幸せに生きないと。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

今日も、模擬授業。
いま、来年からの専門学校の授業のために、
会社のみんなで模擬授業という実験をしています。

 

午前中は、生徒向けではなく、伝える側向けとして、

以前放送された、アナザーストーリーという番組の「ゆとり教育」を見てもらい、

みんなにディスカッションしてもらいました。

 

午後は、別な子が、物理についての模擬授業にチャレンジです。

 

 

午前の番組を見ていて、なんとなく感じたのは、

「教える」は「学び」とイコールではないなあ、ということです。

ですから、「教える」×「時間」=生徒が学んだ量 には、ならないように思います。

 

僕を振り返ってみると、

「教えられたこと」は、ほぼ全て記憶から消えています。

僕を構成しているのは、興味を感じて、自ら学んだことです。

 

たとえば、中学生の頃の社会の先生はとても面白かったです。

その先生の授業は大好きでした。

そのころに、先生が教えてくれた授業の内容を直接はおぼえていません。

でも、その頃に、その先生を喜ばせたくて、自分で調べておぼえたことは、忘れません。

 

いかにして、「学ぶ」を活性化させるのか。

それこそが、「教育」の最も重要なことではないかと思いました。

 

そしてきっと、それは、自分自身を写すのだと思います。

中学の社会の先生は、海外旅行が好きでした。

旅行してきた時の様子を、スライドで見せてくれたりします。

それを、社会の授業と組み合わせています。

そのときに、先生が感じたことや、知らなくて知ったことの喜びなどを

話してくれるのが、すごく楽しかったです。

だから僕は、社会や、歴史が好きになったのかもしれません。
おかげで僕は、今でも、社会学や地政学や歴史が好きです。学んでいます。

 

だから、僕らがいかにして楽しく学ぶのか。が、

教える、という作業に不可欠なのだと思います。
「ヘウレーカ!」の喜びを、自分が感じれば、生徒も感じるのかもしれません。

ロケットや、マグネットのことを考えたり、研究したりしてるときも、

間違いなく頭はすごく動いています。

しかし、やったことがない「教育」を考えていると、

今まで使っていなかった部分がぐりぐり動いているのを感じます。

ものすごい脳が疲れます。

でもこれって、間違いなく「ただいま成長中!」だな、と思います。

午前の仕上げは、マイケル・ムーア監督の、

世界侵略のススメ、のフィンランドの部分だけ見てもらいました。

見ていて、泣けてきます。

 

学校って、生徒が幸せになる方法を学ぶ場所。

生徒の幸せな人生を送ることを願っている先生。

 

さて、僕ら大人は、幸せな人生を送っているでしょうか。

そうでなければ、子ども達に幸せな人生を伝える事は、不可能かもしれません。

 

だから、大人はがんばって幸せにならないとね。