幕末っぽい感じ。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

いま、あらためて、小山ゆうさんの、「あずみ」を読んでいます。

 

徳川家康から、次の代に移り変わる頃のお話しです。

 

主人公のあずみは、これから新たな戦が起きないようにと、

幕府の命令で、幕府に仇なす不穏分子を、事前に滅する剣士です。

 

あずみは、この世から戦をなくするため、という命令のもとに人を殺します。

多くの相手から恨まれ、自分の仲間も戦いに巻き込まれます。

そこには、戦をなくするために戦う、という大いなる矛盾があります。あずみは苦しみます。

同時に、あずみの周囲の人達も、剣や戦で身を立てようとする人達が多く、

あずみとは理解し合えません。

 

江戸時代までは、日本には強烈な階級制度がありました。

上位の者は、下位の者に、理不尽な仕打ちをしても許されてしまいます。

そのため、すくなからずの人が、より上位の身分である、武士や侍に憧れます。

武士や侍になるためには、剣術や武功が評価基準ですから、

戦がなければ、武功を上げることができません。

徳川幕府による天下統一のもと、大きな戦がなくなると、剣士は失職します。

そういう人達は、喰えないので、なかには悪事を働くようになる人もいます。

または、いつか大家に召し抱えてもらいたい、と望む人達は、

武功で目立とうと、果たし合いや、決闘に明け暮れ、殺し合います。

 

また、武士の家柄に生まれた子は、武士になることを運命づけられています。

子どもの意志に関係なく、武術の鍛錬が要求されます。

武士になることが、その子の幸せだからです。というか、家の幸せです。

 
階級制度に依存した人は、階級制度の理不尽さを知りつつも、より上位の階級を目指します。
そのために、提示された評価基準をよりよくクリアしようと努力します。

 

しかし、やがて、江戸時代も終わりを迎えます。

剣術も、武功も、評価されなくなります。

侍という階級がなくなります。

あれだけ重要視されたオランダ語も、英語に取って代わられます。

 

それでも、武士という階級制度を維持しようとした人達は、

新政府と戦争を起こし、多くの人が命を落とします。

 

このとき、おそらく、現代の僕らからはちょっと想像もつかないような、

大きな価値感の変化で、苦しんだ人が沢山いたのだろうと思います。

 

で、きっと、いまもそれに近い状態だと思います。

 

僕は今の日本の教育産業は、かなり階級化してしまってると思っています。

より高い収入を目指すなら、高い学歴が必要です。

高い学歴には、予備校などで、ものすごくお金がかかります。

高い収入があると、教育にお金をかけられるから、高い収入になります。

そうではない場合は、そこから抜け出すのが難しいのが現実です。

 

僕の場合は、高い収入と高学歴はイコールではない事を知っているので、

このようなぐるぐるに関わらないですみましたが、

いまだに、このぐるぐるに巻き込まれたままで、

こどもに難関校受験を強いている親は少なくないです。

 

でも、時代は変わっています。

現在の大人が子どもの頃に教えられて信じてきた価値感は、

いまや風前の灯火です。

だのに、そこにすがるのか。それとも、新しい価値感に頭を切り替えるのか。

 

いま日本のどこかで、吉田松陰や坂本竜馬ががんばりはじめてると思います。
スーパーサイエンスハイスクールをはじめ、
宿題などがない中学校も登場しはじめました。
 

日本の夜明けは近い!