教育とビジネスを一緒になさらぬように! | 植松努のブログ

植松努のブログ

講演でしゃべりきれないことを書きます。

失敗は許されない。という言葉があります。

映画などでよく耳にしますね。

かっこいい言葉です。

 

しかし、現実には、この言葉を使うと、何もできなくなります。

なぜなら、「失敗が許されないなら、失敗する可能性のあることは、やらない方がいい。」からです。

 

失敗はだめなことだ。と教える大人がいます。

それは、ある意味では正しくて、ある意味では不適切です。

 

相手がいるビジネスにおいては、失敗はよくないです。

でもその場合の失敗とは、失敗そのものがダメなのではなく、

本当は、契約不履行がダメです。

契約したことを、約束通りにできない、という状態は、

ペナルティを食らって当然です。

 

しかし、自分1人で、趣味で自転車に乗っていたとします。
タイヤの空気圧チェックがあまかったせいで、タイヤがパンクしたとします。
それを、失敗、と思う人は少ないでしょう。
すなおに、パンク修理をするか、修理してくれる店を探すでしょう。
そして、「次は空気圧ちゃんとチェックしておこう。」と思うでしょう。
または、「パンク修理道具をそろえようかな。」とか、
「もうちょっと近所に自転車屋さんがないか、調べよう。」と思うでしょう。
「パンクしない自転車もいいかもね。」とも思えるでしょう。
 
自分で料理をつくっていて、味付けが微妙だった、というのも、
失敗と言えば失敗ですが、仕事上の失敗とは違って、
そんなに重たくは考えず、「次はこうしよう!」と考えられるでしょう。
 
学校で子ども達がやらかす失敗の大半は、この例で示した、パンクや料理のようなものです。
そういう失敗は、「次失敗しないためにはどうしたらいいか?」や、「次に失敗したときにはどうしたらいいのか?」を考えるきっかけにすべきです。
失敗したこと自体を責めたり、ペナルティを与えるべきではありません。
もちろん、子どもの失敗の中には、約束したことを守れない、というのもあるでしょうが、
それも、「どうやったら守れるようになるか」を考えるべきで、
ペナルティを与えるべきではないと、僕は考えています。

植松電機でも、失敗はあります。
でも、たいていの失敗は、よかれと思って取った行動が不適切だったりとか、
うっかり、というものです。
それらを、責めたり、罰を与えたりする必要はないです。
僕は、僕の会社の中での失敗も、「どうやったら再発しないか」「どうやったら次の失敗の被害を最小にできるか」を考えるきっかけとしています。
 
僕は朝礼で「寝坊してしまったら、会社に連絡して、あとは、慌てずにゆっくり来るんだよ。」と話します。
なぜなら、たったの数分の寝坊を間に合わせようと、無理なスピードで運転して、事故を起こされた方が損失が大きいからです。
寝坊なんて、いくらでも可能性があります。
目覚まし時計が壊れることもあるし、体調不良もあります。
(寝坊しないコツは、早寝早起きだと僕は思っています。)

失敗を責めることによって、その人が失敗を恐れて、挑戦しなくなる方が、
僕の会社に取っては損失だと、僕は考えています。
同じように、子ども達の失敗を責めた結果、子ども達が自分で考えることをやめてしまったり、
主体的に行動する事をやめてしまったら、それは、ものすごい社会的損失です。
 
僕が名古屋で仕事をしているとき、僕の上司だった人が、
「お前達の好きにやっていいぞ!」と言ってくれました。
そうしたら、先輩が、「僕らの好きにやって、失敗したらどうするんですか?」と
質問しました。
すると、その上司は、「お前らの首を何個飛ばしてもすまんだろうなあ。でもな。俺がごめんってあやまったらすむから大丈夫だ。」と言ってくれました。
僕は、身が震えるほど感動し、感謝しました。より一層がんばれました。
僕も、そういう人でありたいと、心から思っています。
 
僕は、教育とビジネスを一緒にしてはいけないと思っています。
教育には、ペナルティは必要ないと思います。
教育に必要なのは、あらゆる失敗を、乗り越え方と、再発防止を学ぶチャンスにすることです。