やりがいを感じるために。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

先日、講演のあと、質疑応答の時間がありました。

その質問の中で

「やりがいを感じるのはどんなときですか?」と質問されました。

 

うーむ。

やりがい。

 
達成感とか、やり遂げた感とか・・・
それらは、どんなときに感じるのか・・・
 
きっと、困難を乗り越えたときだろうなあ、と思います。
 
たとえば、ビデオゲームのRPG。
最初に出会ったスライムは、けっこう強敵です。苦労します。
それをやっつけたら、コインがもらえたりして、ほっとするし、うれしいです。
 
しかし、まもなく、スライムに出会ってもうれしくなくなります。
もらえるコインも少ないし、時間の無駄に感じます。
 
同じ相手なのに、感じるものが違います。
 
僕は、グランツーリスモという車のゲームが好きです。
でも、僕は、相手と同レベルの車で競って勝ってもうれしくないです。
だからいつも、古い車や、パワーの無い車を選びます。
たとえば、スープラ限定レースがあります。
めっちゃ早いのは、最新型のGRスープラです。
でも僕は、僕の若かりし頃の70スープラで勝負します。
勝てないです。勝てないから、すごく真剣に考えます。
パワーも無いから、パワーロスするような走りをしたら負けます。
でも、ぎりぎり競ってる感じがすごく好きです。
たまに勝ちます。
ものすごくうれしいです。「エイドリアーン!」な感じです。
(はい。ここに登場してきた、70スープラとか、エイドリアンとか、昭和世代にしか通用しないです。)
 
学生さんからの相談のメールの中に、
「自分は理系に進みたいけれど、数学が苦手なんです。どうすればいいですか?」
というのがあります。
(1)数学をあきらめて、理系をあきらめる。
(2)数学をがんばって、苦手を克服して、理系に行く。
(3)数学が苦手でも、理系にいける方法を考える。(推薦とかAOとか)
(4)そもそも、理系の大学に進学する必要があるのか?を考える。
(5)大学をすっとばして、理系の会社に就職する方法を考える。
などなど対策は考えられます。
このなかで、(1)が一番楽です。ありのままの自分でいいです。
(2)以降は、がんばったり、考えたり、けっこう苦労します。
でも、おそらく、(2)以降の場合は、やりがいを感じられると思います。
で、ちなみに、(6)もあります。
(6)数学をがんばらないで、理系を目指し続ける。
これは、一見がんばってるように見えますが、実はがんばっていません。
「僕は、なにもしないことをしているんだ」に近い状態です。
100エーカーの森だと、成り立ちます。
 
僕は、日本にのみ存在する、理系と文系というカテゴライズは、
とてもよくないと思っています。
特によくないのは、苦手からの逃避としての選択です。
自分は、数学が苦手だから文系にしておこう。
自分は、国語が苦手だから理系にしておこう。
だと、おそらく成長できないです。
 
僕は、基本が文系だと思います。でも飛行機やロケットの仕事をしたかったから、
理系を選択した結果、理系と文系が混ざり合って、悪くないかな、と思っています。
僕の好きな仲間も、間違いなく、文系と理系がごっちゃです。
そして彼らは、間違いなく、苦手からの逃避ではなく、
やりたいことに近づくための選択をしています。
 
残念なことに、日本の進路指導の中では、
「とりあえず大学に行ってから、やりたいことを探しなさい」と言ってしまう大人がいます。
きっと、本人もそうしたのか、それとも、そう言われたのか。
でもこれは、かなり危険です。
なぜなら、大学だけにかかわらず、高校以降の自己選択による進学は、
専門性を高めるためのものだからです。
そこでは、選ぼうにも、選択肢は狭まってしまいます。
 
そしてそもそも、進学とは、自分の目的を達成するための手段に過ぎません。
 
でも、こういう指導をされた子は、自分の偏差値の範囲内で、
できるだけ難しい所に入ることを目指してしまいます。
でもそれは、あくまでも、自分の偏差値の範囲内です。
その選択の中には、自分の意志は存在できません。
そこにあるのは、超えられそうなハードルの中で、最も高いハードルを越える、
という意識だけです。
でもこれでは、仮に合格できても、その後が続かないです。
 
重要なのは、「できそうなことをする」ではなく、
「自分のやりたいことの実現に近づく努力」です。
 
「できそうなことをする」は、できなさそうと感じたら、すぐに投げ出せます。
でも、
「自分のやりたいことの実現のため」だと、困難にぶつかっても、がんばれます。
 
そもそも、なんで大学に行かないといけないんだろう・・・・
という疑問を感じているようでは、がんばるのは不可能でしょう。
 
僕は会社の朝礼で、「自分はなんのために仕事をしているのか?をよく考えたらいいよ」という話をしています。
みんな、一生懸命に考えてくれていると思います。
もちろん、すぐに明確な答えが出なかったり、都度答えが違ったりもするでしょう。
でも、考える事に意味があると思います。
 
なんのために生まれて、何をして生きるのか?
なにが君の幸せ?何をしてよろこぶ?
 
これを考えないと、やりがい、は得られないのかもしれません。
 
アンパンマンの歌は、深い。