過去の悲劇を知らないと、これからの悲劇を食い止められない。 | 植松努のブログ

植松努のブログ

講演でしゃべりきれないことを書きます。

お盆に放送されていた、戦艦大和に関するドキュメンタリーを見てました。

 

その中で、海軍生活のあまりの理不尽な厳しさに耐えきれなくなってしまった

若い水兵が、軍艦から飛び降りて死んでしまった、という話がありました。

それだけでも十分に悲劇なのですが、

もっと悲しかったのは、その話をしてくれた元水兵のおじいちゃんが、

「逃げ出して自殺なんて、よほどのことだったんだろう。なにせ、それは、敵前逃亡と同じだ。そんな死亡報告が親元に届いたら、親は近所から何を言われるかわからない。きっとひどい目にあわされる。村に住めなくなる。だから、自分ならそんなことはとてもできない。」

と言っていたことです。

また、若い下士官と、新婚の奥さんのお話もありました。

とても仲良しの夫婦でしたが、御主人は大和に乗り込み、戦死してしまいます。

その最後の様子を、おしえてくれた人がいたそうです。

その人は、御主人の部下だったそうです。

大和が沈むとき、その部下の人は、おぼれそうになり、「助けてくれ!」と叫んだそうです。

そのとき、御主人があらわれて、はげましてくれて、浮きとなる木材を引っ張ってきてくれて、

「お前はまだ若いのだから、これからがあるから頑張れ」と励ましてくれたそうです。

やがて、遭難者を救助する船がやってきて、部下の人は、御主人にささえられて、

無事に救助船に乗ったそうですが、それを見届けた御主人は、「では!」と言って、

大和が沈んだ方に向かって泳いで行ってしまったそうです。

その話を聞いた奥さんは、御主人の行動を「自分勝手だ」と怒っているように見えましたが、

僕は、御主人はきっと、奥さんのことを思ったのかもしれない、と思いました。
敗軍の士官が、大勢がなくなってるのに、おめおめと生きて帰ったら、

それこそ、近所や世間から何を言われるかわからない。そんな悲しい思いを

奥さんにさせまいとして、死を選んだのかもしれない・・・。

死よりもきつい、近所の目。陰口。仲間はずれ。

 

それは、いまの日本でも、思いっきりあるなあ・・・と思います。

他の国も、そうなのかなあ・・・。

その根源にあるのは、「個人が個人を私的に裁き、私的に罰を与える」ことだと思います。
本当は、そんなことをしてはなりません。
そのために、司法は分立されています。
でも、実際にはそれが行われています。

その原因は、

「教育としてなら、犯罪行為である暴力や人権侵害が容認される」という考え方だと思います。
そしてそれを、僕たちは、「教育」されています。

もうそろそろ、人を尊重することを教育すべきだと思います。

そのためには、軍隊式の管理型教育システムを見直さなければいけません。


僕も、来年からの専門学校の授業で、そこに取り組みます。

また、長沼で進行中の新しい学校でも、その取り組みが行われると思います。

 

戦争中の悲劇の多くが、現在も起こりえることです。起きてることです。

その恐ろしさを知るためにも、戦争中の悲劇について、

もっと学んだ方がいいと思います。

ひめゆりの塔の記念館も、広島の原爆の資料の施設もリニューアルされたそうです。
ぜひ、学んで欲しいと思います。