ここだけの話。
自分の性格の嫌な部分を周りの人に見せれなくて言えないから、
ここだけで吐きだすぞ ”パート6” (特に過去の吐きだしに番号振ってません)
しょーがないねんけど。
当たり前やねんけど。
わかってるねんけど。
寂しいって話です。
母が亡くなる前後は、従姉妹(従兄弟)のおねーさん、おにーさん達は、
すごくすごく心配して、度々連絡をくれ、色々助けてくれた。
四十九日がやってくる頃には、もちろんですが、連絡はほぼ無くなっていたのと、
私も自分から、よー言わんので、家で四十九日の法事をしたけど、
私一人でする事に。(その後急遽友人が一人来てくれた)
そして父の時。。。。。。
そりゃそーやねん。
当たり前の事やねんけど、母との落差が激し過ぎて、なんか父が可哀想に。
母に苦労をかけてきた父って事もあるし、皆とは血も繋がってないし、幼少時代に一緒に育ってきた母とは違って思い入れも無いのは当然。
それどころか、お通夜に来てくれただけでも、ありがとう。 なんやけど・・・・
お見舞いも一度来てくれたしね
従兄弟のおにーさんが、母が亡くなった時に、位牌を作ってくれた。
頼んではいないんやけど、すごく積極的に連絡をくれ作ってくれた。
でもやっぱり、父の時は・・・・
わかってるよ。わかってるねんで。
これが、母の死から父の死が1年、2年以上空いてたら、何も思わんと思うねん。
だけど、約5カ月前の母の時はそーやったけど、やっぱり父の時はね・・・・違うんか・・・・って。
父が可哀想になってしまった。
そもそも、うちの家は、浄土真宗大谷派で、位牌は要らないらしい。
過去帳がその代わりらしい。
お仏壇も小さいのを買ったので、あまり置けない。
でも、母には立派な位牌があるので、父にも母と同じ形の位牌を作った。
お仏壇、ぎゅうぎゅうになるな・・・・
お通夜、葬儀も、父方の親族は居ないのと、友人も居ないので、
母の時より予算も押え、縮小はした。
でも、打合せ段階で、あまりにも落差があるのはやっぱり心苦しく、
縮小はしたけど、お花は飾ってあげたいなとか、
お湯かんの儀式はしてあげたいなとか。
でも、母の時とは違い、お通夜の直前まで、独りっきりだったんで、
かなり寂しく心細かった。
幸い、少し前に母で経験をしているから、だいたい解っているのでなんとかなったけど、
やっぱり、独りで喪主をし、ちゃんと式をするのは大変やった。
ただ。
良かったのが、
実家の同じ団地に住んでいる、父と同僚だった人(もう亡くなられてる)の奥さんが、
お通夜にも葬儀にも来てくれた。
ありがとう。おばちゃん。
友達も居なくて、煙たがられていた父やけど、そのおばちゃんは、
『にょろちゃんのおとーさんは、うちのおとーさんと違って、ほんまにお洒落で、いっつもおとーさんに、”にょろ父さんみたいにシャキッとした格好してよー” ってよく言っててんでー。』
っと。
そして、そのおばちゃんの、私も昔仲良くしていた娘さんも、お通夜に来てくれた。
私ですら40年以上会ってなかったぐらいなのに、
わざわざ、父の最期にお別れに来てくれて、良かった。
あと、実家の近所の母のお友達のおばちゃんも。
葬儀は、少人数でひっそりやったので、母の時とは大違いやったけど、
想像をしていたよりも、何人かの人にちゃんと見送ってもらえて、良かった。
話は戻るけど、
母が居なくなってしまって、これからも、従姉妹の人達とも、
母のお友達のおばちゃん達とも、疎遠になっていくんやろな。。。。って実感する。
”太陽” であった母の元へ集まってきてくれていた人達が、
私の目の前からも消えていくのかな。。。。。って。
母の友人のおばちゃん達は、高齢なので、私からも度々連絡したいなとは思っている。
あと、どれぐらい会えるか。
でも、正直、従姉妹の人達には、私からはなんだか連絡し辛い。
何かを催促しているみたいで・・・頼っているみたいで。
母の死は、母が居なくなる事だけでなく、
母に集まってきてくれてた人達まで私の傍から居なくなるって事なんやなって。
改めて、友達ってほんとに大切やな。
自分から頼ったり甘えたりができない私は、きっとこれからも寂しい時間やタイミングが多々あるんだろう。
でも、それの半分でも、1/5でも、友人達が気にかけてくれている事に今は感謝です。