すばらしい小学生を、そのまま大人にしてあげて欲しい。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

今日も、札幌の小学生が2校来てくれました。

みんな、ものすごく朗らか。

 

それぞれの学校の子達が、「この学校の名前、なんて読むの?」とか、

普通に話し合って仲良くなっています。

サインに並ぶときも、二つの学校ごっちゃになって、仲良く並んでいます。

プログラムの進行上、サインの列を途中で切らなければいけないときも、

文句も言わずに、みんながさーっと席に戻ってくれます。

なんていい子達なんだ・・・。

 

午後のプログラムがはじまるときも、

「なにか手伝うことはないですか?」と聞いてくれます。

説明に使う、本物のロケットの燃料を各テーブルに配る作業をお願いしたら、

あっというまに、みんなで手分けして配ってくれました。

そのときも、両方の学校が協力し合ってです。

なんていい子達なんだ・・・。

 

 

この子達は、来年中学生になります。

 

ちなみに、中学校の先生の中には、植松電機が2校いっぺんに引き受けることを、

ものすごく嫌がる人がいます。

2校の席を隣り合わせにせず、間に一列空白地帯をつくってくれと言われることもあります。

トイレも、2カ所を、それぞれの学校で使う、と勝手に仕切ります。

廊下に先生が仁王立ちして、生徒をにらみつけます。

僕は、そういうことを事前に行ってくる学校の見学は、引き受けないでくれ、と

会社の担当者に言ってあります。

言ってあっても、勝手にやられることがあります。

そういうときは、その学校の見学は、二度と引き受けなくていい、と思っています。

いや、本当は、そういう学校の子達こそ、関わりたいから、結局は引き受けるんだけど、

あまりに社会性のない先生が、偉そうに生徒に命令してるのを見ると、

僕が暴力事件を起こしそうになります。

 

ていうかさ、その子達、このあと、見学旅行で旭山動物園いくでしょ?

そこでも、この便所は、この学校が使うから、

他の学校の子は、違う便所にいってくれ!と言うの?

そんなこと、どの社会で通用するっての?

 

学校は、社会性を身につけるという意味もあるんじゃないの?

なんで、小学校の頃に身に付いているすばらしい社会性を、奪おうとするの?

 

自分の監督下で問題さえ起きなければ、

子ども達の社会性が失われようが、どうでもいいってこと?

 

僕の目から見て、小学校はすごくがんばってると思います。

高校もすごく頑張ってると思います。

しかし、中学校だけが、軍隊的教育をいまだに行っているような学校が、

とてもよく目につくのです。(もちろん、そういう高校もあるよ)

子ども達に、理不尽を受け入れあきらめさせる教育。

思考力を奪い、素直とまじめと勤勉をたたき込む教育。

言われたことを、言われたとおりにやればいいんだ!という教育。

そんなこと、文科省がそうしろって指導してんのかな?

そんな教育では、人口が増えていて、ロボットが居なかった時代にしか

通用しない人材しかつくれないのに。

 

中学生は、心も体も急激に成長します。

ものすごく考えるから、大人のいいかげんで適当な発言に対して、

食いついてくることもあります。

(中学生が対象となっているアニメの内容の難しさや、心理描写のすばらしさとか、

わかっていない大人がすくなくないです。)

本当は、そういうときは、相手を人間として尊重し、真剣に話し合うべきなのに、

中学生よりも思考力のない大人は、ムキになって押さえつけようとします。

なめられないように、と恫喝し威圧することもあります。

しかし、子ども達は、大人の、首尾一貫しないあやふやな発言や、

自分自身で決断できず、責任を避けようとする大人を「なめてる」だけです。

それは、恫喝や高圧で、回復できるものではありません。

よけいに「なめられる」だけなのに。


せっかく、すばらしく育っている小学生を、だいなしにしないでよ。

 

しかし、現実には、子どもよりも思考力のない保護者にとっても、

素直でまじめで、大人に反論しない、

大人の言うことを鵜呑みに信じる人間が都合がよいのです。

 

そういう人達も、子ども達のすばらしさを、だいなしにしています。

 

子ども達を、そういう大人から守っていかないと、

日本の未来は暗いです。

 

そのためにも、大人は、真剣に、自身の思考能力を高める努力をし、

子ども達を、人間として尊重して話し合うべきです。

 

子どもに言い負かされたからって怒るなんて、子ども以下だぜ。

ていうか、言い負かされるな。

 

そういう点では、

ビブリオバトルってのがあります。

自分のおすすめの本を短時間でプレゼンし、

そのプレゼンについて参加者がディスカッションし、

最後に、一番読みたくなった本を決める、という競技です。

これは、大人も子どもも対等に競技できます。

これは、ものすごく思考の練習になるし、

相手を尊重する練習にもなります。

大人は、子どもをまぜたじょうたいで,

みんなこれをやるべきではないかと思います。

「ていうか、自分、本読まねーから。」

うわー。問題外の外だ。