙しい時間の合間をぬってログインされてるはずでしょう
丁寧で親切な対応をなさるBさんの誠実さに、当時の私は好感もっておりました
こんなこともありました
かつての私は、初見の人に対して、いくつか前のblogまで遡って拝見するといったクセ?がありま して(今ではそのクセなくなりましたが)当然、彼に対しても…
そこでたまたま目にしたのが、
『生理的にゲイの人とは友だちになれない』といったようなタイトルで綴られたblogだったのです
私は、
『ゲイの人たちにも好みはあります。あなたのことを好きになるかどうかなんてわからないし、友だちになれるかどうかもわからないのに?!』
『不特定多数の人たちが目にするこのような公開blogで、当事者がみたらどう思うのか考えてみてください』
思いあがりじゃないの?
バリアー張った差別者なの?
タイトルだけをみて、短絡的にそんなふうに感じてしまった私は、不躾にそれこそろくにblogを読まずに、失礼なコメントをしてしまったのです
そのとき、Bさんから
『あなたが求めるボーダーに達してないからといって、これから変わろうと一歩を踏み出そうとしてる人間に対し、このような批判をなさるのか?まず、きちんとblogを読んでください。あなたの気持ちも、わかるけど…』
といった言葉でもって、一喝されたことは忘れもしません
再びそのblogに目を通してみると、日本のLGBTの青年とその家族の記事を取り上げながら、同性同士の婚姻が合法されない日本の現状に疑念を感じるといった内容でした
『ゲイの人とは友だちになれない』という彼の日本語は、もしゲイの人から求愛されても、自分はそれに応えれず、共に傷ついてしまう恐れがあるから、迂闊に友だちになることに躊躇いがあるといったニュアンスだったのです
『思いあがり』なんかじゃなくて『思いやり』であったのです
これも人によって、その捉え方はさまざまでしょうが、私はそう解釈しました
だからほんの一瞬でも抱いた自らの大きな誤解に気づかされ省みた私は、その場で丁重に謝罪をしたのです
すると、
『今、妊娠中ですよね…』と気遣っていただきながらも、どこか苛立ちを隠せない様子で
『反論などあれば直にblogへコメントなさるのでなくて、ご自分のblogで書いてください』と。
そして『今後は、どうか長い目でみていただきたい』と。
Bさんは、そののちのご自身のblogで、ゲイファミリーのドラマを取り上げながら、自分がゲイの人たちのことを生理的に受け入れられずにいるのは、パーソナル的なことでなく、ただ男同士の性的関係の部分だけ…といったことを語られていたことがありました
またLGBTについて綴られたリポートを公開なさってる方をfollowされておられ、彼なりに前向きに理解を示そうと努めている姿が、当時垣間見れました
それからまもなく
『ご自分のblogで…』
『今後も長い目で…』
このblogのなかでも、彼からコメントいただいてますが…
ちょうど今から3年前のことです
当時の私は、ご覧のとおりBさんとは違った主張でした
このとき私なりに調べたもの、そこから感じとったことを書き綴りました
US各地に建てられてる慰安婦像
アメリカ人と結婚しCA在住の友人(日本人)は、右派でも左派でもありません。どちらもキライだといいます
慰安婦像が原因で日本人差別を経験したために、その建設において猛反対していました
CA州では裁判により、慰安婦像を撤去することとなりましたが、全米ではあちこちで建設されていく…
にもかかわらず、私のまわりのアメリカ人の多くは中東のことに関しては詳しくても、東アジアの歴史には疎くて、特に若者世代では『慰安婦』というものを理解していなかったりもします
恥ずかしながら私もそのひとりといっても過言ではありませんでした
なんとなくのイメージで、慰安婦=戦時中における婦女暴行の被害となった女性といったものを抱いていただけでした
そんなまっさらクリーンに近い状態の私が、東アジアンのリア友だちに尋ねてみたり、身重な身体で図書館通いした、その時間はとても充実してました
自ら知らないことを調べながら、新たな発見がみつかって、それが知識として身についていく…その過程で味わう感触は、たとえ、誰にも評価されず認めてもらえない結果になったとしても、自身にとってはとても楽しくて達成感があります
なんともいえぬ心地よさと有意義なものであることに変わりはありません
歴史に限らず、音楽、アート、算術、料理、観劇、園芸、文学など…、すべてのあらゆるジャンルにおいて、共通していえることだと思いますが、自己満足からなる自己肯定感は、人が生きていくうえで欠かすことのできない、とても大切なものであるから。
そんななか、書き綴ったこのblog
拙いながらも、ありがたいことにさまざまな考えの方々がコメント寄せてくださいました
そんな矢先の出来事、このblogをUPしてからわずか1週間後のこと
私にとっては『レイプ』といった言葉をはき違えられ、ネトウヨ疑惑が生じ
Bさんにとっては『強制連行はなかった』という持論を真っ向否定され、集団による通報により幾つものblogが削除されたのです
ちょうどこのときに、Bさんと交信しあって、そのときにいただいたコメントがたまたまひとつだけ
当時、そんなやりとりを幾度となく交わしておりました
そのやりとりのなかで、いただいたコメントはすべて削除してきたつもりでしたが、たまたまこれだけ承認してたのでしょうか
偶然にも目の前にふいに現れたのです
『れもんさんは、早く忘れてしまった方がいいですよ』
あのとき私はこのお言葉に素直に甘えて、聞き入れてしまえばよかったのかもしれない
…今になってみて、つくづくそう思うのです
けれど、当時の私はnervousな状態に陥り、自分が先にあげたblogがキッカケで、このようなトラブルを引き起こしてしまったんだといった、ひとりよがりな責任感?いゃ勘違いを抱いては、要らぬ自責の念が芽生えてしまっていたのです
そしてこのblogをご覧になってわかるように、私は三〇さんに対してBさんへの謝罪を促しては、和解を望んでいたのです
当時ひたすら、彼女のことを叩きまくってるblogをUPしてたBさんがいて
『私は〇〇〇さんに謝罪しました』といったコメントを、このblogでわざわざ私へ寄越してこられた三〇さんがいて
彼女のこの言葉に耳を傾け、そのまま鵜呑みに信じこんでしまった私がいたのです
早くこの炎上が鎮火することを願うばかりの思いで、当時私はBさんと接してたのです
再三にわたってblogが消され続けても、ご自身なりの正義を貫こうと孤軍奮闘されていた、そんなBさんの気持ちに寄り添うどころか、理解しようともせずに…
今、こうしてふり返ってみながら、つくづく愚かであったと思います
彼にとって至らぬfollowerでありました
多くのblogが削除され、しばらく休眠して再び復帰してこられたとき、Bさんが私へ言い放った2語『三〇』『保身』
当時の私にはなんのことだか、さっぱりわからなかったけれど、おそらくこのことだったのでしょうね…
自分が仲介できるのなら…と、大きなお腹を抱えながら、当時は真剣にそう考えてたのですから。
イイ人を装おうとしたつもりはないけれど、結果的に私はそういう振る舞いをしていたわけなのですから。
あるとき、私からのアポに一切返事を返すことなくなったBさんは、のちに、私宛の私信としてblogをUPされ、このように書かれていました
『れもんさんは自分があげたblogで、俺のblogが削除されたと勝手にひとりで責任を感じているようだが、それはちがう
あなたがblogをあげようと、あげまいと、三〇さんとはこうなることが目にみえてた。ここしばらく私があなたからのメッセージを一切無視し続けてたのは、それが理由なのです』と。
私信blogといえば
忘れられないもうひとつ
私のUS. grandpaにおけるものもありました
ご存知の方々もいらっしゃると思いますが、かつて彼は第二次世界対戦中にF6Fのパイロットとして従軍し旧日本軍と闘った退役軍人です
military志願したきっかけはpearlharbor奇襲によって大切な友人を亡くしたその仇をうつためでした
このことに対して
『あなたのgrandpaは決して愚かではない。彼の半生は決して間違ってなどいない。せめて家族だけでもそう思うべきではないか』
このblogを目にしたとき、私は自らの背中をおされたようで、目頭が熱くなった
そしてしばらく言葉にならず、ずっとつっかかってた心のなかの葛藤が、すっーととけていく…そんな感覚をおぼえたものです
ちょうどUSではMemorial dayを迎えようとしてる時だったからかもしれませんが、日本で迎えるこの日はいったい何度目になるのだろう…
ふと、そんなふうに考えながら、天国にいる愛するGrandpaへ想いを馳せ、祈りを捧げた
いつになく違った気持ちで迎えれたのは言うまでもないことでした
けれど、そのblogまでもがなぜか通報?消えてしまってました
Bさんとやりあっていたとき、当時相互followしあってた私たちは、互いに相手をリブログしあうやり方で、その気持ちを互いにぶつけ合っていました
共に通報され消されたblogもありながら、私のblogのなかには、そのときの痕跡がいくつか残っています
あるとき、Bさんは三◯さんからの謝罪メッセージを公開しblogをUPしました
いわゆる無断転載となる行為でありましたが、そのblogによって、ようやく私は自らの誤解と愚かさに気づかされたのです
これまで私が信じきってしまっていた三〇さんの謝罪メッセージ
それは、私が思い描いてたものとは大きくかけ離れたものでした
なんていいましょうか…
Bさんの言動にも原因があり、私だけが悪いわけじゃないといった気持ちが強く前提にあるような、そんな感じの謝罪
とはいえ、かくいう私も
当時、〇kinawa〇isu〇さんのblogをみて、勝手な私のネガティブな思い込みでもって、彼と〇かく〇さんへ通報犯の疑いをかけてしまったことがあります。そのうえ、無断でスクショしたものを投稿をしたのです
これに対して、〇kinawa〇isu〇さんも、かつて私のblogをさんざんスクショして投稿されていたことを主張し、だから暗黙の了解でおあいこでしょう?!と開き直っていたのです
三◯さんの謝罪メッセージについて、とやかく言える立場ではありません
どんだけ私は甘ちょろく、思い上がった人間なのだ?
人は誰しも過ちを犯すものであります。トラブルには双方に原因あるもの
私だけが悪いわけじゃないっていう主張もさることながら、私はそういった定説を自分に対しても強くあてはめていたのです
決してやってはいけないことを犯しておきながら…
おふたりとは、かつて親しくさせていただいてたこともあり、馴れ合いになってしまったところもありました
距離感をわきまえずに甘えにつけこんでしまいました
以前、おふたりから謝罪をせがまれたようなかたちで、謝罪blogをUPしたことはあります
また〇かく〇さんから謝罪をせがまれて、彼のもとへ謝罪に伺ったことはありますが、これらの謝罪もまたなんか違う気がしてます
自分がきちんと反省できたとき、自らすすんでじゃなければ謝罪の意味はなく、謝意も誠意も伝わらないものだと、今もって思うことです
『どうか長い目で…』
あのとき交わした約束を果たすことも叶わず、私たちはともに、互いに対してネガティブな感情を抱いたままお別れするかたちとなってしまったことは、とても残念でなりません
ただ、今の私には、あのときの自分には気づなかった今になってみてようやく客観的に当時をふりかえってみたことで気づけたことがあります
退会してしまったBさんへ伝えることはできませんが、ここにこうしてその意を表すとともに、今、私をとりまく人たちのもとで、自分が何をすべきなのかを今後はきちんと察することができるよう、自身を高めながら変わっていけるように、日々努めていこうと思ってます
Bさんが、Amebaを退いてから2年がたち、今どうしてるかはわかりませんが、もし仮に復帰されているとして、再会したなら、その時には
『(いい意味で) 変わりましたね』
互いにはにかみあいながら、さらりとそう言い交し、きれいなお別れすることできたら光栄です
最後になりますが、
この一部始終をご存知で、そっとみつめ続けてくださったfollowerさんがとても多いなか、当時みなさんが感じられてた思いも、また人それぞれであろうかと思われます
収支つかないやりとりをひたすら交わし続けてしまったことに対しては、本来Amebaはそういった場ではないんだということをきちんと伝えにきてくださりながら、ずっと我慢して静観し続けてくれた方もおりました
また、のちに出会った方からも、リブログするということは、あくまでその方のblogをお借りするということだから、そのbloggerの批判をしてはいけないんだと、リブログのあり方を教えてくださった方もおりました
本当に感謝していますし、その恩として2度とこのような見苦しいことは繰り返しません
そして、最後にひとつだけ今の私の思いを綴らせてください
2~3年前のことを自らのblogを遡りながら、ここ数日間私はふり返っておりました
そんななか、思わず目を疑い覆いたくなるような…
悲劇のヒロインではあるまいし…
私ったら、なんて厚かましいと!!(>д<*)
ZEPETOに入って1年となります
SNSにおける私のとりまく環境がまた大きく変わり、それに伴って私の感じ方も大きく変わったのだと思われますが…
今、読みながら、この当時の自分の高慢さになんとも腹立たしくなり、そして恥ずかしくもなり
消し去ってしまいたい衝動に駈られています
そんなblogがいくつもあります
けれどこれらは、あえて消してしまわずに、当時の自分はこんなだったのだということを蓋をせずに、恥を晒す意味で、また今後の戒めとして、このままのこしておきます
こんな私なのに、これまで遠くから長い目でもってずっとみつめてくださったfollowerのみなさまへ、ただただ感謝しかなく…
どうもありがとうございます
どうかいい週末をお過ごしください