新しい年がはじまりました。 | 植松努のブログ

植松努のブログ

講演でしゃべりきれないことを書きます。

新年あけましておめでとうございます。

 

昨年の12月24日にインフルエンザA型を発症し、

そのまんま冬休みになってしまったので、

なんとなく、年越しに不完全燃焼な感じがありますが、

でも、昨日、芸能人格付けチェックを見て、ようやく年を越した感じを実感しています。

 

僕はほとんど民放を見ないのですが、

この番組だけは楽しみです。

Gacktさんの痛快な正解選択とコメントから、学ぶことが多いと思っています。

特に今回は、番組の冒頭に、Gacktさんのインタビューがあったのがよかったです。

 

Gacktさんは、日常的な主体的な学びを、「アップデート」と称していました。

なるほど。たしかに。

でもきっと、ネットから降ってくる「しなければいけない」

パソコンやスマホのアップデートとは異なり、

自分自身が意識的に主体的に学ぶ、というか、知りたい、という気持ちに基づく

もののような気がします。

 

そして、Gacktさんは、「知識と経験は奪われない」とも言っていました。

彼は、いま自分が財産を失っても、知識と経験は奪われないので、

必ず再スタートできる、と力強く言っていました。

まったく同感です。

 
僕は、会社も個人も、社会から「必要だよ」と思われてる限り、
消え去りはしない、と思っています。
そしてそれは、「他社(他者)が持たない能力を持つこと」によって生じると思っています。
それは、「他人がしない学びと経験」によって生じると思っています。
 
それは、お金を払って「教えてもらえる」範囲にはありません。
それは、お金を払って「買える」範囲にもありません。
お金で手に入るものは、知識にしても経験にしても、自分より金持ちに必ず負けるからです。
そして、自分より金持ちは、山ほどいます。
ということは、それは、「負けが確定した勝負」です。
そんな勝負をするのは愚かです。
 
僕は、お金で手に入らないものにこそ価値があると思っています。
たとえば僕は、本が好きです。本から多くを学びます。
そして僕は、その本を、お金で買います。
だからきっと、僕と同じくらいか、それ以上に、僕が選んだ本を読んでいる人は
必ずいます。
しかし、読んで身につけた「さまざまな情報」を元に、どんな行動や思考をするのか、で
差が生じるのだと思います。
僕は、この「行動や思考」こそ、お金で買えないものだと思います。
しかも、この「行動や思考」は、知識や経験によって膨らんでいきます。
「行動と思考」は、あるとないとでは、幾何級数的に差が拡大するのだと思います。
 
年末に、NHKの番組で、レオナルド・ダ・ヴィンチの思考について掘り下げていました。
彼は、様々な分野の興味と関心が複雑に絡み合い、連想し合うような、
ごちゃごちゃした思考をしていたようです。
それを支えたのは、幼少期に貧困から学校に通えず、自然の中で森羅万象に
興味と関心を向けて、勝手に学び続けてきた経験にあるようでした。
なんたって、自然は、様々な現象が絡み合って構成されています。
決して、「国語」「算数」「理科」「社会」などには、別れていません。
 
僕は、現在日本で行われている「一方的に教えてもらう」「科目別」の教育は、
すればするほど、思考力と行動力を失うと思っています。
そして、思考力と行動力を失うと言うことは、他人との差がつきませんから、
「人から必要とされない」ことにつながります。
これは、恐ろしい事です。
 
お金や、学歴や、会社の肩書きや、設備などを失ったとき、
自分にはなにができるのか?
自分は必要とされるのか?
自分は、再スタートできるのか?
を考えて見ることは、とても大事なことだと思います。
 
2020年がはじまります。
植松電機は、今年の8月で、赤平に移転して20年になります。
今一度、ゼロスタートの気持ちで、
思考と行動で頑張って行きます。