人の成長の可能性を信じて投資をする社会にしないとまずいって。 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

マルコポーロは、日本を黄金の国と称します。

 

おそらく、その理由は、山がちな国土にあると思います。

 

中国や、フランス、米国などの、ものすごく平らな土地が広がる所では、

「我田引水」ができません。

なぜなら、傾斜がないので、いくら溝を掘っても、水が流れてこないのです。

そのため、農業は「雨」に頼るしかありません。

そのため、土地が人を養える能力が、あまり高くありません。

 

しかし、日本は、そこらじゅうに山があります。

しかも、山に雪が降ります。

そこから、年間を通して、水が供給されます。

そのため、土地は狭いのですが、土地が人を養える能力が、とても高いのです。

それが、この狭い国に、こんなにも沢山の人が住むことができている理由です。

日本は、農業に恵まれています。

 

そんな日本では、人が沢山生まれてきました。

とくに、明治維新の後の人口増加はすごかったです。

なんぼでも、子ども達が市場に投入されてきます。

そんな日本の教育は、「教育」ではなく、「選別」でした。

子ども達を能力順に分けて、いい会社から順番に、上から人を持って行ける仕組みです。

元々頭のよい子達が褒められ、そうではない子達は、落ちこぼれといわれました。

本当なら、元々頭がよい子は、ほうっておいても大丈夫です。

そうではない子の方が、教育を必要としています。

 

でもそれが、いま、通用しなくなってきました。

なぜなら、子どもの数がものすごく減ってしまったからです。

これからは、「選別」ではなく「教育」が重要です。

 

でも、日本はそれをうまく経験してきていません。

ずーっと人が増え続けてきたからです。

たとえば、第二次世界大戦の時、日本は、戦争を始めて間もなく、

パイロットが不足します。

それに比べると、ドイツも、アメリカも、日本の何倍もの飛行機を生産し、

それを飛ばすだけのパイロットも育てます。

 

もともと、生まれてくる人の数が少ない地域では、人を育てることの大切さに気がついており、

人を育てる仕組みができているのだと思います。

ところが日本は、人が多かったからこそ、選別して、性能の高い人を抽出すれば用が足りてしまったのだと思います。

 

僕は、子どもの頃から、5をつけたら、1もつけなければいけない、相対評価に疑問を感じていました。
だって、教育という仕事は、本当は、全員を5にするまで頑張るべきだと思うからです。
(僕としては、全員3か4くらいでいいと思いますけど。)

ゆとり教育の時に、絶対評価も採用されるようになりましたが、

それも、今ではまた、相対評価になってしまっている学校が少なくないそうです。


日本中で人手不足といわれる中、45歳以上をばんばんリストラする企業もではじめました。

人が足りないの?それとも、余ってるの?

答えは、簡単です。

社会の要求が高くなってしまったのに、それに答えられる人材が不足している、ということです。とくに、45歳以上をリストラするというのは、

それまでの20年ほどの経験での能力向上が、給与の上昇に見合っていなかった、ということです。

 

これからの人口減少期には、真の教育が必要になります。

それを提供できるのは、子ども達の最終的な受け皿であり、最終教育機関でもある企業ではないかと、僕は思っています。
しかし、その企業が、会社で働く仲間の能力向上をあてにせず、お金でマンパワーを買うだけのような場合には、教育は不可能です。
 
これからは、人の成長の可能性を信じて投資することが、
社会を支えていくのだと思います。

ちなみに、ヨーロッパで大学が無料なのは、高等教育を受けた人は、将来より多く納税するから、どんどん受けさせた方がいいからだといわれています。
それに対して、日本は、高等教育にべらぼうに金がかかります。
いまの日本では、高等教育を受けた人でも、学費以上には納税できない、
と見なされているとしか思えません。
 
ちなみに、人の能力は、貸借対照表にでてこないから、非課税です。
企業として、最高の投資先です。