人間らしい子達と関わると、ほっとします。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

今日の赤平は、久々の雪でした。
おだやかないい天気。

今日は、姫路の工業高校の子達が来てくれました。約250人。

 

いつも、学校の修学旅行を引き受けるときは不安です。

なにが不安かって・・・

それは、生徒の様子です。

すくなからずの学校の子達が、自尊心を失い、自暴自棄になっています。

自分なんて勉強したってムダだから。となってしまった子達は、

学ぼうとしませんから、大変な人生を送ることになってしまいます。

そして、とても残念な事に、「学びたくない生徒」を生み出す原因の1つが、

学校や、進路指導にあったりします。

 

今日の子達は、朗らかで、穏やかで、元気な子達です。

姿勢もよく、声がしっかりしています。

行動も機敏です。

おそらく、かなり厳しい指導をされているのだと思いますが、

それでも、あの朗らかさを維持できていると言うことは、

指導の仕方が考慮されているのだろうと思いました。

 

理不尽な厳しい指導をすると、

子どもにできる唯一の反抗は「だらだら行動する」です。

だから、なおさら先生がピリピリします。

そして、生徒はなおさらだらだらします。

そこに陥っている学校は、沢山見てきました。

そういう先生は、DJポリスの話を聞いたことがないのかも知れません。

 

気温はマイナス7度くらい。彼らにとっては、かなり寒かったと思います。

でも、ロケットが飛んでいるときは、みんな嬉しそう。

雪にダイブする子もいました。雪だらけになって、笑顔です。

寒い寒いいいながらも、楽しんでくれたのだと思います。

 

こういう、人間らしい子達に出会えると、ほっとします。嬉しくなります。

でも、時には、自尊心を失い、自暴自棄になってしまった子達にも出会います。

本当は輝くはずだった人達の輝きを奪うような教育環境に、本当にがっかりします。

(教育環境としては、保護者の性質や、その保護者の務める企業の体質や、地域の気風などもすごく影響します。でも、それらの影響から子どもを守れるのは、学校教育です。)

 

このような差は、なぜ生じるのか?

それは、教育の目的を間違えているからだと思います。

手段の目的化というやつです。

 

先日お伺いした麹町中学校の校長室には、

がっちりと、校訓と、教育目標と、目指す生徒像と、目指す教師像が掲げられていました。

 

教育目標は

「人間尊重と相互信頼を基盤として、

平和で民主的な国家及び社会の形成者を育成することを目指し、次の目標を掲げる」

自律(自ら考え、判断し、行動する)

尊重(違いを理解し、他者を尊重する)

創造(豊かな発想をもち、創意工夫する)

でした。


実はこれは、教育基本法の最初に明記されていることです。

国費を投じる義務教育は、平和で民主的な国家の形成者を育成するためのものです。

義務教育は、中学受験や、高校受験の予備校ではありません。

本当は、中学を卒業した段階で、社会人として働けるだけの資質を備えていなければいけません。

もしも、それが達成できていないのならば、それは、義務教育が義務を果たしていないことになります。
 
そういう学校を創り出すのは、保護者のエゴかもしれません。
とにかく受験対策をしてくれ。少しでもいい学校に入れるようにしてくれ。
子どもが遊んでしまわないように厳しくしてくれ。宿題も沢山出してくれ。
放っておいたらなにもしないから、可能な限り命令してくれ。
なんて、平気で言う保護者がいます。
 
なんでそこまでして受験や成績にこだわるの?
身の回りを見てごらんよ。
高学歴でも破綻してる人たくさんいるでしょう。
自分よりいい学校にいかせたら、自分よりいい暮らしができるとでも思ってるの?
そうやって追い込んだ結果、心が壊れてしまう子がどれだけいることか知ってるの?
なんで日本の若者の自殺率が世界一なのか、考えたことあるの?
当事者にならない限り、わからないのかな?
 
強制されないと勉強できない子は、将来、ロボットに確実に負けます。
我が子を、ロボットに負ける子にしてくれ、とお願いしているようなものです。
重要なのは、強制されなくても学んでしまう性質です。
学ぶことの喜びを知っている事です。
それは、まさに義務教育の時に身に付くものです。
自分の好きなことや、興味を持ったこと、趣味などについて学んでいるうちに、
難しい本を読めるようになったり、時には、英語の本を読みたいという気持ちもうまれて、
その結果として、学校の勉強も好きになる、というように発展していきます。
しかし、小学生の頃から、好きなことを「知りたい」「やってみたい」という心を禁じられて、ひたすら受験対策をしてしまうと悲劇です。
なんたって、受験対策の勉強は、学問とは言えないからです。
受験対策の勉強は、勉強を嫌いにしてしまう可能性が高いです。
それだもん、強制されないと学べない人が育ってしまいます。
昔は、ロボットがいなかったから、それでも大丈夫だったけど、
これからは、それは致命的です。
 
大人の意識を変えないと、学校は変わらないのかな。
だとしたら、その責任は企業にあります。
企業は、最終教育機関です。
企業で働く人達の気質やモラルに強い影響を持ちます。
企業が旧態依然の価値感で会社を経営していると、
そこで働く人達も、同じように旧態依然になります。
残念ながら、いまだに昭和の価値感の企業は少なくないです。
なぜなら、昭和の教育を受けた人が経営者だからです。
 
この状況を打破できるのは、企業の経営者が学ぶことです。
でも、「勉強会に行って、儲かるの?金くれるの?そんなことしてるヒマがあったら、
働いた方がいいわ。」という経営者は、学びませんから、
旧態依然のまんまです。
それは、主体的に学ぶことの喜びを知らないからです。
 
日本は、人口増加しか経験していません。
特に、明治維新の後の150年間は、異常な人口増加を経験してきました。
そのため、日本はものすごい経済発展を遂げ、
その環境下での企業経営は、とっても楽ちんでした。
でもそれは、もう終わってしまったのです。
いまこそ、企業の経営者から率先して、過去の常識と相反する新しい学びが必要です。
 
僕が所属している中小企業家同友会の空知中央地区会の例会は、いつもかなり変です。
なぜならば、「やったことがないことをやると成長できる」だからです。
本業とかけ離れた体験をすることから、学ぶのです。
ぱっとみ、遊んでるだけに見えると思います。僕らも楽しみます。
しかし、空知中央のメンバーは、とても個性的で、それぞれが会社経営でも
ものすごく挑戦的です。
学ぶというのは、先生の難しい話を、しかめっ面して、我慢しながら聞くものではありません。
暗記の量と正確さを競うものでもありません。
本当の学びとは、「知りたい」「やってみたい」の先にあると思います。
それは、大人も子どももかわりません。
お願いだから、「知りたい」「やってみたい」を奪い取らないで欲しいです。

 

今日の子達は、札幌に宿泊だそうです。

わざわざ赤平まで来てくれて・・・。本当にありがたいし、申し訳ないです。

おいしいもの食べれるかな。暖かいお風呂に入れるかな。

風邪引かないといいな。


日本中で出会う素晴らしい子達と、あと5年、10年もしたら、

僕は、同じ社会人として、ともに働くことができる可能性があります。

僕は、その日をとても楽しみにしています。

人生は、面白いよ。

仕事も、本当に面白いよ。

人生は、捨てたもんじゃないよ。

はやく、社会に出てきてください。一緒にがんばろう!