仕切りたがりの害 | 植松努のブログ

植松努のブログ

講演でしゃべりきれないことを書きます。

最近の若い人が就職を検討する際に、

ものすごく大きな要素は「親がいい意味で知っている会社かどうか?」だそうです。

 

「親がいい意味で知っている会社」だと、問題ないそうです。

「親が知らない会社」だと、反対されるそうです。

しかも、そうやって就職した会社が、自分とまったくあわなくて、
パワハラなどに遭って辛くても、「親を意識してやめられない」というケースが

とても多いそうです。

親が勧めた会社を辞めるなんて言ったら、親に何言われるかわかったモンじゃないから。

そうやって、心が壊れてしまう人が、少なくないです。

 

やったことがないことをやるとき、

「やったことがないんだから、やめておきなさい!」という親がいます。

「はじめてだね!楽しみだね!」という親がいます。

これは、ものすごく大きな差になります。

 

やったことがないことや、しらないことには、不安を感じるのは当然です。

そして、やったことがないことは、たいてい失敗しますし、

しらないことをやっても、やっぱり失敗します。

その失敗を避けるために、やったことがないことや、しらないことを、回避する気持ちは

とてもよくわかります。

 

でもね、そういう人達も、歩いてるじゃん。

 

幼児は、ある程度成長すると、つかまり立ちをはじめます。歩き始めます。

そのときに、「やったことないんだから、やめておきなさい!」という親は少ないです。

もしも転んでも大丈夫なように備えて、歩き始めたことを喜ぶはずです。

 

しかし、なぜ、子どもの年齢が上がると、未知を回避するのか?

 

それは、そう教育されるからです。

 

ロケット教室の時、僕らは、作り方を教えません。

作り始めるときも、「じゃあ、今からいきなりロケット製作スタートです!」です。

そのときに、喜んでロケットの袋を開ける子が沢山の学校もあります。

しかし、ロケットの袋を手に取ることもなく、あたりを見回してる子が多い学校もあります。

その違いは、先生の仕切り方です。

 

とにかく、子ども達に命令し、子ども達の主体的な行動を阻止する学校は、少なくないです。

そういう学校は、まあ、行動が遅いです。

だから、たいていの場合、僕の会社への到着時間も遅れます。

他の学校の子達は、早くに来て待っています。

だのに、バスから降りたら、生徒をまず整列させています。

そして、なにかしゃべってるのですが、それも、生徒が静かになるまで待つから、

ものすごく時間がかかります。

やっとこ建物に入っても、生徒達は入り口で停止します。

なぜなら、どこに座るのかわからないからです。事前に決めて、しおりにも書いてあるのに。

先生が、生徒1人1人に、座る場所を指示しています。

勝手に座ろうとしたら、怒られています。なおさら指示を待ちます。

万事、こんな感じです。

 

万事、指示をされ、指示されていないことをやったら怒られる。

この経験を積み重ねた人は、自分の既知の中で生きるしかありません。

そしてそれは、その子達へと、濃縮連鎖していきます。

 

本当なら、子どもが、自分の知らない会社に就職したい、と「相談してきた」なら、

親がその会社を調べてもいいです。

子どもが見落としている情報があるかもしれないから。

沢山調べた上で、子どもと一緒に話し合って見るのは、とてもいいことだと思います。

しかし、親が、満足に調べもせずに、知らないと言うだけで否定するのは、悲劇です。

 

僕の経験では、ロケットを製作する際に、

全ての手順を指示してやらせた場合と、

助けあって作るんだよ、とやらせた場合では、

製作時間におおよそ2倍の差がつくことを知っています。

もしかしたら、仕切りたがりの先生は、ものすごく非効率な授業をしているのかも。

それで忙しいから、なおさら仕切るのかも。

それは、悪循環です。

 

子ども達から、莫大な感想文が届きますが、

時には、1学年全員が、おなじ文面のこともあります。

「背景、新緑の候、みなさまいかがお過ごしでしょうか・・・」からはじまります。

ものすごく気持ち悪いです。

そこには、子ども達の心なんて、入っていません。

それを僕に送りつけてくるのは、僕に対する挑戦だろうなと思います。

 

卒業式の生徒による挨拶も、先生による強烈な指導によって、

まったく違う文章になってしまう事は、ごく普通にあるそうです。

なんで?なんのため?

 

そういうことをしている先生は、もちろん全員ではありません。

しかし、「ごく希に」というレベルでもないのも確かです。

そういう人達が、今も、「知らないことを否定する」人間を増やしているのかと思うと、

なんとも切ないです。

 

僕は、子ども達にいいます。

「お願いだから、知ることの喜びを奪われないでください。

知るって素晴らしい事です。

だから、いろんなことに疑問を感じたら、調べてください。

そうすると、未来はどんどん広がっていくんです。」

 

知ることの喜びや、未知に挑むことの喜びを奪うような教育は、やめて欲しいです。