人間には、無限の可能性がある!
という言葉は、わりとよく耳にします。
で、これは本当です。
人が、直に奇跡を起こす可能性は、あります。
でも、もっと大きな奇跡の可能性があります。
それが、「影響」です。
自分という存在が、自分の知らない間に、誰かの人生に影響を与えています。
そして、その「誰か」が奇跡を起こす可能性があります。
その奇跡は、「自分」がいなければ発生しません。
また、
自分という存在が、誰かと仲良くなって、誰かと誰かを引き合わせて、
その結果、その誰かと誰かが奇跡を起こす可能性があります。
その奇跡も、「自分」がいなければ発生しません。
自分のあずかり知らないところで起きる奇跡が、自分がいないと発生しない奇跡です。
ですから、
自分の能力の範囲だけで奇跡を起こせるかどうかなんて、判断する必要はありません。
自分が存在する、ということが、奇跡の可能性を持っているということです。
だからこそ、
全ての人の命は大切です。
奇跡を起こす可能性を持っているからです。
その可能性を失うのは、人類レベルの損失です。
だから、人を殺してはいけません。
僕は、小学生の頃、学校の先生に嫌われていたと思います。
ある日、先生がうちに来ました。
全ての人の命は大切です。
奇跡を起こす可能性を持っているからです。
その可能性を失うのは、人類レベルの損失です。
だから、人を殺してはいけません。
僕は、小学生の頃、学校の先生に嫌われていたと思います。
ある日、先生がうちに来ました。
先生は、母さんと話をしています。
母さんは泣いています。
先生の声は大きいから、怒鳴ってるから、僕にも聞こえます。
「あの子はおかしいから迷惑だ!」
そうか。僕がおかしいから、母さんが怒られるんだ。母さんが泣くんだ。
と思ったけど、僕にはもう、どうすることもできません。
「なんで生まれてきちゃったんだろう」「はやく消えてしまいたい」と、
泣くしかなかったです。
そんな僕が、今では会社を経営しています。
小学生の僕は、自分が将来、こうなるなんて思っていませんでした。
自分はおかしい人間だ、だめな人間だ、迷惑なんだ、としか思っていませんでした。
そして、僕の小学校の担任の先生も、僕が将来、こうなるなんて思っていないでしょう。
僕は、その先生にとって、迷惑な存在だったのです。
だれにも、未来はわかりません。
で、わからないからこそ、未来をあきらめる理由がありません。
自分の人生は、所詮こんなもんだ・・・なんて、思う必要はありません。
だって、明日奇跡の出会いが待っているかもしれないのです。
人生なんて、なんぼでも変わってしまいます。
だから、本当にお願いだから、
成績なんかで、自分の人生をあきらめないで欲しいです。
学校の評価なんかで、自分の存在価値を決めないで欲しいです。
最後にものを言うのは、成績でも学歴でもお金でもありません。
人間性です。
人間性です。
優しさです。
ということで、全ての人には、ものすごい可能性があります。
だれかに「お前なんて」と言われても、
ということで、全ての人には、ものすごい可能性があります。
だれかに「お前なんて」と言われても、
「自分なんて」と思う必要は全くありません。
昨日よりも、ちょっと優しい自分を目指して行けばいいだけです。